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ジューンブライダル 【5月深夜の出来事】

 春は五月晴れと共に姿を消し、ねずみ色の雲とジメジメした梅雨がやって来た。

 大学の対面講義も始まり、週の半分はキャンパスへ通うようになったけど、みんながそうだから学内はガランとしている。
 高校生の頃、先輩から聞いた部活や同好会が配る勧誘ビラの吹雪や、勧誘の食事会(という名の飲み会)は、今や伝説化したようだ。

 6月に入り彼女は、朝早く出掛け夕方遅くに帰ってくる。夏至近くで陽も長くなったが時々夜遅く、少し疲れた顔をして合宿所へ戻ってくることもある。
 アルバイトでも始めたのかな?
 彼女の実家は大きなお屋敷だから、お小遣いには不自由していないと思うけど。

 建物は古いけど家賃と光熱費が無料タダの合宿所生活で、僕はアルバイトもせずに時々大学へ通い、あとは合宿所で小説を書いたり、敷地に置いてあった誰のものか分からない古びた自転車を勝手に借り出して、23区の僻地に残る自然を楽しんだりしている。
 小説家志望としては理想の環境。
 彼女のトラブルに巻き込まれない限りはね。

 先月、あやかし騒ぎが収まった日の夜、真夜中にまた彼女の電話で起こされて『今度は何事!』とノックもせずに彼女の部屋へ入ってみると、薄暗い部屋の中で『バサバサ』とたくさんの何かが飛んでいる羽音がする。
 扉の横にある室内灯のスイッチを2度押しして、照明をつけるとたくさんのコウモリが部屋の中を飛び回っていた。

 その夜、彼女は机で小説の続きを書いており、エピソードが一区切りついたので、バルコニーに出て夜の雰囲気を味わってからベッドに入ろうと、部屋の明かりを消して掃き出し窓を開けた途端、コウモリの群れが飛び込んで来たとのこと。
 信じ難い話だが彼女の部屋に入った時、たくさんのコウモリが部屋の中を飛び回っていたのだから信じるしかない。

 頭を庇いながら床に伏せている彼女を見つけ、飛んでくるコウモリを避けながら、彼女の手を引いて部屋の外に出て、急いで扉を閉めながら廊下に転がり出た。
 扉の向こう側(彼女の部屋)では、コウモリが大賑わい。
 コウモリのお祭りか何かの日だったのかな。

 しばらくして彼女が我に返り、廊下に座り足を投げ出したまま、今の状況を説明してくれたんだ。
「あんなにたくさんのコウモリがこんな都会(彼女はココに住み始めた時『僻地』だと文句を言っていなかったっけ?)にいるなんておかしいでしょう? 叔父さんが「もう大丈夫」と言っていたけど、まだ何処かにあやかしが潜んでいるのかも知れない」

 以前はどこかの会社が入っていたこのオンボロビルの廊下はグレーのリノリウム材が貼られているが、施工されてどれくらい年月を経たのか分からないほど、あちらこちらが傷んでおり何かが現れてもおかしくない雰囲気が漂っている。

「じゃあ、叔父さんのところに行ってみようか?」
 僕の問いに彼女はすぐにうなずき、2階の叔父さんの部屋まで行ってみたんだけど、そこからが問題。
 1階フロアの吹き抜けがあるから2階は他のフロアの半分くらいの広さしかないけど、部屋の扉には全て [ PRIVATE ] のプレートが貼られている。
 合宿所に着いた最初の日、叔父さんが「2階は立ち入り禁止」の宣言をしたから、彼女も僕も2階の部屋には入ったことがない。
 あの叔父さんのことだから危ない(怪しい?)モノでも隠しているのかもしれない。
 気にしても仕方がないので、手前の扉からノックをしていく。
 僕が大きな音でノックをし、彼女は呼び出し役。
「叔父さん!私の部屋が大変なことになってるの。なんとかして!」
 順番に廊下の突き当たりの部屋までノックして行ったけど、何の応答もない。
「叔父さん、いないのかな?」
 叔父さんの部屋に行けば何とかなるかと思っていたけど、甘かった。
 お酒を飲んでいたから、何処かへ出かけるはずはないと思うのだけど。

