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【映画】カモン・カモン C’mon C’mon/マイク・ミルズ

タイトル:カモン・カモン C’mon C’mon 2021年
監督:マイク・ミルズ

デトロイト、ロサンジェルス、ニューヨーク、ニューオリンズ、アメリカ東西南北にある各都市が上空から映し出させるとき、街の象徴的なランドマークは背景に留まり、行き交う車が中心に添えられる。遠目から見てもそこには車の数だけ人々の生活があり、よくありがちな人が暮らす様子の見えない書き割りの様な都市の風景の写し取り方とは少し違う。主人公のジャーナリストであるジョニーが、子供たちをインタビューする中で”外から見ても分からない。私は何年もそこに暮らしているからよく分かる(うろ覚えだがそんな会話だった)”と語っていたように、マクロな都市の風を捉えた映像の中にも、人々が行き交う姿を車の流れを定点で映し続けている。各都市で生活する子供たちは、かつての盛況から衰退していったデトロイトや、多民族が入り混じるロサンジェルス、昔から移民の玄関口となっているニューヨーク、カトリーナの被害が人々の記憶の中で受け継がれるニューオリンズと、それぞれの都市で生きる様子が彼ら彼女らから語られる。その言葉のひとつひとつに、時折はっとさせられる。この映画は、そう言った市井の子供たちの言葉のドキュメンタリーでもある。
本作「カモン・カモン」では、主人公のふたりである叔父のジョニーと甥のジェシーがロサンジェルスからニューヨークとニューオリンズを旅する話と、ジェシーの母ヴィヴが夫ポールが暮らすオークランドでの悶着が交互に登場する。ジョニーは子供にインタビューをする仕事をしているから、子供に慣れていると勘繰ったのだろうが、長い時間面倒を見るのとわずかな時間接するだけでは天と地ほどの違いがある。特に外で子供の姿を見失う事への緊張感は常にあるというのは、子育てを経験した人ならよくわかると思う。
絶妙なのがジェシーの年齢と、ジョニーが独身である事で、子育てとまではいかないまでも面倒を見るという事態に、いきなり放り込まれる事の大変さに右往左往する。観ている我々も、行動が読めず目を離せないジェシーへの緊張感に引き込まれていく。最後のシーンで、その緊張が解けた時に一人の子供の存在がどれほど大きいのか実感させられるのではないだろうか。何か大きな出来事が起きるわけではないけれど、感情の揺さぶりが起こるジェシーに常に注意を向ける事の大変さは、ジェシーと離れた瞬間にその存在が肌で感じられるように思った。
9歳という年頃は、物分かりがつき始めているけれど目の前にあるもの、あるいは目に見えない現実を感じ取れる頃合いで、母がいなければホームシックにかかり、今自分がいる所(ニューヨークやニューオリンズ)と普段の生活の中で抱える問題に対して少しずつ自分の言葉で理解し始めている。その反面、ジョニーが子供たちにインタビューしているように漠然とした未来についても、周りの状況や環境に照らし合わせて、漠然と不安を抱えている。ジェシーが録音に残した「起きると思う事は絶対起きない。考えもしないようなことが起きる。」といった言葉は世界の一端が僅かながら見え始めた彼の視線の先が綴られている。「だから先に進むしかない。先へ、先へ(C’mon C’mon)」というジェシーの言葉にジョニーは強く心を突き動かされたのではないだろうか。
内に抱えず出していいんだとふたりで叫ぶシーンは、世界をひとりで背負い込むなというジョニーの訴えでもあり、彼自身の心も解放していく。

この映画は監督がインタビューでも語っているように、ヴィム・ヴェンダースの初期ロードムービー「都会のアリス」から影響を受けているという。ヴェンダースもミルズも小津安二郎から影響を受けている。それまでのミルズの作品に比べると、滋味な作品ではあるし派手さは一切ない。

しかし、家族の在り方を撮り続けているミルズの作風の延長にありながらも、叔父と甥という距離感は普遍性を持っている。子供を持たない夫婦でも甥や姪、もしくは近所の子供との関係などでもありえるかもしれない関わり合い方でもある。

劇中に登場した書籍は以下の通り。
・A How-To Guide To Parent-Child Relationship Repair by Andrea Nair
・An Incomplete List Of What The Cameraperson Enables by Kirsten Johnson
・The Bipolar Bear Family: When A Parent Has Bipolar Disorder by Angela Ann Holloway
・Mothers: An Essay On Love And Cruelty by Jacqueline Rose
・Star Child by Claire A. Nivola
・The Wizard Of Oz by L. Frank Baum
「オズの魔法使い」と、ジョニーが感動していた「星の子供」だけでなく、”母とは家族に縛られる存在である(どの本であるかは失念)”という部分は20センチュリーウーマンとテーマが地続きになっている。母と妻という関係性の差はあれど、家庭が作り出してしまう事柄は端々に登場する。

前作20センチュリーウーマンでも、音楽は重要な立ち位置にあったが、今回もさりげなく音楽は登場する。ジェシーの家でオルガンの上にパティ・スミスの本があったり、床に置かれたレコードはヴェルヴェット・アンダーグラウンドのセカンドが立てかけられている(その後のシーンではヴェルヴェッツのライブ盤が同じ場所に立てかけられていた)。

Velvet Underground/White Light White Heat

ヴィヴはミニットメンのシャツを着ていたり、ミルズの趣味趣向が反映されている。

サウンドトラックを担当したのはザ・ナショナルのデスナー兄弟。

サンフランシスコサクソフォーンカルテットによるドビュッシーの「月の光」が特に劇中で印象に残る。ガーシュウィンではなく、この曲を使う辺りに監督の粋を感じさせる。もちろんそこにはガーシュウィンや、多くのアメリカのジャズの元となった音楽との共通項が感じられる。


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