ルイス・アルベルト・スピネッタの軌跡⑥/フォークランド紛争と”Kamikaze”
・フォークランド紛争と神風
1982年4月2日、与党独裁政権は1833年にイギリスが占領したマルビナス諸島を軍事的に奪還する決定を下す。民主主義回復のための民衆による運動が大規模なものになり始めていた時期である。三ヶ月に渡るこの戦争はアルゼンチンに膨大かつ複雑な影響を与え、矛盾した側面を持っていた。
5月16日には軍部はフォークランドにいる兵士のために慈善コンサートを主催した。レオン・ヒエコやスピネッタ、チャーリー・ガルシアは参加したが、当時アルゼンチン国内で盛り上がりをみせていたニューウェーブのバンド、ロス・ヴィオラドレスやヴィールスなどは軍部のために演奏するのは馬鹿げていると参加しなかった。これらのバンドはバンドは脅迫の末ラジオなどのメディアから追放された。
零下40度の極寒の中のフォークランド諸島。サッチャー政権下のイギリスは軍を派兵し、アルゼンチン軍とNATO軍との戦いはマルビナス戦争につながった末、6月14日にアルゼンチン軍は降伏する。フォークランド紛争は与党政権の最後の悪あがきで、武力で秩序を保とうとした末の参事だった。その余波として、多くの死者を出した少年兵ら若者たちの敗北があった。一方で、世界地図上でのアルゼンチンの同盟関係や文化的立場を完全にバラバラにし、アメリカやヨーロッパから遠ざけ、ラテンアメリカや南の国々に近づけ、独裁政権を崩壊させ、民主主義の回復への道を開いた。戦争を引き起こしたガルチェリ大統領が建国以来初めて敗戦の責任を問われ、大統領を辞任し失脚。アルゼンチン国民も、この敗戦にかつてないほどの反軍感情を高まらせ、すぐに急進党のラウル・アルフォンシンに政権交代が行われ民政移管が完了する。1983年12月に政権が変わると、軍事独裁政権の長く暗い時代は幕を閉じ民主化への道のりを歩み始める。
このような状況の中で、長い間抑圧されてきたアルゼンチンの「ナショナル・ロック」は、爆発的な人気とマスメディアのバックアップを得ることになった。当時アルゼンチンでは英語のロックは禁止され、スペイン語の音楽が推奨された。国営ラジオはスペイン語のロックのみを流すことが許されたことで、アルゼンチンのロックへの注目が集まり再浮上するきっかけとなった。独裁政権の中で音楽への弾圧は弱まり音楽業界に変化が訪れようとしていた。
一方イギリスではフォークランド紛争についての歌が残されていた。元デフ・スクールのメンバーでマッドネスのプロデューサーでも知られるクライヴ・ランガーが作曲、エルヴィス・コステロが作詞し元ソフト・マシーンのロバート・ワイアットが歌った名曲「Shipbuilding」が1982年8月20日にリリースされている。フォークランドに関わるワードは一切出てこないが、戦争に振り回される市井の人々を描いた歌詞では以下の様に綴られている。
その価値はあるのか?
妻への新しい冬物コートと靴
男の子の誕生日には自転車をプレゼント
街中で流された噂に過ぎない。
女性や子供たちによって
すぐに造船は始まる...。
私は尋ねる。
少年は「父さん......僕は派兵が命じられた。
でも、クリスマスまでには戻ってくるよ」。
世界中の意志を持って
命がけのダイビング
真珠を探して潜ることができるのに...。
クリスマスまでに終わると思われていた第一次大戦と、第二次大戦のパールハーバーを思わせる真珠というワードは二つの大戦を彷彿とさせる。造船による特需は街の物資を潤し、現在まで続く戦争特需を得た人々の様子も描いている。しかし新しい船を建造する一方で、これらの地域の息子たちを戦場に送り出し、同じ船で命を落とす可能性があるという皮肉を強調している。
・Luis Alberto Spinetta/Kamikaze 1982
リリース:1982年4月
Todas las canciones fueron compuestas por Luis Alberto Spinetta, excepto donde se indica.
