ルイス・アルベルト・スピネッタの軌跡⑫/スピネッタ最後の日々と未発表作
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・永遠のバンド
2009年12月、スピネッタはかつてのバンドメイトと共に、アルメンドラから現在に至るキャリアを振り返る選曲を携えてステージに立った。それまでと同様に、このライブを計画するためにスピネッタは常に過去の栄光にこだわる事を否定し、今現在の彼が奏でている音楽が全てだと言わんばかりに前進し続ける姿勢を崩さなかった。しかしスピネッタを取り巻く生活環境は悪化の一途を辿り、アルゼンチンの経済破綻がもたらした状況と、90年代以降、経済的に彼に手を差し延べない音楽業界によって生活は困窮しつつあった。
2008年、スピネッタは友人かつ楽器のアドバイザーで、楽器店を営んでいるパブロ・マンゴーネに一本の電話を入れた。
「ペンサをいくらで買ってくれる?」。
電話越しに発せられたスピネッタの言動にマンゴーネは戸惑いを隠せなかった。スピネッタは困窮から、アメリカのギタールシアーであるルディー・ペンサにオーダーした赤いボディに白のピックガードのストラトキャスタータイプのギターを売りに出そうとしていた。このギターは「Mi elemento」のPVで抱えていたもので、晩年のスピネッタのメインギターであり、レニー・クラヴィッツ、マーク・ノップラー、ピーター・フランプトン、デイヴ・グロール、グスタボ・セラティらが愛用するギターのルシアーによって、彼のためにカスタムメイドした高級な一本だった。
スピネッタのギターコレクションの中でも重要なもので、大金持ちとは程遠いアルゼンチンの偉大な音楽家が、自分の最も象徴的で貴重な仕事道具を売らなければならないことにマンゴーネは憤りを感じていた。
「そのギターをどうやって売るつもりなんだ、ルイス!?」マンゴーネはそのギターの工芸的な価値と、スピネッタを象徴する一本である事を電話越しに伝えた。
「必要な時に貸してくれる人に売ろうと思う。」
「売ってしまいたいんだね。私たちには今それは必要ないから、君に貸すよ。」
マンゴーネはそのギターをドルで買い取ったが、その金額は明らかにされていない。この時のスピネッタの経済危機が最後の大仕事のきっかけとなったが、同時に彼が経済的に、背に腹を変えられない状況を作り出してもいた。もし深刻なお金の問題を抱えていなければ、「mañana es mejor(明日は我が身)」と歌った彼が、これほどまで懐古主義的なそれまでの自分の歩みを辿ることはなかっただろう。レコード会社はスピネッタを見捨て、彼の存在はアルゼンチンのロックシーンの宇宙の中で徐々に消え行くように、風前の灯となっていた。
2008年の時点では、スピネッタが復活させたバンドはアルメンドラだけだったが、年が明ける前にマンゴーネは勇気を出してスピネッタにプロポーズの言葉を伝えた。2008年12月24日、マンゴーネはクリスマスプレゼントを持ってスピネッタの自宅スタジオを訪れた。
この会話でスピネッタは、かつての仲間やビッグネームのミュージシャンとの大規模なライブを構想していた。同業者のミュージシャンのファンが多い事もあり、彼を慕う人々を集めてのトリビュートコンサートを行うことでシーンの中心に戻ろうとしたのかもしれない。スピネッタは冗談めかしながらもパブロ・マンゴーネにライブのマネージメントを依頼する。
2009年3月、スピネッタトリビュート的なニュアンスだった最初の構想に対して「自分の曲が演奏されている間、私は立って見ていなければならないのか?」という疑問がスピネッタの中で湧いた事で、歌手やコンポーザーだけでなく、プレイヤーとしての彼を中心にしたライブ構想へとシフトしていく。そのためには過去に関わったミュージシャンの一人ひとりに連絡を取る必要があった。
スピネッタを納得させるのは簡単ではなく、彼を少しでも知っている人なら誰でも知っていることだが、スピネッタは謙虚さから、自分だけが脚光を浴びるようなショーを快く思わなかった。ラス・バンダス・エテルナスという名の下で、アルメンドラ、ペスカード・ラビオーソ、インヴィシブレ、スピネッタ・ハーデ、ロス・ソシオ・デル・デシエルトと言った60年代後半から現在までのバンドを当時のメンバーを集めて行うライブの構想が秘密裏に進められたが、このコンサートがすでに公然の秘密となっていたとき、スピネッタは大々的な宣伝を求めなかった。
コンサートの日程は2009年12月4日に決まり、着々と準備が進められた。
サン・テルモにあるバー「モリエール」がコンサートの告知を行うライブの場所として選ばれ、スピネッタが避けていたコンサートの宣伝として最後に受け入れたものとなった。スピネッタとチャーリー・ガルシアがその場で一緒に演奏していた事が最大の宣伝効果となり、チケットの売り上げは一気に伸びる事となった。チケットは3ヶ月前に発売されたが、このライブがきっかけとなりひと月前に完売した。マンゴーネはこの状況をみて「彼は個人的な状況に恐怖を感じていた。しかしもし彼が望むなら、2回目の公演を予定することもできる」と言った。
