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親子で映画鑑賞/トイ・ストーリー4 ママズ・クラブ・シアター
・ママズ・クラブ・シアターで赤ちゃんと映画を
TOHOシネマで月に1~2回行われているママズ・クラブ・シアターを利用してトイ・ストーリー4を鑑賞。「赤ちゃんと一緒に入れる」がテーマだけに、赤ちゃんを抱えたママがずらりと会場に並んでいて中々に壮観。
ママ限定というわけではなくて、当然パパも入れるので家族揃って入れます。
トイ・ストーリーの新作という事もあり会場はほぼ満員。ざっと見た感じ8割以上は埋まっていいたと思う。(妻曰く映画によっては20人くらいしか入ってないものもあるとの事)ママズ・クラブ・シアターはネットでの予約が出来ないため、直接会場の窓口で受け付けしなければいけないのがちょっとネック。
僕らが今回行ったのはTOHOシネマズ川崎で、確認するとこの劇場では受け付けは上映日の2日前からとHPに書かれている。混雑が読めなかったので、2日前に劇場で受け付けを済ませておいた。ムビチケも事前に購入しておいたのでこちらを使用。IMAXのような特別料金などは発生しないので、出来れば前売り券を買って使用する方が良いと思います。
当日、十分前に会場に着くと、案の定受付や売店が長蛇の列になっていたので余裕があれば予め受付して予約するのがベストです。
会場は本編が始まっても予告の時の薄明かり状態なので、足元も見易く移動しやすい。赤ちゃんを泣き止ますのに席から壁際に移動するのも、そんなに苦じゃない感じに見えました。
うちの赤子は上映時間(11:50開演)とお昼寝の時間が丁度かぶっていたので、上映中ほぼ妻の腕の中ですやすやと寝てました。
・トイ・ストーリー4感想
※ここからネタバレあり〼
最初に本編とあまり関係ない話を。
昨年末の特報の時点で使われていたのがジュディ・コリンズが歌うジョニ・ミッチェルのBoth Sides Now。
丁度この特報が流れた時と同じタイミングで上映していた、アリ・アスター監督の「ヘレディタリー」のエンドロールでもこの曲が流れていて、あの映画を観たあとだとどうも不穏な空気を感じてしまう....。たまたまだろうけど。
US版のトレーラーではビーチボーイズのGod Only Knowsが。
ただ、この2曲は劇中では流れません。まあ劇中の音楽は全てランディ・ニューマンが手掛けているので当然と言えば当然なんですけど...。
とまあ蛇足はここまでにして本題に。前作トイ・ストーリー3の脚本がシリーズの中でも突出して素晴らしい出来だったので、やる必要ある?というのが正直な気持ち。さらに封切後の作品に対する否定的な意見もツイッタ―で散見していたので、一抹の不安がよぎりながら劇場に向かうことに。
鑑賞後に肯定、否定両方の意見をざっと見て感じたのは、肯定的な意見の人は作品に含まれるテーマや、ある種哲学的なラストへのくだりに納得がいっているのかなと。逆に否定的な人はそれまでの世界観が壊されているという意見が多く見られました。否定的な意見をみているとキャラクターのイメージに思い入れがある人ほど納得がいかないのかなと感じた。恐らく一番要因として大きいのはウッディの内蔵されたレコードが取り出された場面で、あれが無くなるというのはたしかにショッキングではあると思う(個人的にはショッキングなものを散々観てきているので全く問題ないけれど、耐性が無い人にはキツイのかな?)。
ちなみに劇中、ギャビー・ギャビーの機械の中身が映っていて、中に音声用のレコードが入っているのが見える。ウッディの内臓された機械は劇中でも映ってはいないものの、同年代に作られた同じ形状のレコードを使った機械だったのではないかと思われる。なのでウッディの体から取り出した機械に、ギャビー・ギャビーのレコードを載せ替えたので音声はギャビー・ギャビーの声が出たのだということと思われる。ウィキペディアのウッディのページに「内蔵されたレコード」と記述がある。
あと、いままでぼんやりとしたキャラクターだったボー・ピープが再登場し、やたらと自立心のつよい気丈なキャラに成り代わっていたのもコメントとして見受けられた。まあたしかに昨今の強い女性の取り上げられ方に辟易している人もいるだろうし、このあたりは否定してしまうとこの映画の根幹にかかわってくるので、う~んまあそれでは楽しめなくなるかなと。
僕が観た感想は、やはり3に比べると脚本が弱い印象があったということ。アンティークショップで右往左往している場面が多かったり、沢山いるキャラクターをうまく拾いあぐねていたということも気になる。
でも、持ち主に従属するおもちゃである(と思い込んでいる)ウッディが、持ち主との主従関係や仲間と離れて自立するというラストは、まあ悪くないかなという感じだった。
つまり「持ち主がいる/持ち主がいない」というおもちゃそれぞれが持つ主従関係に依存した存在意義に対して、その二項対立のくびきから離れ自由な世界へと旅立つという事はキャラクターの存在を解放した結末だったのかなと。子供はおもちゃに飽きる時がくるというフレーズが幾度が繰り返されていて、今作が前作で結果的にペンディングされていた「必要がなくなったおもちゃの行方/行先」について片を付けた形になったと思う。自分はゴミだというところから徐々に役目を見出すフォーキーの姿を目にしつつ、ウッディは声をギャビー・ギャビーに受け渡すことで、それまで自分の役目だと思っていた事に終止符を打つことで次に進むことを選んだ。
そしてバズの内なる声「無限の彼方へ」をウッディが引用して外の世界へ飛び出すラストに、二人の別れと絆を感じさせる。
Youtubeにメイキングの動画もアップされているので、鑑賞済みの方はこちらも。
それにしてもこれまでの作品と比べてCGのレベルが格段に上がっていて、それまでの作品とは全く異なる次元になっている。実写並みの精緻な背景や、鏡や壜越しの画など造りこみの加減は感嘆するばかり。キャラクターではやはりボーの陶製の質感以上に豊かでつややかな表情に魅了された。写実性ばかりを追うのではなくて、あくまでもキャラクターに沿った造り方にそれぞれの魅力を感じさせる。
テーマが明瞭ではないから、わかりにくい部分が否定的に陥るかも知れないけれど、この部分を理解すれば色々見えてくる。前作みたいなカタルシスや郷愁感は薄いものの、それまでの話から一歩出た作品としてみるべきではないかなとおもいます。あんまりキャラクターばかり見ているとストーリーが見えてこない作品ではあるかな。