【映画】コーダ あいのうた Coda/シアン・ヘダー
タイトル:コーダ あいのうた Coda 2021年
監督:シアン・ヘダー
フランス映画「エール」のリメイクで、舞台は酪農から漁業に変更されているが大筋の部分は引き継ぎつつかなり丁寧に作り込まれている印象を受けた(両親のセックスについてはフランスという設定の方がしっくりくるのだけど)。ギャガらしい安っぽい副題が邪魔している感はあるけれど、最近観た映画の中ではダントツに素晴らしい内容で誰にでもお勧めできる作品だったと思う。
音楽にまつわる映画ということで、タイトルの「Coda」を音楽用語から取っていると思っていたが、これは”Child of Deaf Adults”の略で聾唖者の親を持つ子供という意味になっている。当然音楽用語のCodaも含まれると思うが映画のテーマを考えると、”Child of Deaf Adults”の方が重要な主題となっている。
聾唖者が抱える社会的な立場の難しさ、問題が起きた時に率先して声を上げられない(実際に言葉を声を出して伝えられない)難しさから社会にコミットしきれない現実を丁寧に描き出している。そして家族を助けるために耳が聞こえる主人公ルビーがその状況に挟まれ、困窮した生活の中で自分のあり方に直面していく。大筋を説明すればこのような内容なのだけれど、対場によって様々な感情のグラデーションがそこにはある。高校生活から大学受験、母と娘、そして父と兄の関係ということでは「レディーバード」にかなり近いと感じた(とはいえ扱っているテーマも違うため優劣はつけられない)。
ほぼ聾唖者の俳優で作られた映画「トライブ」やアニメ「聲の形」でも感じたが、手話という言語が内包している身体的な躍動感は、語気と同じかそれ以上に感情のダイナミクスがある。健聴者にとって視覚や嗅覚と違って聴覚は閉じることができないため、音の無い世界は想像するのも難しいが、この映画では後半のとある場面でしっかり描ききっていた。彼らが人のどの部分に反応し、判断するのか。その場面に触れた時思わず涙腺が緩んでしまった。この場面はやはり映画館でないと体験できないものだと思うし、素晴らしい表現だった。そういった場面と対になるように、残酷なまでに健聴者のルビーと聾唖者の家族との壁もまざまざと突きつけられる。冒頭からルビーは家族といる中で、朗々と歌を歌っているのだけれど彼女が歌っている事に家族が全く気づいていないという場面がさらっと描かれていたが、身体的に分かり合えない絶望も描いている。味方であるはずの家族との関係や、通訳に徹さざるを得ない環境など、マイノリティが抱える困窮と社会との関係性は普遍性を持っている。父フランクがヒップホップのブーンバップな低音を好むのと、ラストでルビーに取った行動の繋がりもハッとさせられた。
二度あるジョニ・ミッチェルのBoth sides nowを歌うシーンは、前後の関係が親密に結びついていて、歌詞がもつ両面性と合わさって素晴らしい効果を発揮していた。数多あるBoth sides nowのカバーの中でもダントツに素晴らしいし、家族の形の全てを代弁しているような曲の持つ美しさは、ジョニ本人の想いを超えた所まで至っていると感じられる感動的なシーンだと思う。
劇中登場する音楽の趣味も良く、合唱シーンの最初で歌われるマーヴィン・ゲイの「Let's get it on」や歌詞に沿った内容のクラッシュの「I fought the law」、ティーンに向けたボウイの「Starman」などポップクラシックが盛り込まれている。マニアックなところでは、マイルズがキングクリムゾンのディシプリン(名盤!)がデザイされたシャツを来ていたり、シャッグスの「My pal foot foot」をレコードでかけたり(反応したマイルズはかなりのロックマニア)とアメリカのエンタメへの懐の深さも感じられる。シャッグスについては別途書き記しているので参照いただければと。
母親役のマーリー・マトリンのインタビューは手話について本質的なことを語っているので、是非観劇後に見て欲しい。