エレクトロニカは何を夢みたのか?④/フォークトロニカと世界各国のエレクトロニカ事情
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2000年過ぎた辺りからエレクトロニカがピークを迎えるのと同時に、生演奏へ回帰する人々が登場する。ギターの演奏をグリッチやノイズに変換して織り交ぜたフェネスや、グリッチやクリックとアコースティックな生楽器を重ね合わせたチェンバーでミニマルなムームなどの登場で、それまでのエレクトロニカが排除してきたドラマ性や叙情性を取り入れたスタイルはフォークトロニカと呼ばれるようになる。2000年前後に世界的で普及したDTMの影響により、世界各地でエレクトロニカ以降の音楽が広まっていく。世界同時宅録時代の始まりであることが、何よりも重要なポイントであると言える。
フォークトロニカの時期に登場した多くのミュージシャンは、エレクトロニカ以降の表現ではあるものの、大半は当時まだ世界的に流行していたダウンビート/アブストラクト・ヒップホップの影響も色濃く残っていた。これまで紹介したグリッチ/マイクロサウンドのようなオーセンティックなエレクトロニカとは構造が異なり、ポストロックの延長として捉えた方が特徴としてはわかりやすいと思う。フォークトロニカの境界線もかなり曖昧で、リアルタイムでもかなり大雑把に括られていた印象がある。エレクトロニカと同じように、ここでもレーベルが中心となっていて、フォークトロニカ/エレクトロニカと括られていたレーベルを丸ごとこのジャンルと看做していた空気があった。その中にはフォークトロニカ/エレクトロニカとは関係ないものも多数混ざり込んでいたため、ジャンルの定義がより曖昧になってしまった感がある。今回は出来るだけエレクトロニカから連なる音楽性を持ったものに絞っていきたいのだけれど、ダウンビートやポストロックに近いものも含んでいる。あくまでもこの時代の空気を感じ取ってもらえたらと願う。
そして、ここでは取り上げないがこれらフォークトロニカの先には、後のアニマル・コレクティブやデヴェンドラ・バンハートらのフリーフォークのムーブメントに連なっていき、彼らが目指した戦前戦後のフォーク回帰の先にバシュティ・バニヤンの復活へとつながっていく。電子音楽から生楽器への回帰の中間地点がフォークトロニカの本質なのかもしれない。
今回は国ごとで起こった動向をレーベルを織り交ぜながら振り返っていきたい。
ドイツ/オーストリア
Fennesz/Endless Summer 2001年
Fennesz/Live in Japan 2003年
グリッチのノイズの中に叙情性をアダプトしたクリスチャン・フェネス。エレクトロニカからフォークトロニカへと潮目が変わったきっかけとなった一枚。エンドレス・サマーというタイトルが示すようにセンチメンタルな感情をノイズに盛り込ませた音楽性は当時ジム・オルークに絶賛された。エレクトロニカとフォークトロニカを橋渡しした金字塔的な一枚。
Live in Japanは2003年に行われた渋谷のネストでのライブ。アルバムよりもアグレッシブなノイズとセンチメンタリズムが全開になった名盤。
Wunder/Wunder 1998年
Wechsel Garland/Wechsel Garland 2000年
Wechsel Garland/Liberation von History 2002年
ヨルグ・フォラートによるユニット。優雅なストリングスのサンプリングにオールドタイムでドリーミーな世界観のヴンダー。現在のポストクラシカルの感覚に繋がるヴェクセル・ガーランドのファースト(スミスやベル・アンド・セバスチャンみたいなジャケットに惹かれた人も多いはず)。セカンド以降は華やかなサウンドとベルリンのシーンとは切り離せないダブの要素が濃厚になり、ブリストルサウンドに近い音楽性に変化していく。ヨルグ・フォラートの作り出す音楽は、いわゆるグリッチサウンドは使用せず、サンプリングを多用したミニマルな音楽性でエレクトロニカのリスナーにも受け入れられていた。ヴンダーをリリースしたカラオケカークと、ヴェクセル・ガーランドをリリースしたモール・ミュージックの二つのレーベルがドイツのフォークトロニカの中心レーベルだった。
Isan/Lucky Cat 2001年
Isan/Clockwork Menagerie 2002年
招き猫のジャケットが印象的なモールミュージックの代表的なミュージシャンのアイサン。ダウンビートとシンセサイザーの旋律と、曲によってグリッチをまぶしたサウンドが展開される。
