
【美術】坂本龍一 音を視る 時を聴く

https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/RS_Descriptions_JP.pdf
水曜平日の朝イチで入館したものの、すでに入り口には30分待ちの長い行列が出来ていた。
坂本龍一という人のネームバリューの大きさと、先日日曜美術館で特集されたのも相まってかなり混雑していた。
美術展の内容は坂本龍一のマス向けのポップサイドとは異なる、インスタレーションメインの現代美術サイドをピックアップしたもの。老若男女さまざまな世代が来館していたけれど、インスタレーションの内容と客層があまり合致していないようにも感じた。というのも「async」リリース時のAmazonのコメントが若干荒れていた記憶があり、戦メリを求めるファンからネガティブな意見が投稿されていたのを、館内の様子からふと思い出す。まあ当然館内はそんな雰囲気ではなかったのだけれど。
インスタレーションは「async」や遺作となった「12」と関わりの深い作品が多く、2000年以降のもので占められていた。ダムタイプの高谷史郎やカールステン・ニコライ、アピチャッポン・ウィーラセタクン、空音央らのZakkubaranなど2000年以降の坂本龍一が音楽活動と並行しながら、現代美術へと突き進んだアーカイブが並んでいている。作品のテイストから出来れば人が少ない中で味わいたいのが本音ではあるけれど(出来るだけスクリーンに近い位置で鑑賞されたし)、多くの人の目に触れるということも、決して悪いものではないのでこれはこれで良いのかなと思う。
少し意外だったのは、アクティビストな側面が作品からはそれほど感じられなかった事だった。「Life」の映像には戦争なども含まれると思うし、震災後に残されたピアノなど社会との繋がりがあるものもあるが、どちらかといえば自然や環境音の方が印象に残る。作品とアクティビストな姿勢をある程度切り分けている人だとは思うが(過去にはZero Landmineのように反核をうたう作品もあった)、基本的にパーソナルな作品が根本にあるように感じられた。
個人的に一番良かったのがカールステン・ニコライが映像を付けた作品が素晴らしく、「12」のアブストラクトな音世界が映像として浮かび上がってくる様が雰囲気にとても合っていた。
坂本龍一という人のアカデミックな広い見識と知識、知性、それと隣り合う反アカデミックな姿勢も持ち合わせた人でもあると常々感じていた。テクニカルな人でありながら、音が音階ではなく単に音であることに耳を傾けたり、ロジカルな構築を行いながらそこからはみ出るメタフィジカルな部分に入り込むところは細野晴臣と通じる部分でもあった。スピリチュアルへと向かう細野とは相反する部分があり衝突も生み出したが、その点では坂本はリアリストであり、常に現実と向き合う人でもあったのだなと。アクティビストとしての坂本龍一は、特に原発事故後に日本全体が向き合わざるを得ない状況から、彼がそれ以前から反核を掲げていた事が僕の中でぴったりと合致していった。反核というものが一体何なのかがそれまでは漠然としたものだったが、あの事故以降は坂本龍一が体現する活動がやっと理解できた瞬間だったかもしれない。死の間際までずっとアクティビストとして活動していたのは尊敬に値するし、たくさんの人にとっての指針ともなっていると感じている。
亡くなって2年近くが経とうとするが、彼の残した軌跡はまだまだ追うべきところがあるように思う。