「そうだ! 電話を掛けてみよう」
 彼女が上着のポケットからスマートフォンを取り出して電話を掛けてみる。
僕は叔父さんのメールアドレスは知っているけど、電話番号は知らない。まあ、掛けることもないと思うけど。
 彼女がスマートフォンを耳にあてて、しばらく応答を待ってみる。
「出ないわ。コール音が聞こえるから、この世には居ると思うけど」
 あやかし研究家だから「あの世」へ行っていることもあるのかも知れない。

 2階廊下の奥で「どうしよう?」と、壁に寄りかかりしゃがんでいると、すぐ側の扉から、夜中に聞くと悪夢を見そうなおぞましい獣の唸り声が聞こえてくる。
 思わず彼女と顔を見合わせる。
「何? 今度はなんなの?」
 日頃、物事には動じない彼女の声が震えている。
 すると今度は、反対側の扉から甲高い類人猿の雄叫びが聞こえ、目の前の扉を『ドンッ! ドンッ!』と叩く音が響いてきた。

「逃げよう!」
 条件反射的に立ち上がり、彼女の手を引いて立ち上がらせ、2階から階段を駆け上る。
 とりあえず3階の僕の部屋へ戻り、扉を閉めて鍵をかけた。
 息を潜め部屋の外の様子を伺う。
 カーテンの隙間から外の状況を確認し、扉に耳をあてて廊下の音を聞いてみる。
 しばらくそんなことを繰り返してみるが、部屋の外は夜の静寂に包まれ静まり返っている。

 そのうち彼女が「自分の部屋(の持ち物)が心配」と言い始めたので、慎重に扉を開けて廊下の様子を覗ってみると、部屋の外はいつもの古びた廊下のまま。
 用心しながら5階まで階段を上がり彼女の部屋の前に立ち、扉に耳をあてて中の様子を伺うと、部屋から逃げ出した時に聞いた、コウモリが飛び交う音は聞こえてこない。

「開けるよ?」
 僕の声に彼女もうなずき、思い切って扉を開けると、そこは深夜に静まりかえった彼女の部屋。
 中に入り部屋のあちらこちらを確認してみるが、あれほどたくさんコウモリが飛んでいたのに獣臭くなく、床やベッドに糞も落ちていない。
 羽も落ちていないのは… コウモリだから当たり前か。

 彼女が部屋にある持ち物を確認してみると、荒らされた形跡もない。
「何だったのかしら?」
「何だったんだろうねー」
 そんな間抜けなやり取りをしたあと、彼女が眠くなったから寝るというので、僕も自分の部屋へ戻ることにしたんだ。
 彼女のそういう切り替えは早く、もうベッドに入っている。

 彼女の部屋を出ようとしたとき、掃き出し窓が開いたままなのに気が付いた。
「窓を開けたままだと、またコウモリが入ってくるかも」
 僕の言葉に、上掛けから顔だけ出した彼女が?の表情。
「エムくんは私を脅かして『ひとりにしないで!』って、言わせようとしているの?」
 さっきまで震えた声を出していたのが嘘のように、ニマニマしながら聞いてくる。彼女が精神的に強いのはよく分かっています。
「コウモリより夜風にあたると、身体に良くないからね」
「そう? 気を使ってくれたの? ありがとう」
 窓を閉める時、雑木林の上空には赤い満月に薄雲が掛かっていた。

 翌日、昨晩の騒ぎで遅い時間に目を覚まし、1階へ降りていくとホールで彼女がコーヒーを飲みながら本を読んでいた。叔父さんは出掛けたあとのようだ。

 今朝、彼女は叔父さんに会い、昨晩のことを聞いてみると、お酒を飲んで寝てしまったから何も覚えていないとのこと。
 彼女が電話したことを聞くと、バイブレーションにして脱いだ服のポケットに入れたままだったので気が付かなかったらしい。

 話の筋は通るが、何か怪しい。
 オカルト同好会の自称現役なので、眉唾なのかもしれない。

(つづく)