見出し画像

大きな包み 【転がり込む少女】

 土曜日の午後、陽が斜めに傾いてきた頃、週末限定研修生のユリさんが合宿所を訪ねてきた。正確に言うと、このオンボロビルの玄関へ転がるように飛び込んできた。
 ユリさんは毎回、ユニークな登場をする。

「大変です!」
 小柄な身体全体で息を弾ませ、ここまで走ってきたのか、顔がほんのりと赤い。
 上に何か羽織っており(東京の女子高生の服装はよく分からない)下はジーンズにスニーカー。
 今日も『煉獄亭』で着ていたコスプレ衣装は着ていない。合宿所の倉庫にあるからたまには着てくれても良いと思うけど、それを口にしたら彼女から、なんて言われるか分からないから言わない。想像はつくけど。

「ユリちゃん落ち着いて、何が大変なの?」
 彼女は2歳年下のユリさんに、お姉さんっぽく接している。彼女はひとりっ子だと聞いているから、ユリさんのことを妹のように思っているのかもしれない。

「聞いてください! ここに来る途中で変なモノに追いかけられました」
「変なモノって? ユリちゃんは可愛いから変態さんとか?」
 変態に『さん』付けとは。彼女のそういうところは今だに分からない。
「とても変なモノです。人ではない何か?」
 質問に疑問系で答えている。
 叔父さんがいたら、研修生として指導を受ける発言。そう言えば叔父さんはいつ帰って来るんだろう。

「ユリちゃん、それは新しい小説のネタをご披露しているのかな? ユリちゃんは演技が上手いからなぁ」
 あの嘘っ子メイドの演技は上手かったのか?
 最後まで見破れなかったから、大きなことは言えないけれど。

「本当です。なんなら今から見に行ってみます? そこの坂を登って直ぐの児童公園です」
 児童公園? そう言えばそんなところがあったような気がする。
 子供が遊んでいるところを見たことはないけど。

 ユリさんの話を聞いて、彼女の目がキラキラし始めた。
 また、彼女の好奇心から始まる面倒ごとに巻き込まれそうな気がすると思ったら、僕の方を見て宣言するように口を開く。
「エムくん、ユリちゃんの話を聞いたでしょう。これは見逃せないわ。閑静な住宅街に『人ではない何か変なモノ』が出てくるなんて滅多にないことよ。すぐに出かけましょう! 事件は会議室で起きてるんじゃなくて、現場で起きているのよ!」

 思った通りの展開。
 最後の言葉は、僕たちが生まれる前に放映された邦画のパクリだと思うけど… ここには会議室もないし。
 どうしたものかと考えていたら、黙っていた僕にツッコミが入る。

 喋らない僕に突っ込むのは彼女の得意技。
「エムくんはノリが悪いわね」
 身内にも言われたような気がする。
「分からないことが出てきたら、まず現場で確かめる。これって小説家の基本でしょう?」
 いえいえ、それは刑事の基本動作では?と思うけど、ここで議論しても仕方がないからユリさんに一応聞いてみる。
「じゃあ、児童公園まで行ってみようか。ユリさん、その『人ではない何か』って危なそうなものなの?」

「分かりません。でも見るとゾゾッとする感じ」
 うーん、ますます分からない。
 幽霊か何かかな? 陽が暮れてきたけど、オバケが出る時間には早過ぎる。

「大丈夫『三人寄れば文殊の知恵』と言うでしょう。行ってみれば何とかなるよ」
 時々、彼女は謎の慣用句を引用する。
 それは『凡人でも三人集まって相談すれば良い知恵が浮かぶ』の意味で、ユリさんが見かけた『人ではない何か』への対応は難しいと思うのだが。
 どうでも良いことを考えていたら、彼女はキッチンから大きなめん棒を片手に現れた。50センチくらいありそう。
「エムくん、出発よ! もしもに備えて何か武器を持って来て」
 めん棒は彼女の武器なのか? 確かに殴られたら痛そうだ。
 自分の部屋まで戻るのも面倒なので、この古いビルの各階にある換気窓を開ける長い棒を持って行こう。ぶつけると折れそうだけど。

 気合の入っている彼女が先頭になり、合宿所の敷地を出て上り坂へ向かう。彼女の後ろからユリさんが何かを話をしながらついて行く。
 僕はしんがりを務める形になったが、後ろから何かが襲ってくる気配はないからはたから見れば、女子の後ろについて行く頼りない男子に見えるのかも知れない。

 土曜日の夕方、街が薄暗くなり坂を上る途中ですれ違う人やクルマはいない。そもそもこの坂を下った先には合宿所という名の叔父さんの家があるだけだからいつも人通りは少ない。
 23区の辺鄙なところにあるとはいえ、叔父さんはこの広い土地と古い5階建てのビルをどうやって手に入れたのだろう。

 そんなことを考えていたら、坂を上った先の右手に児童公園が見えて来た。
 見た感じ普通の児童公園でブランコにシーソー、すべり台と小さなジャングルジム、低い鉄棒がある。
 ベンチに誰かが座っている。
「あそこ! あのベンチ!」
 ユリさんが小さな声で叫ぶ。

 ベンチに一人で座っている人の姿は確かに異様で、頭からつま先まで全身黒尽くめ。
 黒い帽子に黒いサングラス、黒いマスクに黒いコート、黒いズボンに黒い靴、まさしく "Men in Black"。
 でも、そんな人がいてもおかしくないよね。ファッションだし。
 と思って見ていたら、その黒尽くめの謎の人物は僕たちの目の前から消えてしまった。

(つづく)