【映画】街の上で/今泉力哉
タイトル:街の上で 2021年
監督:今泉力哉
「えっ?」と聞き返される時のあの何か居心地の悪さというか、据わりの悪さはなんなんだろう?会話の流れの中でそれまで笑顔だった人も、十中八九その時の表情は眉をひそめた感じで笑顔が崩れる瞬間、急ブレーキをかけられたようにこちらも構えてしまう。
聞き返すという事は相手も聞こうとする姿勢もあるだろうから、もう一度同じ事を説明するか、もしくは「いや、まあいいです」みたいに話を打ち切ることも少なくない。聞く方も悪気はない分、どこか話の腰を折られたようなそんな状態に陥って気まずさを感じる。「えっ?」と聞き返されるのは、よく知らない人(よく知ってても)との会話の中で一番嫌な瞬間かもしれない。喋った言葉が聞き取れなかったのか、話した内容が理解されなかったのかという事を瞬時に判断しながら言葉を用意しなきゃいけない上に、眉をひそめた相手の表情は笑顔と、そこから生まれる気まずい雰囲気とくる居た堪れなさが生むちょっとした緊張は、なんだか悪い事をしたなという気持ちが勝手にもくもくと膨れ上がる。僕の実体験からは眉をひそめて「えっ?」と聞き返してくる人と、あまり上手くコミュニケーションが取れた試しがないのだけれど、こちらも勝手に読み取っておざなりに会話を諦めてるのかもしれない。
けれどこの映画を観ていると、言葉が伝わらずに「えっ?」と聞き返される事の気まずさが何度も出てくる。劇中の気まずい雰囲気は聞き返されるという出来事だけじゃないのだけれど、「えっ?」って聞き返された、もしくは聞き返す時のコミュニケーション不全が生み出す共感性羞恥の取り上げ方は絶妙だと感じた。
特に慣れ親しんだ人と、そうではない人とのコントラストが絶妙で、「えっ?」というリアクションも距離感で変わってくる。場の気まずさが描かれるのは前者の場面で、ライブハウスやバイト先(他には古書ビビビでの場面も)で声をかけられたりする時に距離感の掴めなさの象徴のように描かれる。下北という場所が地方出身者が集まる所という事もあり、主人公の青は飲み屋やカフェ(曽我部恵一のCity Country Cityというのも絶妙。関係ないけどオールドパイレックスを物入れに使うのはどうなの?)など自分の居場所はありながらも、殆どの場所はアウェーでしかない。でも東京生まれでも、ライブハウスやクラブに行ってもこういうアウェー感は常に感じるものでもある。街中華(珉亭)で顔見知りと会ったり、ライブハウスで自分が良いなと思う女の子を眺めたり、喫煙所で声をかけられたりという場面はそんな場所での人との距離感を思い起こさせてくれる。知らない誰かと何かの拍子で関係が築けるかもなんて淡い期待を持ちながらも、そういった人たちが知り合いの方へ歩み寄って終わる場面に出くわす事も多々あるんじゃないかなと。こういった場面を観ていると、下北という場所に限らず、東京で暮らす事の孤独が身に染みる。
劇中に登場する魚喃キリコの「南瓜とマヨネーズ」も、まさにそんな東京の一場面を切り取った作品だったと思う。新潟出身の魚喃キリコ(昔友人にBlueを貸したら舞台と同じ高校だったと言われて彼女が新潟出身と知った。因みにその友人は下北の隣の池の上に住んでいた)の作品が描く地方出身者の視点は、この映画と密接に関わっているだろうし、下北の風景が映るファーストシーンで魚喃キリコの本を日本で一番売ったんじゃないかと思うヴィレッジ・ヴァンガードの前が取り上げられてたのも無縁じゃないと思う。
キャラクターそれぞれの関係性がひとつズレて物語が起きるようなバランスは、「えっ?」というアンバランスの中で絶妙に絡み合ってくる。こういった話は、規模の小さいたわいもないものと言い切ってしまいそうになるけれど、結局の所小さい輪の中で擦ったもんだし合う関係のリアリティがこの映画の肝だと思う。
今泉監督はエリック・ロメールやホン・サンスに匹敵する気まずさを生み出す映画の系譜の映画監督なのだなと改めて思った。