ジューンブライダル 【不思議な披露宴の予行】
今年の梅雨は長雨が続き、関東地方でも滅多に青空を見ることは出来ない。
3階の自分の部屋から外を見ても濡そぼつ雑木林だけなので、吹き抜けのある1階で小説を書くことが多い。
先日と同じように雨の中、彼女が傘を畳みながら玄関から入ってきた。
髪に小さな雨粒がいくつも付いている彼女の顔を見てみると、何だか浮かない表情。バイト先で何かあったのだろうか?
「おかえりー、外は雨足が強いの?」
「ええ、結構降ってるわ。クルマで送ってもらったから、あまり濡れなかったけど」
モデルエージェンシーはクルマの送迎もしてくれるの?
彼女は売れっ子モデル?
彼女はいつもの美少女スマイルを浮かべずに、キッチンへ向かい冷蔵庫からミルクを取り出して棚にあるグラスになみなみと注いで飲み始める。一気に半分ほど飲んで一息つき、残りの半分も飲み干して大きくため息をつく。
「ふーっ、少し落ち着いたわ」
何が落ち着いたの?
彼女はコップにまたミルクを注ぎ、空になったミルクパックを “trash” に入れる。紙パックだから “garbage” ではなくて正解。
急になぜ横文字?と、思うかもしれないけれど、これは叔父さんが持っている拘りの一つ。
普通、台所のゴミ箱って一つだよね。
合宿所(叔父さんの家)では2つに区別しないと叔父さんに怒られる。生ゴミっぽいものは“garbage”、それ以外のゴミは “trash”缶に入れることが、なぜかここのルールになっている。
ビルが出来た時から外に置いたある、大型の金属製ゴミ用コンテナには一緒に入れてしまうのだけどね。
叔父さんの不思議ルールの一つ。
彼女はコップを持ったまま、向かいの一人掛けソファに疲れた様子でゆっくりと腰を下ろす。
「エムくん、聞いてくれる?」
困った顔をした彼女が、MacBookで小説を書いている僕の顔をじっと見ている。
彼女がそんな顔をして僕を見るのは珍しく、いつもの美少女スマイルを見たいから喜んで相談に乗ることにする。書きかけの原稿をセーブしてMacBook を閉じ、彼女の方に向き直った。
彼女は深呼吸をしてから今日のバイト、ブライダルモデルのお仕事で不思議な出来事に遭遇したことを話し始めた。
この前、秋に挙式予定の新婦になる人がブライダルモデルの中から彼女を選び、披露宴のシミュレーションとして新婦役を務め、そのお土産のケーキが僕の罰ゲームになったことの続編らしい。
シミュレーションの様子を収めたビデオを両家のご両親が見たら、クレームがたくさん出たそうだ。彼女が悪いわけではなく、進行や手順が気に入らなかったご様子。それでもう一度やり直しをする事になり、今日はリハーサルも兼ねており、彼女が全部を演じるわけではなく、挙式予定のカップルも、ところどころやってみることになったそうだ。
ただし、新婦は代理の方。
新婦は監査法人に所属する会計士で多忙なため、今日の予行演習には来られなかったらしい。通常であれば6月は顧客企業の決算監査も終わり株主総会を待つのみだが、担当している企業の財務諸表に問題があることが分かり、それが総会通知書を送付したあとなので監査法人のシニアパートナーと顧客企業の担当部長が対応を検討中で、現場で一担当の新婦はほとんど家に帰れていない。
仕方なく今回は、新婦の従姉妹が新婦役を演じたらしい。
「何だか大変そうだけど、仕方ないよね」
そんなに忙しい人が結婚式を迎えられるのだろうか。
「大変なのはそこじゃないの」
「どういうこと?」
「その従姉妹の方が、人ではないの」
人ではない?
リハーサルとは言え、犬や猫がバージンロード(Wedding Aisle)を四つ足で歩いたら面白いよね。想像したら笑いそうになって、彼女を見ると真剣な表情のままなので、気持ちを切り替えて聞いてみる。
「先月の妖のようなもの? だったら披露宴どころではなくて大騒ぎになるはず」
「それがならないの。誰もその従姉妹さんのことを何とも思っていないみたい」
その結婚式場はLGBTだけではなく、妖にも門戸を開いている進んだ式場なのだろうか?
彼女の眼差しが笑っていないので、まっとうな質問をしてみる。
「会場にいる他の誰にも見えないものが、見えてしまうと?」
ソファに座り直し、ちゃんと彼女の方を向いて聞いてみる。
「そうなの。 新郎と新婦代理の従姉妹が披露宴の高砂席についているのを見ると、従姉妹の方が人ではないの」
彼女は先月の一件で妖属性が強くなったのだろうか。
「先月、児童公園で出たり消えたりした黒づくめの妖が新婦に変わったとか?」
叔父さんの説明によると、この世に妖はたくさんいるらしいからね。
「そうじゃないの。新婦の格好をしているのは、キツネなの」
(つづく)