【映画】ぶあいそうな手紙 Aos Olhos de Ernesto/アナ・ルイーザ・アゼヴェード
タイトル:ぶあいそうな手紙 Aos Olhos de Ernesto 2020年
監督:アナ・ルイーザ・アゼヴェード
老人エルネストは、ぱっと見堅物っぽい外見で実際堅物ではあるものの世捨て人の様に殻に籠もっているわけではなく、少しばかり皮肉が効いたキャラクターで、話が進むにつれて周囲との関係の中で温和な内面が徐々に現れてくる。
国からの年金もままならない困窮した生活ではあるものの、映画は困窮という部分はベースに置きつつ、どちらかといえば人と人との繋がりや、エルネストの中にある文学や音楽など、文化的な豊かさが描かれていた。
上手く意思疎通が出来ない息子ラミロ、ひょんな事から手紙の代読代筆を担うビア、隣人の老人ハビエルなど出てくるキャラクターは問題が起きたり起こしたりしつつ一癖ありながらもどこか憎めない。特に部屋の物を物色しながらも、エルネストが信頼して心を開いていくビアとの関係は、若者と老人というコンビが無理なく描かれていて、この映画の肝だったと思う。視力の弱さをピントをぼやかして描いていたのも、エルネストの視点がよく分かる映像になっていた。
夫を亡くしたかつての友人ルシアとの手紙をやり取りする上で、ビアの助言とエルネストの苦言が往復する手紙の中に記されている所は微笑ましい限り。と、表面的にはヒューマンドラマの体をとっているものの、それぞれが抱える、もしくは抱えていた問題も各所で出てくるのもポイント。
パンフレットにも書かれているけれど、エルネストはウルグアイのモンテビデオ出身で、隣人のハビエルはアルゼンチンのブエノスアイレス出身。手紙をやり取りするルシアはモンテビデオに住んでいて、手紙はブラジルの公語のポルトガル語ではなくスペイン語でやりとりされている。
80手前のエルネストやハビエルが祖国を抜け出して、ブラジルに移住していたのは70年代の軍事政権下のウルグアイやアルゼンチンから逃亡したと思わせる事が会話の中にあった。ハビエルがアルゼンチンに戻りたくないと言ったのは、そういったバックグラウンドがあったことに他ならない。とはいえ、同じ時期にブラジルも軍事政権下だったのだけれど、それ以上に酷かったのかもしれない事が匂わされている。
ブラジル音楽に触れるとその辺りの軍事政権についての話に行き当たる。例えばアルゼンチンの軍事政権の実情を知る一つに、ブラジルのサンバランソ(ジャズサンバ)の名ピアニストであるテノーリオ・ジャニオールの話がある。テノーリオはライブを行うためにアルゼンチンに訪れた際、テロリストと間違われて拉致されそのまま殺害されてしまったと思われる(詳しくはルイ・カストロの「パジャマを着た神様」に記されている)。
自由のきかない生活から抜け出そうとしたエルネストとハビエルの背景には、過去の辛い現実に戻りたくないという思いがあったという事が、仄暗い物語を忍ばせている。
昨今の映画ではLGBTの話を盛り込む事が多いのだけれど、ポエトリーリーディングのシーンではトランスジェンダーや人種的なマイノリティも盛り込んでいた。アメリカと比べて人種差別は比較的少ないと言われているブラジルでも、黒人である事や、トランスジェンダーへの差別は少なくない事が伺える。この辺りは今アメリカで起きているBLMとクロスする部分である。
舞台となったポルトアレグレといえば、エリス・ヘジーナの出身地でもある(ビアの髪型から連想した人も多いかもしれない)。ブラジル南部のこの街は、エズミール・フィーリョ監督による「名前のない少年、脚のない少女」の舞台でもあった。こちらの映画はさらにその田舎のドイツ系の人々がすむ村の話だった。移民国家のブラジルはドイツ系やレバノン系など、ヨーロッパからの移民文化が場所によって形成されている。
小ネタとしては、ブラジリアなどの建築物で知られるブラジル現代建築の祖であるオスカール・ニーマイヤーの名前がちらっと出てきた。ヘビースモーカーだけれど百歳を超えて生きていたというジョークにニヤリとさせられる。2012年に逝去のニュースが流れた時「まだ生きてたの?」と驚いたのを思い出す。
もうひとつこの映画に欠かせないのは、やはりカエターノ・ヴェローゾの歌だった。
ジャキス・モレレンバウムのアレンジによる流麗なストリングスが、恋心をカエターノの艶やかな歌声を包み込む。物語中盤とラストで全く意味合いの異なる使い方に思わず涙せざるを得ない。
諦めていたエルネスト自身の人生が新たに開かれる瞬間に流れるカエターノの歌声がふたりを抱擁していた。
手紙が綴るラストと再会は、ビアとエルネストが築き上げたものが最上の形で帰結している。