フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法 The Florida Project/ショーン・ベイカー
タイトル:フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法 The Florida Project 2017年
監督:ショーン・ベイカー
とにかく非の打ち所がない映画である。申し分無いくらい各キャラクターが多角的に描かれていて、かつ作為的に感じさせずにとても描写はリアル。
ディズニーワールドの近隣に暮らす、その日暮らしな生活を営む人々。ヒスパニックやホワイトトラッシュと思われるモーテル暮らしは、賃料も決して安いものではない。そんな夢の国のお膝元でアメリカの貧困層の生活がリアルに描かれている。アマゾンのレビューをみると、星ひとつつけたものがあり母親を非難していた。いやいやこれはフィクションだしあの母親がどん詰まってああいった生活しか出来ない物語を描いているのだよと諭したい気持ちが浮かぶものの、それほどまでにリアルな描写が描かれていた証拠でもあるのだと思った。某ラジオ番組での否定的な意見でも母親の成長の無さを批判していたけれど、そもそもまともな人生を歩んでいたらこうなっていなかったと思う。成長しようにもしようがない八方塞がりな状態に時間が進めば進むほど追い込まれる。
とはいえ母親ヘイリーは自分の子を虐待しようとしていたか?といえばそうではないと思う。少なくとも彼女の考えの中には、虐待という意識はなかったと思う。正確にはそこまで意識する事が出来なかったというべきか。ストリップ小屋で手コキを強いられ辞めながらも、結局隣に子供を置きながら売春に手を出すことになるのは、四面楚歌状態の生活で彼女が取れる選択はそれしか無かったのではないか。子供へのしつけという点では些か危うさはあるものの、娘を育てるという義務は果たそうとする強い意志がそこにはある。要は倫理観がズレてしまっている為か、子を守りながらも同時に虐待へと導いてしまっている。世間的な倫理観よりも目の前の刹那的な娘との生活を成り立たせようともがく姿がこの映画の肝であり、そうまでしなければ成り立たない貧困という状態がこの話の根幹になっている。母ヘイリーを単純に責められるのだろうか?友人アシュリーは同じ貧困に苛まれながらもウェイトレスという底辺の職業につきながら生活を持ち堪えている。彼女は倫理観からヘイリーこ行動を批判し、児童虐待として保護を訴えた。このふたりは表裏一体でどちらも最悪な状態寸前の生活をしている。アシュリーも下手をすればストリップや売春に手を染めるかも知れない。けれどアシュリーは倫理観からそう言った生活には手を染めない。貧困という状況は同じながらも一線を越えるか超えないかという有り様がこのふたりで描かれている。モーテルに暮らす人々は一線を越えるか超えないかの瀬戸際にいる。実際に売春していた他の隣人も会話の中で出てくる。ここに出てくる人々は一寸先は闇の状態を抱えていて、隣人の姿は明日の自分とも言える状況なのだと考えれば、ヘイリーが陥った状況はその中でも最悪な状態になってしまったと言える。ただ単にヘイリーを責める事が出来ないのは、倫理観を越えるかどうかという選択肢が目の前にぶら下がってるからだと言える。ヘイリーはその日その時の幸せを成り立たせようとしているだけではないだろうか。明日は明日の風が吹く。
この映画は子供の視点とその親たち大人の現実が交差するところだと思う。子供達は大人の行動をしっかり見ている。けれど子供の視点で描かれるとき大人の問題は現れてこない。ムーニーにとってひとりでお風呂に入る時間はただ単にお風呂に入る時間で、それ以上の理由はない。大人と子供の描写で上手く切り分けられていて、それぞれが抱える問題は視点によって異なるのがわかる。子供の視点の時に大人の問題は蚊帳の外なのだ。けれどその視点の違いはがシームレスに繋がれていて、断絶は起きずひとつづきになっている。
それは管理人のボビーにも言える事で、彼はモーテルを管理する立場とひとりの人間としての立場に挟まれ感情が揺らいでいる。金銭的な大人の事情とは別に、変質者の大人から子供達を守る行動からもある種の弱さを感じる事ができる。ウィレム・デフォーの表情は余す事なく演じていた。
個人的にはシンデレラ城へ向かう子供達のシーンよりも、そこまで追い込んでしまったアシュリーの傷だらけの顔を見て心を揺さぶられた。大人の事情で振り回される子供達の有様が一番感じられた場面だったように思う。それはヘイリーが暴力的な行動をとる事で、どれだけ娘ムーニーとの生活を守りたかったのかよく現れている描写だったかのように感じられる。
そんな人々の生活を描きながらも、映る風景はどれも美しい。郊外の国道にあるやたら大きな建物の店がある景色はどの国でも同じなのだろうか?ディズニーワールドの外にあるディズニーグッズを売るディスカウントストアや、オレンジの形をした店の外観などある種のロードムービー的な佇まいを持っている。グロテスクな建物のかたちと同時にそこが観光地である事を度々思い出させる。
この映画(だけではないのだけど)はキャラクターに感情移入せずに、どういった行動をとっていったのかを見なければ本質を見誤ることになる。