Arovane/Tides
ベルリンのレーベル、シティ・センター・オフィスの中心的なミュージシャンであるアロヴァン。エレクトロニカ/フォークトロニカというよりもマッシヴ・アタック直系のダウンテンポな音楽を奏でていた。モール・ミュージックでもアルバムをリリースしていたクリスチャン・クラインのギターがフィーチャーされたタイトル曲は静寂を感じさせる名曲。
アイスランド
mum/Yesterday Was Dramatic 2000年
mum/Please Smile My Noise Bleed 2001年
mum/Finally We Are No One 2002年
mum/Summer Make Good 2004年
ビョーク以降のアイスランドのシーンの中心的なバンドであるムーム(この名前は像が向かい合っているような絵文字から付けられた)。モール・ミュージックやイギリスのファットキャットからリリースされ、シガーロスとともにワールドワイドな活動を行なっていた。
ムームのファーストはピアニカやグロッケンシュピールのような生演奏とグリッチ/クリックを合わせたサウンドを奏でた、フォークトロニカの代表的な一枚で、フェネスと共にフォークトロニカの時代の幕開けとなった。クラブミュージックの影響を感じさせるミニマルな演奏スタイルはフォークトロニカのひな形となった。
フォークトロニカの終わりを告げる事になった「Summer Made Good」では歌物と演奏の比重が高まり、エレクトロニカ的なサウンドやミニマルは後退している。それまでののほほんとした牧歌的な世界から一変、ダークで閉塞的な音楽に変わっていた。バンドのアイコニックな双子のメンバー(ベルセバのジャケットの二人)が脱退しその後バンドは大所帯化する。
この頃のアイスランドはバブルによる好景気で多くのバンドが出現していたが、2008年のリーマンショックの煽りを受けて経済的に停滞すると、シーンも沈静化していった。
フランス
gel: /-1
エレクトロニカ/フォークトロニカの波はフランスにも飛び火し、僅かな期間ながらもムーブメントが勃興する。フレンチエレクトロニカのシーンの中でも突出した存在感を持っていたゲルの音楽性は、それまでのエレクトロニカの固い音塊とは異なるフランスらしい柔らかさを伴っているサウンドが特徴的。エレクトロニカ/フォークトロニカのシーンの中でも屈指の名盤。リリース当時日本でもライブが行われたものの、当時のPCの処理能力が低くリアルタイムでのパフォーマンスが出来ず、このアルバムの雰囲気を再現できなかったのは残念。
My Jazzy Child/Un Grand Coup de Lassitude 2000年
O.Lamm/Snow Party 2002年
Shinsei/Nation Solipsiste
Hypo/Jingles & Singles 2001年
Domotic/Western Airlines
Colleen/Babies
V.A/Active Suspension vs. Clapping Music
フランスのエレクトロニカシーンはアクティブ・サスペンションとクラッピング・ミュージックの二つのレーベルが中心となっていた。他の国よりもカラフルでポップなものが多く、ゲル同様にとっつきやすい作品が多い。おそらくこの中でも現在一番有名なのがコリーンで、デビューはアクティブ・サスペンションからだった。コリーンはその後イギリスのリーフ、アメリカのスリルジョッキーからアルバムをリリースしワールドワイドな活動を行なっている。
ノルウェー/スウェーデン
Tape/Opera 2002年
Tape/Milieu 2003年
スウェーデンのレーベル、へプナからアルバムがリリースされていたテープ。グリッチを織り交ぜながらも、生演奏が主体で初期のムームをフォークロア/チェンバーに寄せたような音楽性を持つ。どちらかといえばタウン&カントリーに近いのかもしれない。
Kim Hiorthoy/Hei
Kim Hiorthøy/Melke
キム・ヨーソイのキャリアとしてはミュージシャンよりもデザイナーが本職だと思われる。彼が所属するスモール・タウン・スーパーサウンドやルネ・グラモフォンなどのレーベルのジャケットを多く手がけている。ジェイミー・リデルのジムなど00年代はあらゆる所で彼の名前を目にすることが多かった。
Lars Horntveth/Pooka 2004年
このジャケットもキム・ヨーソイによるもの。スモール・タウン・スーパーサウンド出身で一番有名なのは、最近ブレインフィーダーから新譜をリリースしたジャズバンドのジャガ・ジャジストだろう。
