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【美術】安井仲治ー僕の大切な写真@東京ステーションギャラリー


戦前から戦中にかけて活躍し早逝してしまった安井仲治の写真展が東京ステーションギャラリーで開催中。中々時間が取れなかったけど、やっと行く事が出来た。
先日鑑賞してきた「シュールレアリズムと日本」や、昨年の「「前衛」写真の精神」と同時代とあって、アンドレ・ブルトンやマックス・エルンストらダダイズムからシュールレアリズムの流れと、マン・レイやモホイ=ナジからのダイレクトな影響を感じさる。日本独自な風土からくる作風と戦後の作家の作品群へと連なりが、ちゃんとこの時代にあってもしっかりと感じさせる。
1920年代のシュールレアリズム勃興期に比べれば、安井仲治がシュールレアリズムに切り込んだのは1930年と少し遅いのだが、同時にドキュメントととしての写真と、プロヴォークにアダプトするようなアレブレボケが既に実践されていたりする辺りは面白い。しかもそれらが日中戦争の最中の動乱を収めたルポルタージュであることと、新宿騒乱を収めた中平卓馬や森山大道と似た熱量に少しばかり驚いた。晩年のサーカスの写真は大道の「にっぽん劇場写真帖」の感触に近い猥雑な雰囲気がある。例えば木村伊兵衛、東松照明、奈良原一高、石元泰博らと同じような表現をすでに安井仲治が写真に収めていた事の驚きは改めて認識するべきだと思った。暗中模索な時代ならではの雑多さは否めないが、時代を超越した表現はかしこに現れている。

即興

シュールレアリズム期の1935年に作られた「即興」の多重プリントはシンプルにカッコいい。この頃の作風は明らかにマン・レイやモホイ=ナジからの影響が濃厚だが、この作品などは模倣を超えた地点まで上り詰めている。リプリントの精細な描写も担っている所が大きいが、今見てもヴィヴィッドさは一切失われない。
特に安井仲治のアティチュードとしてユニークに感じたのは、同時代性を得ようと海外の雑誌を取り寄せていた所だった。マックス・エルンストの絵が掲載された雑誌(エルンストの作風は岡上淑子のコラージュへと引き継がれる)など、写真に限らずオムニな美術への感覚がベースにあったのが面白い。月岡芳年のカメラマンの浮世絵が部屋に飾られていたりと、あらゆるカルチャーへのアクセスは近代のデザイナーの感覚にも通じる。その多くが1945年以前であったことの驚き。戦後も生きていたらどの様な写真を撮っていたのかはどうしても気になってしまう。検閲もあり、戦後特にGHQから離れた時代へ至っていたらどの様な作品を撮っていただろう?歴史のもしは存在しないにしろ、これらの芳醇な作品に触れるとどうしても想像してしまう。

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