Kamikaze 3:15
Ella también 4:06
Águila de trueno Parte I 2:58
Águila de trueno Parte II 1:23
Almendra (instrumental; compuesta por Spinetta y Eduardo Martí) 2:43
Barro tal vez 3:22
¡Ah, basta de pensar! 2:45
La aventura de la abeja reina 4:57
Y tu amor es una vieja medalla 2:48
Quedándote o yéndote (compuesta por Spinetta y Martí) 3:32
Casas marcadas 5:11
Luis Alberto Spinetta: Guitarra acústica Ovation, platillos, efectos y voz.
Diego Rapoport: Piano Yamaha, Piano Rhodes, Mini Moog y OBX-8 en temas 2, 6, 8, 10 y 11.
Eduardo Martí: Guitarra acústica Ovation en tema 5.
David Lebón: Percusión de banqueta en tema 4.
Ingeniero de Sonido: Gustavo Gauvry y Amilcar Gilabert.
Mezclado: Gustavo Gauvry.
Productor Ejecutivo: Alberto Ohanian.
Equipamiento: Juan Carlos Camacho.
しかし同時に、日本の「神風」についての話や、先住民族の指導者トゥパック・アマル2世に捧げた「Águila de trueno」という曲で、彼はその瞬間の複雑さと、世界の権力者の利益のために、敗者の犠牲を低下させたり汚したりしてはならないことを表現した。スピネッタはこの立場を、アルバムの内袋に書かれたメッセージに集約した。
2月から3月にかけて録音されたこの作品は、4月2日にフォークランド諸島が軍事占領され、フォークランド紛争が勃発した時期に合わせて1982年4月に発売された。戦時中に行われたラテンアメリカ連帯フェスティバルでは、このアルバムから2曲、「Barro tal vez」と「Ella también」を演奏している。オブラス・サニタリアスで開催されたラテンアメリカ連帯の祭典に参加して6万人の観衆を前にするなど、スピネッタはマルビナス戦争中、力強く自らを表現し脚光を浴びていた。
アコースティックな雰囲気を持つこのアルバムには、スピネッタがまだ10代の頃に作曲した最初の曲「Barro tal vez」をはじめ、さまざまな時代に作られた未発表の曲が収められている。タイトルの「Kamikaze」「Águila de trueno」は、人間の行動の犠牲と実存的評価に言及していて、マルビナス戦争を捉え直している。
1982年2月にEstudios Del Cielitoで録音を開始し、スピネッタ・ハーデの契約の都合もあり、同年4月に雑誌「Mordisco」のインディペンデント・レコード・レーベルから、プロモーションを最小限に抑えたごく少数の生産数でリリースされた。
このアルバムは、8月14日と15日にオブラスで披露された。
アルメンドラ以前の1965年からバンダ・スピネッタの頃の1978年までの様々なセッションで外された曲を含むアルバムとなった。
スピネッタは「KAMIKAZE」というコンセプトを通して、人生における情熱の役割から犠牲、大義のために死ぬ行為、商業的・公的な押し付けや誘惑に対するアーティストの抵抗、そして創造に伴うリスクまで、多角的な視点で取り上げている。アルバムのインナースリーヴに書かれたスピネッタのマニフェストは、このビジョンを問いでまとめあげようとしている。
この問いについてフアン・カルロス・ディエスとの会話で、このアルバムについての次のような会話が残されている。その中でスピネッタは自分を神風だと認識している。