ライブの準備は着々と進み、リハーサルに次ぐリハーサルが行われた。彼は豊富なレパートリーの中から一曲一曲を丁寧に選び、かつてのバンド仲間に自ら電話をかけ続けた。リハーサル段階で外された曲も少なからずあったが、セットリストは完成した。
・Luis Alberto Spinetta/Spinetta y las Bandas Eternas 2010
リリース:2010年12月4日
CD 1
Mi elemento (con Baltasar Comotto) Un mañana収録
Tu vuelo al fin (con Baltasar Comotto) Un mañana収録
Ella también (con Diego Rapoport) Kamikaze収録
No te busques ya en el umbral (con Diego Rapoport) Los niños que escriben en el cielo収録
Fina ropa blanca (con Mono Fontana) Don Lucero収録
La bengala perdida (con Mono Fontana) Téster de violencia収録
Sombras en los álamos (con Juan Del Barrio) Alma de diamante収録
Alma de diamante (con Juan Del Barrio) Alma de diamante収録
Cisne (con Sergio Verdinelli, Guillermo Vadalá, Mono Fontana) Para los árboles収録
Al ver verás (en dúo con Mono Fontana) Téster de violencia収録
¿No ves que ya no somos chiquitos? (en dúo con Mono Fontana) Madre en años luz収録
Cielo de ti (con Guillermo Vadalá, Mono Fontana, Javier Malosetti) Pelusón of milk収録
Las cosas tienen movimiento (con Mono Fontana, Fito Páez) Fito Páez Modelo para armar (Juan Carlos Baglietto)
Retrato de bambis (introducción) (con Mono Fontana, Fito Páez) La la la収録
Asilo en tu corazón (con Mono Fontana, Fito Páez) La la la収録
Mariposas de madera (en dúo con Guillermo Vadalá) カバー曲 (Miguel Abuelo)
El rey lloró (con Beto Satragni)カバー曲(Los Gatos)
¿Adónde está la libertad? (con Juanse) カバー曲(Pappo's Blues)
CD 2
Té para tres (con Gustavo Cerati) Gustavo Cerati Canción Animal (Soda Stereo)
Bajan (con Gustavo Cerati, Gustavo Spinetta) Artaud収録
Cementerio Club (con Gustavo Spinetta) Artaud収録
Era de Uranio (en dúo con Leo Sujatovich) Bajo Begrano収録
Vida siempre (en dúo con Leo Sujatovich) Bajo Begrano収録
Maribel se durmió (en dúo con Leo Sujatovich) Bajo Begrano収録
Necesito un amor (con Dante Spinetta y Valentino Spinetta) カバー曲 (Manal)
Filosofía barata y zapatos de goma Charly García Filosofía barata y zapatos de goma (Charly García)
Rezo por vos (con Charly García) Prive収録
San Cristóforo (con Javier Malosetti) San Cristóforo収録
Bosnia (con Javier Malosetti) Spinetta y los Socios del Desierto収録
