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【映画】ラストブラックマンインサンフランシスコ The Last Black Man In San Francisco/ジョー・タルボット
タイトル:ラストブラックマンインサンフランシスコ The Last Black Man In San Francisco
監督:ジョー・タルボット
映画の舞台となるサンフランシスコは近年、ベイエリアの居住区の中心都市として人気が高まっている。アップルやグーグル、ツイッター、アドビ、フェイスブック、ピクサーなどサンフランシスコの中や、その近隣に大きな会社が多く存在しているため、サンフランシスコの地価は何年高騰し続けている。90年代にサンフランシスコに移住した野沢直子も、何倍にも膨れ上がる近年の地価高騰について驚きと共に話していた。
特にこの十年ピクサーやアメリカの実写映画で、やたらとサンフランシスコが登場するのは、そういった企業が多く存在していることも関わっている事も大きい。しかし本作で描かれるサンフランシスコはそれらとは真逆で、サンフランシスコという土地に昔から住む人々がどの様に暮らしていたのかが焦点となっている。
劇中、空き家を不法占拠する話をみてまず思い出すのがグレイトフルデッドで、たしか60年代には彼らも空き家を不法占拠し暮らしていたはず。ロックとサンフランシスコの密接な関わりとしては、50年代のビートニクスの存在がある。1953年にオープンしたペーパーブックスを主に扱うサティライツブックスを中心に、詩人アレン・ギンズバーグやジャック・ケルアックなどが集まり、ビートの聖地と呼ばれるようになる。ビートニクスに影響さたカルチャーは60年代半ばにヒッピーブームへと連なり、ジャニス・ジョップリンやグレイトフル・デッド、劇中でも曲が流れたジェファーソン・エアプレインなどのサイケデリックロックカルチャーへとつながっていく。ジェファーソン・エアプレイン「Somebody to love」(のリミックス)が流れるのは、かつてあったサンフランシスコのカルチャーの一端を表している。
80年前後のサンフランシスコも、家賃が安いという理由でパンク/ハードコアバンドの拠点のひとつでもあった。昨今の地価高騰以前のサンフランシスコの暮らしを考えた時に、かつてはビートニクスやサイケデリックカルチャーの中心だった事や、地価が安かった時代があった事がある。
シティライツブックスは今でも存在しているし、かつてサイケデリック/ヒッピーカルチャーの中心だったヘイトアシュベリーは観光地となっている。
シティライツブックスは書店と出版に分かれていて、開店当初から書店を切り盛りしていたのが日系アメリカ人のシゲオ・ムラオだった。ムラオは第二次大戦中にアイダホで捕虜として収容されていたが、その後シティライツブックスの立ち上げから関わっている。元々日系移民が多く住んでいたサンフランシスコは今でもジャパンタウンがあるように、その足跡は各所に残っている。
日本とサンフランシスコの繋がりは深く、古くは江戸時代まで遡る。1860年に江戸幕府が遣米使節が訪れた事や、1869年に会津若松藩がゴールドラッシュに沸く西海岸にお茶などの農作物を作るためにサンフランシスコを拠点に訪れている。
詳しくは以下のサイトを参照していただきたいのだけれど、ゴールドラッシュの影響で土地の水が汚染されていたというのも、この映画と繋がるシチュエーションにも感じる。
サンフランシスコはアジアの人々がアメリカに入国する入り口となっていた事と、第二次世界大戦まで多くの日系人が暮らしていた事がバックグラウンドとしてある。映画の中でも第二次世界大戦まで日系人が捕虜として収容され、彼らが暮らしていた場所に、軍需産業を目当てにしたアフリカ系アメリカ人がアメリカ南部移住した歴史がある。ジャパンタウン周辺がそれに該当するのだけれど、1950〜60年代の開発により大半のアフリカ系アメリカ人も立ち退きにあっているようだ。
映画に話を移すと、主人公ジミーがかつて家族と暮らしていた生家を巡る話になっている。サンフランシスコに多く見られるヴィクトリア調の豪奢な建物で、外観だけでなく建物の中の造りも見ることが出来るのもこの映画の楽しみのひとつだと思う。
ジミーとモントが暮らす家はサンフランシスコの北側のゴールデンゲートブリッジの麓にある場所で、ユニオンスクエアなどの街の中心からはかなり離れている。バスで移動しなければ中心まで行けない距離である。
ジミーの父親が暮らす「STAY」と書かれたビルはユニオンスクエアの近くにある。このビルは、僕が2014年にサンフランシスコを旅行した際に泊まったホテルから見える位置にあって、強く印象に残っている。旅行のガイドからは、少し治安の悪い地域という事を聞いていたため、写真を撮って足早に通り過ぎた。
日本と異なり、ブロックごとに人種や所得の異なる人たちが住む雰囲気の違いを肌で感じた。
ジミーがかつて暮らした生家の地域はすでに裕福な白人だけが住む場所になっていて、売りに出されたその家も4000万ドルという高値が付いている。暮らしていた白人夫婦は親族の遺産争いで、家を手放さなければいけなくなるというのもアメリカの事情を伺わせる。
家の生い立ちについては後半で、事実が明かされるがモントの家の前でたむろっている青年たちの会話の中で「黒人同士の会話の中では話を盛る」という話をしていた事が、ジミーの祖父の話に繋がるのではないかと思う。
サンフランシスコを舞台としながらも、他の映画と異なるのはそこに暮らすマイノリティを描いている点だと思う。ジミーとモントは他のアフリカ系の人々とは少し様子が違うし、唐突に現れるヴァン・モリソンとニール・ヤングを足して割った見た目の全裸の男性や、やたらと歌の上手いホームレスなど裕福な街に暮らす日の当たらない人々を描いているのもこの映画の特徴といえる。
「ゴーストワールド」のイーニドがほんの少し出てきて、相変わらずパンキッシュな格好をした二十年後のイーニドが相変わらず悪態をついている姿は微笑ましい。
映画の後半は少し冗長な印象もあったけれど、映画全体で描かれるサンフランシスコの街並みは美しい。劇中何度か出てくる横に舐めるカットは、街のあらゆる人々が圧縮されたように登場していて、さながら舞台の演出のように感じた。後半登場する舞台の場面とクロスするかたちで、ある種ジミーが見ている街を内面から映し出したようなキッチュな感じがユニークさを演出している。
過去から抜け出そうとするジミーの結末は、荒波の中を突き進む先にある。