【映画】ラム Dýrið/ヴァルディマル・ヨハンソン
タイトル:ラム Dýrið
監督:ヴァルディマル・ヨハンソン
多分これを観た大多数の人が「一体何を見せられたのだろう?」と口に出さずともそう思ったんじゃないかと。冒頭の吹雪のシーンにタル・ベーラっぽさを感じたと思ったら、エンドロールにタル・ベーラの名前があった。もともと監督はタル・ベーラの元で学びスタッフとして関わっていた人物。さらに流れる音楽の雰囲気がヨハン・ヨハンソンみたいだなと思ったら、まさにヨハン・ヨハンソンのツアーバンドに参加していたソーラリン・グズナソンが担当していた。まあこのふたつだけで、どのような映画なのかわかる人には大体想像が付くと思う。そしてアメリカの配給がA24というのも、何か”それらしい”感じもする。
それにしても感想を書くにも書きようがないというか、説明するのも野暮な気もするし、考察が膨らむかというとそういう話でもない。ばっさりと会話が削ぎ落とされていて、大部分が四人(三人と一匹?)の無言の表情と、アイスランドの農場の景色の雄弁さや、物言わぬ羊たちのどこかおどろおどろしい雰囲気が脳裏に残る。
ホラーやスリラーというよりも、監督がインタビューで語っている通りアイスランドの民話をベースにしたゴシックなファンタジー映画と言った方がしっくりくる。その点でもタル・ベーラっぽい感じでもある。
まあこんな感じかなと観る前から想像していた範疇を越える部分は少なかったけれど、意外と半獣人の女の子アダがチャーミングな感じだったのが予想とちょっと違っていた。異形の存在としてもっと不条理なホラーテイストで描かれると身構えていたら、物語にすっぽりと収まっていて、むしろアダの身に悲劇が起きないで欲しいくらいの感じでもあった。羊の上半身が生々しい割に、見ていてあまり違和感を感じさせない辺りは、流石ハリウッドで特殊効果を担当していた監督だけはあるのだなと感心してしまった。そもそもアダという存在が違和感の塊だから、却ってその生々しさが際立つのかもしれない。主人公夫婦の弟のペートゥルが直面した驚きと違和感と慣れへの流れが、まさに観客と同じ気持ちを表していた。
ひとつ分かりにくかったのが、主人公夫婦がかつて娘を亡くしていた事。墓が出てきたり、納屋にしまってあったベビーベッドがかつてアダという娘がいた事を示唆しているのだけれど、捉え方によっては他にも何人か半獣人の子供がいたのか?と勘繰ってしまう。見落としている部分もあったかもしれないので何とも言えないが、その部分はもう少し強調して欲しかった。
それにしてもノオミ・ラパスの演技は見どころで、ラストの涙が鼻筋の横をスッと流れる所は奇跡的なショットじゃないかと。台詞が少ないだけに、俳優それぞれの立ち振る舞いが上手く描かれていたと思う。
面白いのか?つまらないのか?で語れないなんとも不思議な映画である。不条理で妙な家族ものでもあり、アイスランドの自然の過酷さや、家の使い方など映像だけを楽しむのも一興ではないだろうか。
先にも挙げた通り音楽は不協和音がソリッドに響くポストクラシカルな作品なので、その手の音楽が好きな方はこれだけでも楽しめる。