Durazno sangrando Durazno Sangrando収録
Jugo de lúcuma Invisible収録
Lo que nos ocupa es esa abuela, la conciencia que regula el mundo Invisible収録
Perdonado (Niño condenado) El jardín de los presentes収録
Amor de primavera (con Lito Epumer) カバー曲
CD 3
Poseído del alba Pescado 2収録
Hola dulce viento (Mañana o pasado) Pescado 2収録
Serpiente (viaja por la sal) Desatormentándonos収録
Credulidad Pescado 2収録
Despiértate nena シングル曲
Me gusta ese tajo (con Bocón Frascino) シングル曲
Post crucifixión シングル曲
Color humano Almendra収録
A estos hombres tristes Almendra収録
Muchacha (Ojos de papel) Almendra収録
8 de octubre (Banda Estable con Ricardo Mollo, Mono Fontana) 共作曲 (León Gieco/Spinetta)
Retoño (Banda Estable con Baltasar Comotto, Mono Fontana)
Yo quiero ver un tren (Banda Estable con Baltasar Comotto, Mono Fontana, Nico Cota y Daniel Rawsi) Mondo di cromo収録
No te alejes tanto de mí (Banda Estable con Baltasar Comotto, Mono Fontana, Leo Sujatovich) Mondo di cromo収録
Spinetta y Banda Estable
Spinetta y Los Socios del Desierto (Marcelo Torres y Javier Malosetti)
Invisible (Spinetta - Pomo - Machi)
Pescado Rabioso (Spinetta - Black Amaya - David Lebón - Carlos Cutaia - Guillermo Vadalá - Osvaldo "Bocón" Frascino)
Almendra (Spinetta - Edelmiro Molinari - Emilio del Guercio - Rodolfo García)
Invitados
Baltasar Comotto: guitarra
Diego Rapoport: teclados
Juan Carlos "Mono" Fontana: teclados
Juan del Barrio: teclados
Javier Malosetti: bajo, batería
Fito Páez: voz, teclados
Beto Satragni: bajo
Juanse: voz
Gustavo Cerati: voz, guitarra
Gustavo Spinetta: batería
Leo Sujatovich: teclados
Dante Spinetta: guitarra
Leeva (Valentino Spinetta): voz
Charly García: voz, teclados
Marcelo Torres: bajo
Pomo: batería
Machi: voz, bajo
Lito Epumer: guitarra
Black Amaya: batería
Carlos Cutaia: órgano
David Lebón: guitarra
Osvaldo "Bocón" Frascino: guitarra
Rodolfo García: batería, coros
Emilio del Guercio: bajo, coros
Edelmiro Molinari: guitarra, coros
Ricardo Mollo: voz, guitarra
Daniel Rawsi: percusión
Nico Cota: percusión
12月4日に、ヴェレス・スタジアムに37,000人もの観客を集め、ライブが終わったのは午前3時半だった。コンサートは53曲、5時間20分に及びスライド式のステージで、何度もステージを設置したり撤去したりする必要はなかったが、バンドとバンドの切り替えには最長15分ほど時間がかかる事があった。
