【映画】イニシェリン島の精霊 The Banshees of Inisherin/マーティン・マクドナー
タイトル:イニシェリン島の精霊 The Banshees of Inisherin 2022年
監督:マーティン・マクドナー
広大な海岸線に模様の様に張り巡らされ積まれた石。不思議な景色を観て、ここは一体何処なのだろうと思うのだけれど、物語が進むにつれ十字に円が施された特徴的なケルトの十字架があるのを見てアイルランドなのだと気付く。
予告で意味深に映し出されたふたりの一方的な仲違いの理由が、冒頭で意外なほどあっさり語られていて少し拍子抜けしたが、物語は不穏な空気のまま進んでいく。主人公ふたりの関係は、明らかにアイルランド内戦のメタファーであり、血の日曜日でもあるのではないだろうか。血の日曜日といえばてっきり1972年の出来事だけかと思っていたのだけど、調べたら1920年にも血の日曜日が起きていた。100年前の出来事ではあるが、IRAが武装解除したのは2000年を超えてから。元々1920年に起きたイギリスから独立を試みたアイルランド紛争は、プロテスタントとカトリックによる宗教戦争であり、結果的にアイルランドは北と南に分断されることになった(余談ではあるが、U2のWith or without youはプロテスタントとカトリックの両親について歌われた曲)。分断後にアイルランド国内で内戦が勃発し、本作の対岸の出来事として登場する。
物語の中の主人公ふたりの男たちの滑稽な諍いと、国内で争う姿がオーバーラップされている。ふたりの諍いは歴史を守るものと、自分の意思を通そうとして歴史を破壊するものの対比のようにも映る。
そんなシリアスな時代背景がありながらも、オフビートなコメディでもある。「聖なる鹿殺し」や「アフターヤン」などアート系作品の出演が増えて来ているコリン・ファレル演じるパードリックの、良いやつなんだけれど間の抜けてるキャラクターは、物語の進行と共に無垢と無学さが絶妙に交差する。一方のブレンダン・グリーン演じるコルムの極端な行動は不可解ではあるものの、余生のために自分の信念を貫こうとする。楽器を演奏するのに重要な左手の指を切り落とすという事が、命の次に重要なはずなのに惜しげもなく切り離し扉に投げ飛ばす。信念を貫く事が、文字通り身を切るという行動に痛々しさと痛切な想いが読み取れる。しかし指を切り落とすのは一体どうなんだ?指が無かろうが、曲を作る事が出来、自分の足跡を残す事ができるという事なのだろうか。極端過ぎて、些か理解を超える行動なのだろうけれど、戦争のメタファーとして受け入れるしかないというか、この辺りはマーティン・マクドナーのブラックなユーモアなのかもしれない。
ある種の滑稽さから笑いが生まれるが、笑いに転化しきれてない感もある。前作「スリービルボード」での無情なまでに皮肉な不条理さは、本作ではあまり発揮出来ていなかった様に感じた。バリー・コーガン演じるドミニクの死が、あまり物語に陰を落とした様に感じられなかったのも一因だったのでは。
それにしてもバリー・コーガンが画面に出ると、途端に何かが起こる前触れにしか思えないのがちょっと難ありに思えてくる。「聖なる鹿殺し」や「アメリカン・アニマルズ」、「グリーン・ナイト」と不穏さを象徴するキャラクターばかりだったので、出てくるだけでどうしても途端にフラグが立つのが気になる。
※追記
先ほどヒットマンズレクイエム(なんだよこの邦題。原題In Bruges)を観て納得。社会が取り巻くホモフォビアと、内なるゲイの視点はたしかに「スリービルボード」でも描かれていたし、ヒットマンズレクイエムでもゲイの話が少し出てくる。「イニシェリン島の精霊」でも具体的なゲイかどうかの描写は入れなくても、敢えて会話の中にゲイの話を盛り込んでいたのはそういう事かと。身を切ってまで遠ざけようとする態度はなんか腑に落ちる。