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【映画】アフター・ヤン After Yang/コゴナダ


タイトル:アフター・ヤン After Yang 2021年
監督:コゴナダ

建築の街コロンバスを淡いテイストで描いた「コロンバス」、日本統治下の韓国から日本に渡った在日コリアンを扱ったapple TVのドラマ「パチンコ」(監督したのは前半のみ。日本ではあまり注目されてない。)で注目を集めるコゴナダ。新作はA24とのタッグでテーマは意外な事に近未来SF。A24配給でSFといえばジョナサン・グレイザーの「アンダー・ザ・スキン」、新作も待ち遠しいアレックス・ガーランドの「エクス・マキナ」、ヨルゴス・ランティモスの「ロブスター」など一風変わったものが多い。「アフター・ヤン」も多分に漏れず有りがちなSF観とは異なった、より普遍的な実存の世界に足を踏み入れている。
物語は“テクノ”と呼ばれるAIアンドロイドであるヤンが突然故障する所から始まる。”テクノ”はベビーシッターであり、家政夫のような存在でもある。そのヤンか故障したため修理に出して不在になった事で、彼がいかに家族の中に溶け込んでいたのかが徐々に明らかになってくる。それ以上に困惑させられるのがファーストシーンで登場する人種の異なる家族3人の姿で、白人の父ジェイクと黒人の母カイラ、アジア人のミカとぱっと見ただけで一体どのような家族なのかが分からない。物語が進むにつれ、娘が養女として引き取られていた事と、中国の言葉や伝統を伝えるためにアジア系の見た目をしたヤンが迎え入れられた経緯が明らかになってくる。赤ん坊の頃からヤンに触れていたミカは兄として受け入れていたけれど、ジェイクとカイラはあくまでもアンドロイドだという先入観の方が強い。この辺りの関係性がはっきりと言葉では表さないものの、各人の会話から読み取れる。
ヤンの中に埋め込まれたスパイウェアに記憶されたメモリを辿っていく事で、彼がいかにして家族を見守っていたのかという事と、AIの中に湧き出たある種の愛情に近い感情が生まれていたのではないかと感じさせる。1日に数秒だけ録画される映像は、ヤンのメモリに蓄積され森のような小宇宙を形成する。ささやかな家族の日常だけでなく、窓から刺す光や、自然の風景などなんでも無い一瞬の記憶の積み重ねでもある。
アンドロイドととして、役目を終えれば無に帰るプログラミングをされているヤンは「僕は気にしません。終わりが無であっても。無がなければ有も存在しない。」と語る。ヤンの記憶を辿る事で、そこには人間とAIに差はあるのか?という問いが生まれてくる。AIやクローンが人間になりたがっているなんて思い上がりというフレーズがあるように、彼らには彼らなりの生き方がそこに生まれているという現実に直面することで、種の異なるものの壁と、それを超えた関係に気づく。
この映画は人種だけでなく、アンドロイド、クローンといった種の壁も題材になっている。ジェイクはクローンを差別しているし、アンドロイドも小間使いとしての存在が先立っていた。アンドロイドのヤンとクローンのエイダの出会いも、彼らの中では不自然な形でありながら、友情が芽生えることで互いを理解しようとする。人が人を理解しようとして、時には誤解を招き、時には愛情や憎悪まで発展する。映画のなかで理解する/しないで愛情や憎悪の感情に巻き込まれるのは人間である。ピュアな存在としてのアンドロイドとクローンは些か潔癖な感もあるが、大概のいざこざは邪推する人間が巻き起こしている。理解や感情とは何か?それをヤンのさらに深い記憶に触れる事で、家族3人がその壁を取り払っていく。こういった視点は韓国系アメリカ人であるコゴナダの出自が関係している。

アジア系アメリカ人として、僕がいつも考えている事だった。アジア人である事はどういう事なのか。アジアの言葉を話せるからなのか。特定の外見をしているなのか。歴史的な豆知識を知っているからなのか。それらがアジア人という僕のアイデンティティを構成しているものなのか。

アフター・ヤンパンフレット コゴナダインタビューより

チャイナタウンのある何処かは分からない場所を舞台にした近未来のSFという形をとりながらも、人間だけに限らない実存をテーマにした本作を観終えると映画の全体像として淡い印象が残る。明瞭で明快なものではなく、不確定な感情にまつわる物語以外にも、接木の話や、お茶についての話、ヤンが辿った家族の物語、生と死などを過去の記憶から紐解く事で、淡い色合いを持たせている。鑑賞後に思ったのは、手塚治虫が好みそうなテーマだなと感じた。
前作「コロンバス」と同様に、建築も本作で重要な立ち位置を占めている。主人公家族が暮らす家はジョセフ・アイクラーによるミッドセンチュリーモダン建築が使われた。パンフレットには家の模型の写真が写っているので、是非手にとって欲しい。
熱狂的な小津安二郎ファンのコゴナダではあるが、サウンドトラックも興味深い。坂本龍一が一曲提供し、その他のサンドトラック部分はHIKARIの「37セカンズ」のサウンドトラックも担当したAska Matsumiya。ゴールドムンドみたいなポストクラシカルな曲から、冒頭のダンスシーンの音楽など、全体的にアンビエントな音楽が奏でられている。一曲だけ聴き覚えがある曲が流れて、メロディを追って行って気付いたのがUAの水色のストリングスカバーには意表を突かれた。

他にもMitskiが歌う岩井俊二の「リリィ・シュシュのすべて」で使われた小林武のGlideのカバーなど日本ゆかりの曲も並ぶ。映画の中ではヤンがLily Chou Chouと書かれたシャツを着ていて、ライブを観に行くシーンが挿入されている。


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