前半にソロ曲(ペスカード・ラビオーソのアルトーの曲はソロとしてカウント)とスピネッタ・ハーデの曲、カバー曲はバンダ・エスタブレによる演奏で、後半にロス・ソシオ、インヴィシブレ、ペスカード・ラビオーソ、アルメンドラの再結成が添えられている。ラインナップはオールタイムベストといった形で曲が並べられ、ヒットソングからアルバムの収録曲までスピネッタのキャリアを網羅している。ゲストが主役の時はサイドギタリストとして巧みなギターを披露し、片時も離れる事なくステージを最後まで完遂した。しかし、前半のソロ曲のステージは最新曲やあまり知られない曲も含まれたため、アルメンドラやペスカード・ラビオーゾの再結成を求める人には不評を買ってしまってもいた。しかし、そこにいた誰しもがこのライブがスピネッタの大舞台としての最後になるとは思っていなかった。しかしそんな殺伐とした雰囲気はライブが進むにつれフィト・パエスやグスタヴォ・セラティ、チャーリー・ガルシアが登場すると会場の雰囲気も和らいでいった。途中長丁場であることと、還暦を迎えたよる年並みからか集中力が尽きた場面がありながらも、ステージは深夜まで及んでいく。
インヴィシブレからペスカード、アルメンドラと再結成は続きスピネッタにとって最初のヒット曲であり代表曲である「Muchacha ojos de papel」がスピネッタのギター伴奏と四人のコーラスで歌われ締めくくられると思われたが、ステージは続いた。
「Un manhana」でもテーマとして扱われたバス事故を題材にしたレオン・フィエコとの共作「8 de octuble」が歌われた。フォークロック調のファエコのバージョンに比べるとかなりパワフルなロックテイストになっており、再結成というステージのピークが過ぎても尚、ライブは続いた。
真夜中まで続いた狂騒は終わりを告げ、楽屋には出演した人々で囲まれていた。盛況の中、長尺のライブは彼のキャリアの全てを包括した内容となり新たな伝説を作り出した。
・闘病の日々
翌年、スピネッタは6月にアメリカツアー、12月にチリでライブを敢行。その他にも国内含めライブが敢行されたが、その殆どで彼は肩の痛みがあったため座ってプレイしていた。医者は長年ギターを肩から下げていたために、関節に問題があると診断し、その後も2回ほど診察したが変わらず痛みは続いていた。
2011年も多くのライブをこなしていたが、全て椅子に座って行われていた。スピネッタの手にはペンサのジャズマスタータイプのギターが握られていて、彼の最後の愛機となった。
肩の痛みは別の種類の病気が原因である可能性が浮上し、結果的に肩に癌の転移が発見された。マンゴーネは病状をスピネッタに伝えるという恐ろしい大役を担った。しかし時すでに遅く、癌は進行していた。そうとは知らずスピネッタはキネシオロジーの治療を受けていた。マンゴーネはスピネッタの家の近くに住んでいたため、一緒に病院に付き添った。
「ルイス、今日は運動療法士のところではなく、別の種類の医者、つまり腫瘍医のところに行こう」
「嗚呼、なぜ...?」
「なぜなら、あなたの肩の痛みは、他の場所にあるものが転移したから。」
スピネッタは、自宅のキッチンを歩き回った。
「それではギターを弾くことに加えて、ハープを弾けるようにならなければならないのですか?」2011年12月に、マンゴーネはスピネッタの家にパスワードを使って上がり込んだ。スピネッタの体は弱っていたが、少しずつ歩いていた。マンゴーネは彼を訪ねて行き、ルイスは彼に何かを渡したいと言った。彼はペンサの赤いギターをマンゴーネに返却しようとしていた。
「そのギターはあなたのものです。もう喋らないで...。」
スピネッタが「親友」と呼んでいたペンサのギターは、現在スピネッタの子供たちの下にある。
2011年12月23日、大衆新聞Muyはスピネッタの家族の要請を無視して、表紙に「スピネッタは非常に深刻な状態」という見出しで彼が進行性の腹部癌に苦しんでいると報じた。翌日スピネッタは息子のダンテのTwitterアカウントを通じて次の文章を発表した。
胃の緊急手術の後2012年1月に入院していた。手術による衰弱と癌治療による肉体的疲労が重なり、スピネッタは自宅で4人の子供たちに囲まれて2月8日に亡くなった。
4人の子供たちは一緒に彼の遺灰を、生まれた場所に非常に近いリオ・デ・ラ・プラタ川に投げ入れた。
・死後リリースされたアルバム
・Spinetta,Garcia,Ferrón/Spinetta Los Amigo 2015
リリース:2015年11月27日
Apenas floto
Iris
El cabecitero (instrumental)
Bagualerita
El gaitero (instrumental)
Canción de lugar
Iris (acústica) (canción oculta: Río como Loco)
Luis Alberto Spinetta: guitarra, voz
Daniel Ferrón: bajo.
