【映画】エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス Evrything Everywhere All At Once/ダニエルズ
タイトル:エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス Evrything Everywhere All At Once
監督:ダニエルズ
めちゃくちゃ変な映画だった「スイス・アーミーマン」のダニエル・クワンとダニエル・シャイナートのコンビ名義ダニエルズ。その後ダニエル・シャイナート単独で監督した絶句する奥さんのヴィジュアルと同じくらい絶句した「ディック・ロングはなぜ死んだのか?」(長いチンコって…)を挟んで、待望のダニエルズ名義での新作。全部何もかも滑っていた「ディック・ロング」のアナル挿入は本作でも出てくるのだけど、下世話なユーモアはシャイナートの持ち味なのかな?今作ではSM趣味の男をシャイナート自身が演じていて、彼のしょうもなさがちゃんと笑いと感動に転化されている。バカだな〜、うんうん、良かった良かった。
それにしてもまさかA24の作品をIMAXで観ることになるとは思わなかった。本国アメリカで大ヒットしているし、日本公開初日の今日もほぼ満席。一年かけてギャガが大量に広告を打っていたのもあるけど、ちゃんと人が入ってた。
これだけメタな映画が受け入れられる状況が、アメリカ国内に限らず起きているのは本当に面白い。マーヴェルで散々マルチヴァースが描かれてる状況もあるせいか、アート系映画ファン以外にもリーチ出来てるのは中々稀有な事だと思う。分かりにくさと分かりやすさが同じくらい同居してるし、アクション映画的なケレン味がありながらも、日常のしょうもない出来事が常に付き纏っている所なんかもリアル。
普段の生活の中で事故や病気に見舞われた時、意外なほど明日の事が頭の中でいっぱいになる。アクシデントな状況に対して、目の前の事よりも些細な日常に帰ろうとする。明日までの支払いをどうしよう?仕事は?子供の送り迎えは?日常がストップするほどの出来事でも、頭の中は日常のサイクルに囚われている。劇中では常に税金と赤字のコインランドリーの事と、宇宙全体を巻き込む諍いが並列で存在している。目の前の大きな出来事と同じくらい、税金の対策に頭を悩ませる。メタな状況と滑稽なまでに日常が交差する。この映画がグサリと刺さってくるのは、映画というファンタジーの中で非日常と日常が交互に出てくる状況にリアリティがあるから。映画を観ながらも、終電を気にしたり、明日の事を考えたりするもの。その匙加減が巧みに描かれているからこそ、マジョリティを得ていると感じられる。
その一方で、人生の選択がもし違っていたらという異なる現実が描かれているが、その”もし”があらゆる現実と重なる時、異なる現実が混ざり合い無いものねだりなそれぞれの現実が折り重なる事で、各人物が超越した理解を得る。願っても見なかった成功も、逃げ出したい現実も、それぞれで叶わぬ夢があって、あらゆる世界線を通じる事で互いを理解し合う。ある時は憎しみあい、ある時は愛し合う。それらが混ざり合う時、自分も他人もひとりでは無い事と、自分の身の回り以外はどうでもいいという結論に至る。馬鹿馬鹿しく滑稽な表現の連続の中に、他人や家族を受け入れる関係があらゆる世界を通して繋がりを持つ。これは現実なのか?と問う以上に、これが現実であり超越した世界でも日常が続いていく無情で不条理な現実を受け入れていくラストに、意味も分からず涙が溢れた。
膨大な引用が挟まれる映画であるのだけど、様々な映画体験をしていると楽しめる作品なのは間違いないが、そうでなくともリアルに感じられるのではないだろうか。ウォン・カーウァイや、キューブリック、ディズニー、ヴォネガット、グリーンデスティニー、ハロウィンなどダイレクトな引用は多々あれど、人間模様の機微をちゃんと描いた辺りにこの映画の本質がある。ダニエルズがヴォネガットの「猫のゆりかご」をドラマ化しようとして頓挫したのが悔やまれる。本作は「スローターハウス5」へのオマージュでもある。
それにしても一番驚いたのが、アライグマ役のランディ・ニューマン。ピクサーの音楽を手掛けるニューマンを起用しているのはダニエルズらしいユーモアだと思う。
音楽はサンラックスが担当していて、ポーツマス・シンフォニアばりの音程を外したメタな「ツァラトゥストラはかく語りき」は笑わせてくれる。ミツキやモーゼス・サムニーをフィーチャリングしているのも今っぽい。