突然の来訪者 【アドバイス】
借用書を受け取り、3万円を渡そうとしたところで、突然、お店の灯りが全部消え、店内が真っ暗になった。
足音がして、誰かが近づいて来る。誰?
「エムくんは優しいなぁ。都会には良い人も悪い人もたくさんいるから気をつけないとね」
暗闇の中から叔父さんの声? どういうこと?
しばらくして、お店の灯り点くとシェフの隣に、叔父さんが立っている。
右手には1万円札が数枚。
自分の右手を見るとシェフに渡そうとしていた3万円が消えている。叔父さんが盗ったの?
「今日は2人で、人物観察に銀座まで出て来たけど、どうだった?」
叔父さんを疑いの眼で見ている、僕のことを気にする気配もなく、問いかけて来る。
いきなり『どう?』と言われてもね『色々な人がいるな』くらいしか思いつかないけど、それより叔父さんの右手にあるお札が気になる。
すると、彼女が手を挙げてから話し始める。
挙手をするところは、高校生の名残り?
「日曜日の銀座、歩行者天国を歩く人たちには、あらゆる意味で幅があります。例えば年齢、例えば国籍。着ている服も様々で、耳に聞こえてくる会話もいろいろ。そんな多くの人たちを一言で『ホコ天を歩く人』とか『銀座に買い物に来ている人』とひとくくりで表現するのは難しいと感じました。今日、多種多様の人たちを眺めての実感です。ですから物語を書くとき、主人公を丁寧に書き表すように、主人公の周りの人、例えば友人や家族も、小説の中に書き出すかどうかに関わらず、それぞれの設定を掘り下げて考えておく必要があると感じました」
彼女が書いている小説をまだ読んだことはないけど、今の説明だと大作を書いているのかな?
「よく気がついたね、そういうこと。書き始めたばかりの物書きは多分に、主人公に肩入れをしすぎて突っ走る。その勢いは良いけど、周りの描写にまで手がまわらないから、読んでみるとせっかくの物語が薄い読み物にしか感じられないんだな。エムくん、分かる?」
なんだか悔しいけど、彼女がそこまで考えていたとは。
「はい、もう少し周りのことにも注意を払いたいと思います」
「そうそう、その気持ちを忘れないようにね。では改めて合宿所のオープニングパーティーを始めようじゃないか」
「パーティーは昨晩やりませんでしたっけ? 宅配ピザで」
立て替えたお金を、まだ返してもらっていませんが。
「昨日のあれ? あれはエムくんが、引越そばの代わりに出したのだろう? 合宿所のオープニングパーティーがあれでは、しょぼ過ぎるよ。せめて銀座でやろうよ。お店の立地はともかく、ここも銀座だからな」
やっぱり返す気がないんだ。
今、右手に持っている3万円は?
「今日は、私の事務所主催だ。この店を借り切っているから、遠慮しなくて良いからな」
「お店のサービスと説明された今までの料理も、その一部なのですか?」
テーブルの向かいに座る彼女が、僕の腕をチョイチョイと指で突つく。
「エムくん、そろそろ気が付こうよ。このお店に入ってから、何か変だと思わなかった?」
そう言いながら、美少女スマイルで僕の顔をのぞき込む。
「それは変だと思ったさ。頼んだランチが出てこないのに、余計な料理ばかり出てくるし。美味しかったけど」
今度は叔父さんが僕の肩を突つく。
「変だと思ったのに、なぜ食べ続けたの?」
「それは… 彼女が気にせずに食べていたし、銀座のお店ってそんなものかなと思って…」
言っている自分が、言い訳がましい。
叔父さんは、ウンウンと言いながら口を開く。
「小説家を目指すのなら、疑問に思ったことをそのままにしたり、何も考えずに周りに同調していると、オリジナリティーのある物語は書けないよ。不思議に思うことは、まず聞いたり、調べたりしないとね」
彼女がテーブルに開きっぱなしのシステム手帳に、何かを忙しく書き込んでいる。叔父さんメモを追加しているのだろう。
小説家になるためのアドバイスはありがたいけど、ちょっと待てよ。
そもそも今日はどこからが仕込みで、僕はいつから騙されたの?
「ご教授、ありがとうございます。一応、お尋ねしたいのですが、今日の課題とこのお店、どの辺からが演技というか、設定なのですか?」
プッと、彼女が噴き出す。
テーブル越しに見る姿は、目を細めて笑いを堪えている美少女の横顔。
もしかしたら彼女は最初から全部知っていて、叔父さんとグルだったの?
(つづく)