「神風」というテーマは、我々日本人にとってかなりナイーヴな問題で、少年たちの悲惨な結末に対して単純に美化する事は、戦争を肯定する意味合いをも孕む危険性がある。スピネッタは特攻隊の自殺的行為の不条理さを否定しているが、「商業的自殺」と「芸術的な革新」意味するものとして「神風」を取り上げ、少なからず美化した形で引用している。しかし歴史を紐解くと事はそう単純ではないことがわかる。拍車をかける様に、ジャケットに映る人物の存在を知れば第二次大戦時の日本の戦争の在り方を考えさせられる。ジャケットに映るのは17歳で神風特攻隊員だった大河正明という人物で、彼は朝鮮出身で本名は朴東勳という朝鮮名だった。
第二次大戦末期の日本の兵士の不足による学徒動員の中で、多くの十代の少年が駆り出され「神風」として散っていくが、朝鮮系の人々もゼロ戦に乗り込み戦地に特攻していた。日本国籍の少年だけでなく、朝鮮系の少年も「神風特攻隊」に参加していた。さらに大河正明が靖国神社に合祀されているのも事を複雑にしている。
権学俊氏による「韓国における朝鮮人特攻隊員像の変容」(P73)を以下少しばかり引用する。
「(大河の)家族へのインタビューを通して、彼の特攻と死は天皇への忠誠心ではなく,幼少期からの飛行機への関心と愛着が生んだ悲劇であると結論付けている。(中略)朝鮮人特攻隊員が置かれ た時代背景を分析しながら,彼らの身元の把握や若 者の飛行機への憧れ,職業の一環として家族を含めてより良い生活を送るための進路であった「志願」 という制度(があった)(中略)特攻隊員に選ばれるも生き残った人々が,解放後韓国空軍の設立・発展の中で重要な地位を占め,その後の朝鮮 戦争においても神風特攻隊の戦略や戦法がそのまま踏襲されるなど,韓国社会は朝鮮人特攻隊員の存在 を否定しながらも,実際は植民地時代の戦争経験が 色濃く残り続けるという歴史のアイロニーを鋭く指摘した。」
小泉元総理大臣が在任中に靖国神社参拝した事をきっかけに、韓国国内で大きな反発を生み出していた。
「その後1990年代中頃から,特攻隊そのものを批判する新聞記事は度々掲載されている。但し,2004年に日韓首脳会談の場所として予定されていた鹿児島県が,特攻隊の発進基地として軍国主義の色彩が濃いという理由で,韓国政府内部で場所変更が議論された,という内容であり,「神風」という単語に日本に対する強烈な嫌悪感を滲ませた論調の中では,とても朝鮮人特攻隊員に対する客観的な記事を期待できる状況ではなかった。朝鮮人特攻隊 員・朴東勳(日本名・大河正明)の死後,母校に建てられた碑が住民によって破壊された,という報道からでも分かる通り,特攻隊は「軍国主義の象徴」であるという認識が崩れる気配は一向に見えなかった。」
大河は決死と書かれた遺書と、生前の肉声が残されている。
1910〜1945年までの朝鮮半島は日本植民地時代であり、朝鮮系の若者の多くも学徒動員に駆り出されていた出来事は、今なお時代の爪痕として残っている。
さらにアルバムにはBサイドのレーベル面に神風特攻隊員の写真が扱われている。
スピネッタは「Los kamikazes」という本を読み、アメリカが広島と長崎に原爆を投下し都市を壊滅した事で、神風特攻隊の自殺行為が無意味になったことを知った。 スピネッタが歩んだ道は、西側の異文化に対する軽蔑の態度とは逆の方向に進み、違いの複雑さを掘り下げようとしていた。
この神風行為の高貴さを、スピネッタはこの曲の歌詞の最初で表現している。
最後の一歩
尊い神風
スピネッタは、この曲の中で、ある目的のために死ぬという決断を「しかし、それが不名誉なことだと思われないように」批判しようとしている。
アルバムのサウンドについては、再結成アルメンドラでも使用されたピエゾピックアップが特徴的なオヴェイション社のエレクトリックアコースティックギターでの弾き語りをメインに、ディエゴ・ラポポルトのピアノまたはキーボードを伴奏と、ベースやドラムは抜きで元ペスカード・ラビオーソで元セル・ヒランのダヴィ・レボンがパーカッションを担当した。スピネッタは「Águila de trueno Parte II」と「Y tu amor es una vieja medalla」の2曲で、ローランドのリズムマシン「Dr.Rythm」を使用した。アルバムを特徴づけるアコースティック・サウンドは、統一感と音楽的・思想的な一貫性を与えており、アルゼンチンロックの大半がエレクトリック楽器を多用した時期に、アコースティックで音量を抑えた「Kamikaze」というアルバムを真の「創造的な神風」に引き上げている。アルゼンチン最初のメタルバンドから、ヴィールス、ソーダ・ステレオのようなニューウェイヴバンドが取り組んでいたポップサウンド、一方でチャーリー・ガルシアはシンセサイザーと電子ドラムを使用したサウンドでソロ活動を開始していた。