Rodolfo García: batería.
Claudio Cardone: teclados y dirección.
Mono Fontana: teclados.
Valentino Spinetta: piano Rhodes.
Orquesta Kashmir: orquestación.
このアルバムは2011年の3月4、5日に自宅スタジオで、アルメンドラのメンバーだったロドルフォ・ガルシアと、ベーシストのダニエル・フェロンによるトリオのジャムをベースにワンテイクで録音された。
始まりは2010年3月に、スピネッタがロドルフォ・ガルシアとダニエル・フェロンと「週に一度、水曜日に集まろう」とガルシアの家でセッションが行われた。しばらくするとスピネッタ以外のふたりはセッションを楽しみたかっただけだったが、スピネッタは録音したがったため彼の自宅スタジオに移ることになった。
フェロンが参加した経緯は、ロス・ソシオの頃まで遡る。
当初バンド名はロス・ティトスという名前で活動をしていたが、ロドルフォからそのバンド名はすでに使われていたと告げられ、スピネッタのステージアシスタントだったアニバル・バリオスの提案で複数形のsを抜いた「ロス・アミーゴ」となった。
ジャケットはスピネッタによるもので、Don Luceroの時と同じくパソコンでデザインされたのもが使用された。
2015年、フェロン、ガルシアとスピネッタの子供たちがミキシングと追加のプロダクションのために集まり、モノ・フォンタナのキーボード、クラウディオ・カルドーネの指揮の下、カシミール・オルケストラによるオーケストラが追加された。
アルバムはカウントの後2拍目から三人の息のあった演奏が始まるApenas Flotoでスタートする。この曲とEl Cabecitero、El Gaiteroの三曲に顕著なジャズのテイストは、スピネッタの過去作でもジャズは重要なキーワードではあったが、ここでのジャジーなスウィングしたリズムとギターの音色はそれまてありそうで無かったサウンドがならされている。先行リリースされたロッカバラードなIrisは、オーケストラが盛り上げながら途中インヴィシブレを想起させるタイトなフレーズが挿入される。ディストーションギターがサイケデリックに響くBaguarelitaでは、モノ・フォンタナの抽象的なフレーズが被さり00年代以降のスピネッタサウンドが登場する。Irisの別バージョンの後にシークレットトラックのRío como Locoが収録されている。
アルバム全体的に統一感が希薄なのと、作り込み切れていない内容にも感じられるため、好みは分かれる所ではあると思うが、晩年のスピネッタらしさがありつつも、新たな音楽を切り開こうとしていた姿勢は感じられる。
・Ya no mires atrás 2020
リリース:2020年1月23日
Veinte ciudades
Ya no mires atrás
Agua de río
Nueva luna, mundo arjo
Merecer(Spinetta/Dante Spinetta/Valentino Spinetta)
Luces y sombras
Diadema(Spinetta/Franov)
Músicos Editar
Luis Alberto Spinetta - guitarra, voz
Claudio Cardone - teclados
Nerina Nicotra - bajo
Sergio Verdinelli - batería
Músicos invitados Editar
Mono Fontana - teclados y arreglos en "Nueva Luna, Mundo Arjo"
Alejandro Franov - piano, bajo sinte, teclados, sitar en "Luces y Sombras" y "Diadema"
Dante Spinetta - voz, guitarra, teclados, batería digital en "Merecer"
Valentino Spinetta - arreglos, voz, teclados, batería digital, efectos en "Merecer"
