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ルーム Room/レニー・エイブラハムソン

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タイトル:ルーム Room 2015年
監督:レニー・エイブラハムソン

壊れたものはもとには戻らない

監督は仮面に閉じこもった男を描いた「フランク」で壊れた心を取り扱っていたけれど、本作「ルーム」はより過酷な内容を描いている。冒頭”へや”の中の暮らしがひとつひとつ映し出されると、バスルームとトイレが同じ部屋に仕切りもなく配置されていて、母と息子の二人暮らしというのがわかる。その時点ではただ単に貧しい暮らしをしてるのかなと思わされる。母親は度々現れる男と性的な関係を持っているがどうもおかしい。男が出入りする時扉に電子ロックがかかっているのが音から分かる。何かただ事ではない状態なのが徐々に明るみになり、親子の会話から7年間監禁された事が告げられる。監禁がテーマの映画は、サイコスリラーな神経症的感触を感じさせるものが多い。閉鎖空間の閉所恐怖症のようなヒステリカルなものというか、ザラついた感情が肌にへばりつく。この映画が他の作品と異なるのは、そこに子供がいるという事である。母親にとっては日常から切り離された苦痛の空間ではあるものの、その空間しか知らない息子はその”へや”こそが全てであり人生そのものとなっている。この対照的な人生観の違いが重くのしかかる。
前半の監禁状態と、脱出後の後半ではその違いが顕著に現れていて、17から23,4歳までの時間を過ごした母親と、生まれてからの5年間を過ごした息子のものの見方が描かれている。息子の脱出シーンは世界が広いものだと目の当たりにするヴィヴィッドさに観ている我々の心を打つ。方や母親にとっては7年もの間熱望していた外の世界に舞い戻る事が出来たけれど、監禁前に見ていた世界とは異なるものがそこにはある。生まれてから”へや”にいた息子が、外に出ることで世界が広がるのと対照的に母親は壊された世界に放り出された状態にあるのが無情な苦しみとなってのしかかる。彼女にとって17年間あった日常と、現実から切り離された日常は、家族、特に父親にとって受け入れがたい現実だった事がより大きな苦しみとなっている。一度壊された日常は同じ形では取り戻すことが出来ない。後半の実家での生活を見ていると、監禁された”へや”での生活の方が親子の繋がりが深かったような錯覚を覚える。切望した自由な日常の方が閉塞感を感じるのは、皮肉な結果であり母親の苦痛が怒号の中で演じられる。
レイプされて生まれた息子について、デリカシーなくセカンドレイプを行うメディアの悲惨さや、そのメディアが報道した内容から感動した人々が駆けつける感動ポルノと言わざるを得ない人々の無神経さは母親を追い詰める動機になっている。事件への関心は正義を推進するものではあるものの、同時に必要悪な状態になりかねないセンシティブなものであるのもありありと描かれている。というのも、監禁状態から抜け出してもそういったメディアが押しかけるのもなんとなく想像出来るので、まさにそういった状況が生み出される状況までもしっかり描かれていた。
母親が入院中に息子がレゴで部屋を作るシーンは、この辺りのメタファーになっている様にも思える。母親にとってはいきなり現れた”へや”ではあったが、息子にとってはそこから始まった世界として”へや”がある。彼はレゴで”へや”を作り壊す。そこは始まりの場所であり、そこから抜け出してから彼の世界が新しく始まる。ラストであの”へや”に舞い戻るのは外の世界と、生まれ育った”へや”が彼の中で大きく変わり別れを告げる(冒頭のシーンでは”へや”の中のひとつひとつに語りかけている)事で、彼の世界が無限に広がっていく様が感じられる。壊された者と築き上げた者の無常なまでの違いがそこにありながらも、世界に踏み出していく親子の姿が力強く心に刻まれる。

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