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大きな包み 【彼女の救出】

「消えましたけど…」
 ユリさんが呆然とした表情で、彼女が消えた小さなジャングルジムを見ながら、消え入りそうな声でつぶやく。
「うん、消えたね」
 あとで思い出すと、自分でも間抜けな受け答えをしたと思う。

「どうしましょう? 110番に電話しますか?」
 目の前で起こったことがあまりにも現実的ではなく、ユリさんと僕は思考停止に陥っていた。
「呼んでも良いけど、お巡りさんに何て説明をするかだね。『友達がジャングルジムに登っている途中で消えました』とか説明したら『ちょっと署まで来てくれる?』と連れて行かれて、アルコールと薬物検査をさせられて、保護者が呼び出されると思う」
 ユリさんは僕の言うことにうなずきながら「じゃあ、どうします?」と聞いてくる。それは僕も聞きたいところ。

 あたりが暗くなってきた児童公園でなすすべもなく、ジャングルジムの前で僕たちが佇んでいると、騒がしいクルマの騒音が聞こえ薄ぼんやりしたヘッドライトの光が公園入口を照らす。
 クルマが停車してドアが開き、叔父さんが僕たちのところまで歩いて来た。

「今、彼女はどんな感じ?」
 叔父さんは消えた彼女のことを知っているのか?
「どんなも何も、このジャングルジムを登っている途中で消えました」
「そうか、そう言うことか…」
 そう言うことって、どういうこと?

 公園内は敷地の真ん中にあるLED灯の光でわずかに照らされているだけで、いつものように鍔付き帽子とサングラス姿の叔父さんの表情は分からない。
「エムくん、例のピアスはまだ冷蔵庫に入ってる?」

 叔父さんはなぜ、冷蔵庫に入れたピアスのことを知っているの?
 その時、僕は訝しげな表情で返事をしたと思う。
「ええ、毎日確認していますから」
「じゃあ、急いで取って来てくれるかな。ここで待ってるから」
 彼女が消えたのと、あの呪いのピアスに何か関係があるわけ?
 僕が動かずに叔父さんの方をじっと見ていると、叔父さんが急かせてくる。
「あとで説明するから、とりあえずピアスを急いで持って来てくれ。そうしないと彼女が消えたままになるから」
 サングラス下の眉間に縦皺が寄っている。

 理由は分からないけど只事ではないことは分かったので、僕は児童公園を出て合宿所へ向かって走り出す。
 敷地までの長い坂道は道路も周りもすでに暗く、足がもつれそうになりながらも全力で坂を駆け降りた。
 玄関からホールに入ると建物の中は、僕たちが児童公園に出かけた時のまま。
 冷蔵庫を開けボトルガムに入っているピアスを確認して、ジャケットのポケットに突っ込み、建物を飛び出した。
 降りてきたばかりの坂道を、走って登ると途中で息が切れてくる。東京に出て来てから合宿所にいることが多く、運動不足なのかも知れない。

 ゼーゼー言いながら児童公園まで戻り、ジャングルジムの前までたどり着くと、叔父さんとユリさんはさっきと同じ場所に立っていた。
 僕がボトルガムからハンカチに包んだピアスを叔父さんに渡すと、叔父さんはハンカチを開き、うなずきながらピアスを一つずつ両手に握った。
 叔父さんはピアスを握った両手を前に突き出し、そのまま彼女がいなくなったジャングルジムまで歩いて行き、ジャングルジムに両腕を突っ込むような姿勢をとる。
 僕の隣に立つユリさんは興味津々なのか、首を伸ばすようにして叔父さんのやることを見ていた。
 叔父さんが両腕をジャングルジムに突っ込んだまましばらくすると叔父さんの両手を中心にして、仄かにジャングルジムが光り始めた。
 ジャングルジムの中に提灯がぶら下がっているようなぼんやりとした明るさ。

 しばらくその状態が続くと、ジャングルジムに登っていた場所から彼女が突然現れ『ドサッ』と、公園の焦茶色の土の上に落ちてきた。
「痛ぁい! 痛たた…」
 彼女がお尻をさすりながら立ち上がる。
 小説では読んだことがあるけど『痛たた』なんて言う人が本当にいるんだなと感心する。

「アレッ? 叔父さん、急にどうしたの? 突然現れて。またいつもの手品か何か?」
 急に消えて現れたのは、あなたですが。

「俺のことが分かるか?」
 叔父さんは心配そうに、彼女の顔を覗き込む。
「叔父さん、何言ってるの? 出張に行ってたのでしょう? お土産は? お土産。んん?なんか臭い…」
 彼女がチラリと公園入口に停めたボルボ240ワゴンを見つける。
「分かった! ビールを飲んできたでしょう! いけないんだぁー。ここからは私が運転して帰るから、叔父さんは歩いて帰って下さい」
 突然現れた彼女は、今までにも増して元気な様子。

「まあ、いいから。土産より身体は大丈夫なのか?」
 叔父さんは消えて現れた彼女のことが心配なようだ。
「ジャングルジムから落っこちたから、お尻は痛いけどアザにはなっていないと思うから大丈夫」
 彼女がスカートを捲り、見せパンを剥ごうとしたところで、隣にいたユリさんが慌てて隠そうとする。
「大丈夫よ。もう暗いし、叔父さんとエムくんしかいないから。ヘーキ、ヘーキ」
 叔父さんはともかく、僕がいても気にしないのか? 安全牌だと思われているのかもしれない。

 ようやく僕が口を挟めそう。
「えっとー、良いですか?(叔父さん「なんだい?」)さっき彼女が消えたのと、叔父さんがピアスを使って彼女を助け出したことが、どういうことなのか教えて欲しいのですが」
 僕の質問にユリさんは激しく首肯し、彼女はポカンとしている。
「そうだな。じゃあ、家(合宿所)で説明するから、とりあえず戻ろう」
 叔父さんはそう言いながら、足は自分のクルマに向いている。

「叔父さん! ビールを飲んでいるからダメよ」
 彼女が走って追いかけ、叔父さんの手からクルマのキーを取り上げて振り向く。
「私が運転するから安心安全。さぁ、乗って乗って」
 さっき長い坂道を走って往復したから、クルマで帰れるのはありがたいけど、彼女は自動車免許を取ったばかりではなかったかな? 初心者マークは?
 指摘しようと思ったけど、これ以上自分の足で歩きたくないので、黙ってボルボ240ワゴンに乗り込んだ。
 彼女が運転席、叔父さんが助手席に座り、僕とユリさんが後部座席に座る。児童公園をもう一度よく見ようと思い窓を開けようとしたら、叔父さんから大声が上がる。
「窓空け禁止! 閉まらなくなるから」
 なるほど、古いクルマには乗り方のルールがあるのね。

 彼女がハンドルを握るクルマは、短い距離を無事、合宿所までたどり着いた。

(つづく)