【映画】荒野にて Lean on Pete/アンドリュー・ヘイ
タイトル:荒野にて Lean on Pete 2017年
監督:アンドリュー・ヘイ
ゲイの主人公の孤独を描いた「ウィークエンド」、シャーロット・ランプリングの演技が印象に残る「さざなみ」を監督したアンドリュー・ヘイによる作品。イギリスのフィルム4製作でアメリカはA24から配給され、グザヴィエ・ドランも賞賛を送っている。
主人公チャーリーの15歳という少年に突きつけられる現実は、余りにも重くのし掛かっていて辛い物がある。父の死とともに行き違いで離れ離れになってしまった叔母を頼るすべを失ったチャーリーと、競走馬としての使命を終えた馬ピートとの共存の行く末は鼻から破綻しか生みようがない。チャーリーがなけなしの金を持って逃亡しても、行き着く先はさほど遠くない場所までしか導き出されない。とは言え、この映画は馬と少年の在り方を問う映画ではなく、あくまでもアメリカの社会的のシステムからこぼれ落ちた人々がどの様に生きて行くかを描いている。
A24で配給された「アメリカン・ハニー」や「フロリダ・プロジェクト」の様に、昨今ひっ迫した生活を主体とした映画が多く描かれているが、この映画は15歳の少年が父親の死と共に自分の居場所が失われようとする最中の話を描いている。初っ端から破綻した生活が前提だった「アメリカン・ハニー」と「フロリダ・プロジェクト」と比べて、恵まれた生活とは言えないものの父親との生活は足並み揃えて生きていこうとする姿が描かれているが、チャーリーはまともに学校に通うこともままならない状態。映画の前半で描かれるスティーヴ・ブシェミ演じる競走馬の馬主デルの元でバイトしながらの生活は、救いを感じさせるものの競走馬というものの在り方の現実が所々差し込まれる。クロエ・セヴェニー演じるジョッキーのボニーが何度も「馬を愛してはいけない」と主人公チャーリーに告げるけれど、ピートに自分の行く末を投影してしまったが故に感情を切り離す事が出来ずにいる。
監督したアンドリュー・ヘイの様にヨーロッパの人から見たアメリカの姿は、広大でとにかく長い道が眼前に広がっている。どんなに歩けど広がるのは荒野ばかり。場当たり的な行動は犯罪を巻き起こし、ひとつひとつが不安の種としてしこりになって行く。ラスト近くで悪夢を見るというのも、10代の心の脆さを感じさせるものの、誰しも抱える明日は我が身と言える不安を如実に表していた。アメリカという場所だからこそ描けた作品ではあるものの、こういった不安や居場所のなさは普遍的なテーマを持っている。安住の地を得た後の不安な表情も、常に映画の中に流れる拠り所のなさがひしひしと伝わってくる。
デルとの食事のシーンでマナーがなってない(という割にはろくなものを食べてない)という部分に片親の事情が挟まれていたり、チャーリーの仕事姿は真面目に接している所などはキャラクターがよく分かる。環境は底辺にありながらも、彼は決してスレてはいない。だからこそ、生きる上で起きる諸々の出来事が重くのしかかってくる。家庭環境や所得に左右される十代の機微を丁寧に取り上げたからこそ、彼の一喜一憂に胸を打たれる。身元引き受け人がいない状況から抜け出そうともがくチャーリーと、法的な保護に頼る大人の姿は間違ってはいない。けれど、当人の幸せを考えればそこに大きな断絶がそびえている。この点が「フロリダ・プロジェクト」とは大きな違いで、ある程度自立できる年齢かどうかで、描き方が変わってくる。この映画でのチャーリーは選択できる立場であり、それを勝ち取るという行動がその全てである。その先にあるものは、償いかもしれないし、他の十代と同じ様に過ごすだけの生活かもしれない。そんな明日への不安がラストシーンに込められていると思われる。
そしてラストで流れるボニー”プリンス”ビリーの曲が物語を代弁する様に流れている。
それにしても、ポートランドからワイオミングのララミーまでの道のりは、途中アイダホを通過しながらもかなりの距離がある。アメリカは広い。