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ジューンブライダル【お祓い】

「祓い給い清め給え。神ながら守り給い幸い給え」

 アレッ、神社にいるのかな?
 唱える声が聞こえてくる。

 重い瞼をなんとか開けると目の前には、彼女とユリさん、レイさんが僕の顔を覗きこんでいた。

「エムくん!  大丈夫? 私のこと、分かる?」
 披露宴でお色直しをしたロイヤルブルーのウェディングドレス姿のままの彼女が、必死な顔で呼びかけてくる。
「うん、きれいな花嫁さん」
 頭がぼんやりして、目の前の彼女を見たまま、口にする。

「レイさん、エムくんはまだお狐さまに取り憑かれているのよ。何か強い祈祷がないものかしら」
 ようやく周りの景色に目の焦点が合ってきた。
 見たところここは小さな控え室で、僕は壁際のベッドに寝かされており、身体の上には何本ものさかきが置かれている。

「今のエムさんの発言は、目の前の花嫁姿を見たからだと思いますけど」
 隣に立つユリさんが、ニマニマしながら彼女の脇をつつく。
「この建物に先ほどまで感じていた、お狐さまのチカラが感じられません。大丈夫だと思います」
 片手に大幣おおぬさ(お祓い棒)を持つレイさんがキッパリと言い放つ。
 僕には、披露宴会場で出席者のお見送りをしてからの記憶がない。

「そうなの? よかったぁ。エムくんがお狐さまに取り憑かれたまま、もう戻って来られないのかと思ったわ」
 ホッとする彼女の顔は、目元に描かれていたブライダルメイクが落ちて拭ったあとのように見える。

 ようやく意識がまともに戻って来ると、事の顛末をレイさんが説明してくれた。

 レイさんは今週、リハーサル会場のこの建物と近くの神社を歩き回り、神様の様子を確認したらしい。(何を確認したのだろう?) 説明によれば、変な神様は居ないものの、近くの大きな再開発で神様的なバランスが崩れている場所。
 世界的大運動会開催のために、まだ使える大運動場を取り壊して、大掛かりな新しい大運動場を作ったからかも知れない。
 そんなとき狛猿がいる大きな神社で挙式を挙げ、ここで披露宴を執り行うカップルがいることが分かり(神様は何でもお見通し)、お狐さまにちょっかいを出させたのがことの始まり。
 ちょっかいを出しても何回もやるので(今回でリハーサルは3回目)、使いのお狐さまが図に乗ったのかも知れない。

 レイさんは彼女が次のお狐さまのターゲットになることを心配して、それを伝えると彼女が叔父さんに相談して、呪いのピアスを使うのを思いついたらしい。あのピアスは『念』を入れる容れ物として作られており、レイさんはピアスを由緒ある神社へ持って行き神様が鎮まる祈祷を上げた後、披露宴で彼女がピアスを付けられるように準備をしておいたそうだ。
 予想どおり、お狐さまが彼女に憑依したが、付けていたピアスのおかげで彼女は元に戻り『万事解決』かと思ったら披露宴が終わるところで、お狐さまが僕に憑依してきたのは想定外の出来事。

 倒れた僕に気が付いたホテル関係者が119番を呼ぼうとしたのを何とか断り、この部屋に僕を運び込みレイさんが祈祷をして、ようやく憑依が取れたらしい。

「それで、もう大丈夫なの?」
 憑依された身としては今後のことが心配。
「神様のお使いですから。悪霊とは違い、祟ったりしません」
 神主になるレイさんが言うと説得力がある。
 安心したら身体が楽になってきた。神さま付きがなくなり、身体が軽くなったのかも知れない。
 身体に置いてあった榊を片付けていると、着付けスタッフの方がノックをして扉を開け、僕の様子を伺う。

 もう大丈夫だと返事をして彼女と僕は着替え室へ行き、自分の服に着替えて1階へ降りていくと、ユリさんとレイさんは玄関から外に出て伸びをするように空を眺めていた。
 彼女と僕も外へ出ると、空を覆っていたネズミ色の梅雨の雲は姿を消し、白い入道雲と眩しい太陽が午後の遅い時間の気温を上げている。
「考えたら、今日は朝食を食べたきりよ。目の前にあんなにご馳走があったのに」
 それは僕も同じこと。一段高い高砂席に座り会場にいる人から見られていると、出された美味しそうな料理も食べにくい。

「今日はユリちゃんとレイさんにお世話になったから、ご馳走するわ。叔父さんから、もしもの時のお金も預かっているし」
 叔父さんも、たまには気の利いたことをしてくれる。
「僕もお腹が空いたから賛成だけど、どこへ行く?」
 赤坂近辺のお店は行ったことがないから分からない。

「お金は大事にしたいから『煉獄亭』にしましょう。あそこなら叔父さんのツケが効くから出世払いよ」
 何の出世払いなのかは棚上げにして、タダで飲み食い出来ることに反対する人はおらず、僕たち4人は背中に夕陽を浴びながら、青山通りを赤坂見附駅に向けて歩き始めた。

 歩道に落ちる彼女の影に、尻尾の形が見えたのは気のせいだったのだろうか?

(了)