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【美術】田名網敬一 記憶の冒険@新国立美術館


楽しみにしていた田名網敬一の企画展に行ってきた。本展の開始と同時に惜しくも亡くなってしまったのが惜しまれる。
僕が田名網敬一を知ったのは2000年代初頭にリバイバルがあった頃だったと思うが、一番印象に残ってるのはスーパーカーのジャケットなど晩年の作風のイメージが強い。晩年のごちゃっとしたサイケデリックな画風がいかにして出来上がったのかを知る事が出来る展示で、60年代から今年まで全キャリアを俯瞰出来るまたとない企画だった。
この数年の間に和田誠や宇野亜喜良らの展示もあったが、横尾忠則や久里洋二、粟津潔など同年代の作家の捉え直しが進んでいるようにも感じられ、ふた昔前であれば60〜70年代の作風が好まれたり、逆に現在の作品がメインになったりと間にある作品が抜けていることも多かった(横尾忠則だけは例外だったと思うが)。田名網に限らず特に80年代のバブル時代がちゃんと挟まることで、セゾンカルチャー含め、作家としての見通しが良くなったのは、昨今の時代の流れを感じる。というのも60年代リバイバルが本格化する90年代の前の時代である80年代は、これらの作家と時代の食い合わせが悪いだろうし、この時代は明らかに過去から脱却しようと模索している感がある。ハイカルチャーに寄せるか、職業作家に寄せるかのせめぎ合いが感じられ、過渡期としてスルーされがちだった印象がある。個人的な印象論なのは否めないが、80年代カルチャーをフラットに捉えられるだけの時間は過ぎたのは確かだと思う。
何にしても作品量の多さに圧倒される。60〜70年代のあの時代らしい蛍光色を使った作風はサンフランシスコのポスターカルチャーや、ウォーホールやラウシェンバーグ(オーダーメイドなどはむしろこっちの作風の方に近い)、リキテンシュタイン、ハミルトン、マックスらポップアートの影響などがダイレクトに作風に出ていた(宇野亜喜良も同様な作品があった)。そんな初期作でも後の作品に通ずるものがあるが、やはり80年代に中国などアジア圏の文化に触れた事と、結核を患い投薬の影響で幻覚に悩まされた経験が、晩年のサイケデリックな過剰さと繰り返されるモチーフへの変化の起点となっていたのがよく分かる。
同時に60年代からアニメーションや映像にも取りんでいたのは、宇野亜喜良らの作家と同じ軌跡を辿っているが、70年代にケネス・アンガーやジョナス・メカスに触れたことで、前衛映像にも踏み出している。この辺りは松本俊夫の作品などにアダプトすると思うが、とはいえ作家としてはやはり絵がメインであり、アニメーションの方にウェイトを置いていた。
そして2000年代の唯一無二の世界観が出来上がるのだけれど、ポップアートの文脈で言えばクリスチャン・マークレーの作風に近いものがある。マークレーの整理された混沌に比べると、田名網の作風はさらに過剰さと混沌を自作の絵と、引用が入り混じった記憶の混濁が放出されている。とにかくパワフルとしか形容し難い作品群には圧倒させられる。モチーフは入り混じり、原型は留めながらも、曼荼羅さながらのフラットな繰り返しと共に、全てのイメージが合体し混交しながら異様な形態へと様変わりしていく。キャンバスにプリントされたモチーフを、ボンド片手に手で切り貼りしていく作風が死の間際まで繰り返されていた凄みを感じさせる。
田名網敬一という作家のユニークさは、日曜美術館でのインタビューにもあった通り、編集に尽きる。作品に限らず、人が生活する上で日常も編集に成り立っていると語っていた。現代では特にエディットの重要性を感じるが、まさに長年それを体現していたというのは感覚としては早い。
鑑賞時は前情報を入れずに観たのだけど、第二次大戦の記憶というのが日曜美術館で取り上げられていて、焦土となった東京の跡地の記憶と、戦中の壮絶さが端々に織り込まれていた。
団塊の世代の多くがすでにリタイアし、その前の世代も作り手や語り手として亡くなってきてしまっている。戦後の復興期から高度成長期を経て、現代に連なる記憶は、こういった作品から読み解くべきだし、さらにそれを超えた老境の作家がたどり着いた混沌とある種の軽さと数の重厚さは、今このタイミングで触れるべきだと思う。


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