日本
細野晴臣/フィルハーモニック
Sketch Show/Audio Sponge 2002年
Sketch Show/Tronika 2002年
Sketch Show/Loophole 2002年
YMO在籍時にリリースされたフィルハーモニーに収録されているエア・コンを初めて聞いた時に「これはエレクトロニカじゃないか!」という衝撃があった。シンセサイザーによるインダストリアルなサウンドはグリッチを思わせる。そんな細野晴臣がエレクトロニカに接近するのは必然で、マーカス・ポップやジム・オルークとの出会いや、ヴンダーやムームなどのフォークトロニカにもほぼリアルタイムで接近していたこともありエレクトロニカ/フォークトロニカに接近する。
元YMO組の細野晴臣と高橋幸宏によるスケッチショーはBGMの頃のYMOを想起させながらも、ブライアン・ウィルソンやジョージ・ハリスンへの偏愛を織り交ぜたポップユニットを立ち上げた。暴動やフレッシュの頃のスライ・ストーンのファンクネスも内包したBGMのその先の音楽を構築していく。
ミニアルバムのトロニカ、ループホールではアイスランドのフォークトロニカシーンを取り入れた仄暗いスタイルに変貌していく。
別のルートでアルヴァ・ノトと共演していた坂本龍一はスケッチショーに参加したことで、HASYOMO、フェネスを起用したYMO再結成へと繋がって行く。
ロシア/ジョージア(グルジア)
Nikakoi/Sestrichka
グルジア出身のニカコイ。FPMもハマったニカコイは共産圏の国でもエレクトロニカが到達したという現実に当時は驚いた。サウンドはエレクトロニカというよりもエイフェックス・ツインやブリストル・サウンドの影響が色濃炒めエレクトロニカに属するのは若干違和感はあるものの、エレクトロニカ以降のDTMの波が東欧まで届いていたことの証となっている。
V.A/RU.Electronic Two
イギリスのローレコーディングレーベルからリリースされたロシアのエレクトロニカコンピレーション。エレクトロニカというよりもアンビエントや、ドイツのテクノやダブ、イギリスのダウンテンポ/ブリストルサウンドなど、ワープの諸作に近い雰囲気の方が色濃い。ロシアらしい暗さがマッチしている。
アルゼンチン
Juana Molina/Segundo
Mono Fontana/Ciruelo
Alejandro Franov/Rio
かつて2000年代前半にアルゼンチン音響派と呼ばれた人々が奏でた音楽を、エレクトロニカやフォークトロニカと括るには違和感はある。生演奏と独特なシンセサイザーの音色は、ポストロックや昨今のニューエイジに分類した方がしっくりくる。とはいえこの頃に世界的に同時多発したDTMブームの最中に起きている事もあり世界的な動向を知る上では外せないシーンだったと思う。(因みに音響派とはポストロックという名前が定着する前にこう呼ばれていた事の名残りとしてこの様な呼ばれ方をしていた。)
日本ではファナ・モリーナのセグンドがいち早く紹介されて、平井堅がフェイバリットに挙げられた事も話題になっていた。フィールドレコーディング(この音像はイギリスのルーラルフォークのヘロンの持つ感覚に近い)やループなど、アコースティックな肌触りの中にエレクトロニックな処理が含まれている。ファナ・モリーナは後にイギリスのドミノ、現在はベルギーのクラムドディスクからアルバムをリリースし始めたことで世界を股にかけるミュージシャンとなった。
初来日でもバッキングでサポートしていたアレハンドロ・フラノフ(ニューエイジ的なアルバムのカーリは名盤)や、スピネッタのバックバンドに所属していたモノ・フォンタナなど、一癖二癖あるミュージシャンが輪を作っていた。山本精一など日本のミュージシャンとも交流が深い。
アメリカ
Town and Country/C'mon
シカゴのポストロックフォークユニットのタウン&カントリー。電子楽器を一切使わないアコースティックな演奏のみではあるが、このアルバムのミニマルな音響感覚はエレクトロニカ/フォークトロニカの感覚に近い。溶け合うアンサンブルが聴きどころの「I'm Appealing」を聴いてもらえばわかるはず。
次回は少し時間を戻し、90年代末からポップ/ロック・ポストロックからエレクトロニカへ接近した人たちの動向を振り返っていきたい。
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