死後発表されたこの2枚目のアルバムはスピネッタの生誕70周年を記念し発売された。元々Un Manānaリリース後の2008年から2009年にかけて自宅スタジオでレコーディングされたマテリアルで構成されている。スピネッタの家族が集まり、リリースに向けて進行されていた。その様子はドキュメンタリーにまとめられ、アルゼンチンで放送された。(以前動画サイトにアップされていたが、現在は観ることができない。)スピネッタの娘カタリーナが主軸になって、アルバムリリースに向けてプロジェクトを進めていた。
ラストにはアルバム完成をスタジオで家族が集まり祝い合うシーンは感動的な場面となっていた。
始まりはカタリーナがスピネッタのパソコンのフォルダーに残っていた音源を発見した事だった。そこに残された音源は歌もアレンジもミキシングも完成したアルバムがそこに残されていた。ソニーミュージックなど関係者が集まり、スピネッタの自宅スタジオでそれらの音源のリスニングが行われた。
スピネッタとダンテ、ヴァレンティノとの共作Mercerでのラップは2009年当時の雰囲気がパッケージされていて、後から追加されたものではないとカタリーナは感じた。
「この音はすべてその時に録音したもの。後から追加したものじゃない」
カタリーナ・スピネッタ
Un Manānaと同じメンバーで録音された事もあり、まさに00年代のスピネッタサウンドがパッケージされている。白眉はやはりタイトルにもなったYa no mires Atras。00年代後半らしい暖かなサウンドと横ノリのリズムの名曲。どの曲もリリースされなかったのが不思議なくらいクオリティが高く、生前にオリジナルアルバムとしてリリースされなかったのが不思議なくらいスピネッタ節を聴くことが出来る。
無事アルバムがリリースされたが、これらの音源がリリースされなかった理由が明らかになった。
スピネッタのボイストレーナー兼コーラスを担っていたグラーセ・コスセリによる申し入れがあった。実はアルバムに収録されたDiademaとLuces y sombrasの二曲は元々スピネッタがコスセリの為に用意した曲で、彼女のソロアルバムのプロデュースを兼ねて行われる予定だったという。コスセリはスピネッタだけでなく、ダンテとヴァレンティノのボイストレーナーも努めていたため、彼らの態度に憤慨していた。
スピネッタはコスセリに向けてメールを残していた。
「親愛なるグラーセへ。スタジオは今忙しいから少しずつだけど、前進している。新しいバージョンを改めて送ります。最終的に歌詞を盛り込んで、多少なりともそのまま歌えるようにするために、参考にしてもらえればと思います。」
カタリーナとコスセリはインスタグラムを通じてやり取行っていた。
コスセリはコメント欄に書き込んだ。
「Diademaはルイスノものであり、私のものでもある。この心の傷はいつから始まったのだろう。高音を無理やり私の音域に近けて歌っていることも、ルイスの歌うDiademaを絶対に晒してはいけない大きな理由です。それが彼の記憶への敬意と愛を示す。」
カタリーナはリプライした。
「ハローグラーセ。メッセージをもらって恐縮です。お父さんが歌った二曲を発見出来たことは、私たちにとって非常に貴重な事です。父が歌った曲は必ずリリースされる予定です。常に父への愛と尊敬の念を持って仕事に取り組んでいます。本当に申し訳ない。そんなつもりはなかった。」
遺族とのわだかまりは解消されていない。ここにある相続人が亡くなってしまった芸術家の作品をどう扱うかといういつの時代も起こりうる論争が行われてしまっている。
残された日の目をみない作品の扱いの難しさが露呈してしまい、わだかまりが残ってしまったのは残念である。ファンとしては、残された作品を少しでも多く聴きたい欲に駆られるが、墓荒らしが本当に作者にとって正しいものなのか考えさせられる出来事でもあった。
この先もインヴィシブレの未発表ライブ音源などが、発表される予定らしい。カタリーナいわく2000年代以降の未発表音源は無いとの事だが、ライブ音源は今後も発掘される可能性は高い。
https://www.latercera.com/culto/2019/12/10/spinetta-bandas-eternas-cerati/
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