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サスペリア Suspiria


ルカ・グァダニーノ監督によるサスペリアを観てきた。オリジナルのダリオ・アルジェント版サスペリアとは全く異なる内容で、寒暖色交えた極彩色溢れるアルジェント版とは真反対のモノトーンに近いベルリンの街並みが印象的だった。

舞台となるTANZ=舞踏と書かれた建物や、街の風景はまさにベルリンの街並みそのもので、僕は以前ベルリンに行ったことがあるが、東側の街並みは以前の共産国時代の面影を残していて、西側とは違った空気が流れていた。まだ壁があった時代の暗い雰囲気が、僕が東側で見た景色と同ように映画の中に映り込んでいた。
全編に散りばめられるように戦後のドイツの話を盛り込んでいたのは、アルジェント版に欠けていた当時の出来事を織り込んだという事だと思われる。まだナチスの影が色濃く残り、ドイツ赤軍など大戦終結後に発生したイスラエルとパレスチナ紛争に関わる出来事も、戦後の残り香を映画に落とし込んでいる。

映画を観ていて気付いた人も多いと思うが、ミニクーパーみたいな車がやたらと走っているけれど、これはミニクーパーではなくドイツの国産車トラバントである。フォルクスワーゲンやBMW、ベンツよりも安価な庶民の車である。

怪役をやらせれば右に出る者がいないほどのインパクトを持つティルダ・スウィントンの存在感が特に印象的(首がもげても生きている演技もなんか自然)。まさかのあの人物も偽名で演じていて、終わった後に調べていて気がついた。がっつり映画の中心にいるので、全く気が付かせないティルダの演技を思い返すと感動を通り越して背筋がぞぞっとする。すごい…。(ちんちんは作り物なのでモザイクかからなかったですね。いいのかそれで!)オリジナルの主人公だったジェシカ・ハーパーも端役で出ていたり、アルジェントの作品に敬意を払いつつ作っているのもうかがえる。

アルジェント版は色や音、気配を使って不穏な空気を常に醸し出しながらも、場当たり的な演出が個人的には印象に残っていたけれど、グァダニーノ版はドイツの情勢と、舞踏団の姿を纏った魔女たちの思惑、心療内科の医師ジョセフ・クレンペラーのナチスが絡む過去、スーザンの故郷オハイオのメノナイト人々の場面が交差し二重三重にも織りなすストーリーへと大胆に変更を加えていた。

オハイオの実家のシーンで一瞬映っていた血で書かれたAの文字は姦通を意味していて、性的なものに対する不貞のニュアンスを持っている。マスターベーションをした後の手をアイロンで焼く描写があることから、セクシャリティの面で封建的な社会がオハイオでの生活の中に潜む社会性を表していたのかもしれない。

因みにスーザンとブランの会話にあるように、スーザンの家族はキリスト教メノナイト派で、さらにアーミッシュの暮らしについてもブランとスーザンの会話の中に出てくる。スーザンの実家の人々が現代らしからぬ生活をしているのはそう言った理由である。

サウンドトラックは主にレディオヘッドのトム・ヨークが担っているものの、ニナ・ハーゲンやハルモニア(クラスターとブライアン・イーノ)の曲なども使用されている。

ダンサーの部屋にはノイ!や地球に落ちてきた男の頃のデヴィッド・ボウイのポスターもあり、1977年のドイツを細かい部分で補っている。(ジェシカ・ハーパーが出演していたファントム・オブ・パラダイスのポスターも!)

よくわからない部分も多く、理解したとは言い難い状態なのでもう一度観るなり、秘宝の特集号を買うしかないのかなというところです。

いやはや、それにしてもどんでん返しのラストといい、一つのテーマでここまで違うものを拾い上げ、ひとつひとつに奥行きを持たせた奇作である。

※追記

町山智浩さんの解説トークショーの動画が上がっていたのでリンク貼っときます。
ホーソーンの緋文字を引用して血のAについて語っていました。流石!
ヴィム・ヴェンダースのベルリン・天使の詩と同じ構造になっているというのが納得。
映画を見た方は必見です。

あと、ツイッターを見ていて旧作の冒頭で雨の中タクシーが来なかった場面についての言及を見かけましたが、今作で雨が降るとみんなタクシーを使うというのはこの場面の裏返しであるのかなと思う。
グァダニーノ監督は史実や実際の街の様子を旧作にフィードバックさせつつ、解釈を加え改編していたのが分かると何が言いたかったのかなんとなくわかってきた気がする。

あとモダンダンスの巨匠ピナ・バウシュについてはヴェンダース監督がドキュメンタリーを撮っているので、未見の方は観た方がいいと思います。


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