「Ella también」はアルメンドラのセカンドの後に挫折したロックオペラ「Señor de las latas」の一曲だった。スピネッタの弾き語りにラポポルトのピアノが被さる美しい曲。
「Águila de trueno Parte I」「Águila de trueno Parte II」は18世紀にクスコを拠点とした旧インカ帝国の領土で、スペイン帝国に対して先住民の反乱を起こし、独立を回復したケチュア族の指導者トゥパック・アマル2世(ガブリエル・コンドルカンキ)に捧げられている。戦いに負けたトゥパック・アマルと妻のミカエラ・バスティダス、息子のヒポリートは、生きながらにして拷問を受け身体を切断された。この2曲は1978年に作曲され、アルバム『A 18' del sol』の曲目からは漏れてしまった。
「Barro tal vez」は、スピネッタが15歳のときに作曲したロック調のサンバ(ブラジルのサンバとは異なる)で、自分の曲を作曲して歌うことの意味を表現している。「Barro tal vez」と「Ah, basta de pensar!」は、2020年にリリースされたアルバム「Artaud」のライブアルバムで披露されている。
当時のアルゼンチンの人々が求めていたフォークランド紛争に対する政治的なスタンスと、「神風」というテーマが幾分このアルバムの評価を押し上げている様な印象も強いが、スピネッタの作品の中で一番むき出しで詩的かつ、メロディアスなアルバムなのは間違いない。似た様な弾き語りだったファーストソロアルバムと比べれば、洗練された音楽性を獲得しているのが如実に感じられる。
出典・参照元
https://es.wikipedia.org/wiki/Almendra_en_Obras_I
https://es.wikipedia.org/wiki/El_valle_interior
https://www.encontrarte-musical.com.ar/el-valle-interior-almendra/
https://es.wikipedia.org/wiki/Spinetta_Jade
https://es.wikipedia.org/wiki/Alma_de_diamante_(%C3%A1lbum)
https://www.pagina12.com.ar/diario/suplementos/radar/17-2473-2005-08-28.html
https://www.pagina12.com.ar/diario/suplementos/espectaculos/17-27293-2012-12-12.html
https://es.wikipedia.org/wiki/Los_ni%C3%B1os_que_escriben_en_el_cielo
https://ilcorvino.blogspot.com/2007/02/siguiendo-los-pasos-del-maestro-matropa.html
https://es.wikipedia.org/wiki/Kamikaze_(%C3%A1lbum_de_Spinetta)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%B4%9B%E4%BA%89
https://web.archive.org/web/20120712031427/http://www.armatubanda.com/resena-kamikaze-spinetta/
http://lacoleccionc10.blogspot.com/2009/06/luis-alberto-spinetta-kamikaze-1982.html
http://tallerlaotra.blogspot.com/2009/11/spinetta-y-las-bandas-eternas.html
https://web.archive.org/web/20130921053722/http://www.matiasminervini.com.ar/noticias/example/index.php/2012/10/08/informe-sobre-el-disco-kamikaze-de-luis-alberto-spinetta.html