2番の影の中で:シベリウスの中期交響曲考 その2(MUSE2019年2月号)
それではまず2番の後半楽章の影響をより率直に反映している3番と5番のフィナーレについて見ていきましょう。
2番の第3楽章はベートーヴェンの交響曲によく似たトリオが2つあるスケルツォの変形ですが、違いは2つ目のトリオの後にスケルツォが再帰せずそのまま後続楽章への移行句に入っていくところです。ただ同じく楽章が連続している田園交響曲の場合も2つ目のトリオの後のスケルツォは省かれはしないものの短縮・変形されて移行句へ入ってゆきますから、その意味ではヒントを得ている面もあるのかもしれません(ついでにいうとほとんどの場合フィナーレが速いベートーヴェンの交響曲中「田園」だけは大らかな歩みを見せてもいるわけで、そう考えるとシベリウスがこの曲から得たヒントは意外に大きかったのかもしれません)
シベリウスの2番は演奏時間がコリンズの場合でほぼ40分、通常は45分余りかかりますから規模としても「田園」をしのぐ大曲ですが、続く3番だと遅い演奏でもほぼ30分、コリンズに至っては23分ですから楽章が3つということもあり非常にコンパクトです。なので最終楽章もトリオを持つスケルツォという形ではなく楽章冒頭の細かい走句のただ中に後から大きな歩幅の行進曲風の楽想が加わるという展開です。つまりここでは2番とは異なり速度の違う2つの楽想が併走しているわけで、だからコリンズのように最後までテンポをキープすることが聴き手にとって音楽の意味を理解する最善の方法になるわけですが、ロマン派的発想に染まりきった演奏家だと新たな主題が出てきたというのでテンポを変えてしまうケースがあまりにも多い。この曲においてシベリウスは脱ロマンとしての新古典主義をむしろ予告してさえいるわけで、そういう発想で書かれた曲を情緒優先で演奏したらグダグダになるのは当然です。そんな演奏が多すぎるせいでこの曲は凝縮された簡潔な形式に巨大なエネルギーを封じ込めた傑作ではなく、過渡期にありがちな掴み所がなく中途半端な曲とさえ目されているのですから残念などという言葉では全く追いつきません。この曲の真価をはっきり打ち出せている演奏はコリンズとギブソンくらいしかなく、後はアシュケナージの新旧2種が曲への理解というよりむしろ演奏側の資質ゆえに形を崩していないというやや消極的な形で成功している程度です。だからこそそんな状況下で突如として登場したムストネンの3番に驚かされたのでした。シベリウスの3番がスタイルの移行期の作なのは確かですが、それは決して単なる過渡期ではなく2番で始めた技法をより徹底・洗練させた形で初期2作のエネルギーを圧縮した完成型でさえあるのです。この曲をそういうものとして再現できずにいる演奏はシベリウスのなにかを見落としているのではないかと僕は思っています。
それにしても、コリンズとロンドン響の力量にはいつ聴いても驚かされます。厳しく制御された音楽の流れの中で浮沈する各楽器の強弱やニュアンスの信じ難いボキャブラリーと、それらを完全に一つの目的に奉仕させている鉄壁のコントロール。これらがあればこそテンポに演技をさせずとも音楽が十分ものをいうのであって、逆にいえば新古典主義的な演奏スタイルとは演奏サイドに相当な表現技術を求めるものでもあるのでしょう。それは今の演奏における精度の高さとはいくぶん様相を異にする細部に意味を持たせる、ものをいわせる技量というべきもののように僕には思えるのです。だから優れた技術に解釈力が伴わないとここでのコリンズ/ロンドン響のような演奏は実現できないのであって、たとえばベイヌム/コンセルトヘボウの場合ブルックナーはこの境地に達していると感じられるのですが、マーラーだとそうとは思えないというようなことも起こります。耳にしえた全ての曲ということになれば、このコンビに匹敵するのはライナー/シカゴ響とアンチェル/チェコPOにフランツ・アンドレ/ベルギー放送Oくらいしか挙げることができません。
いささか脱線しましたが、この3番の後に書かれた4番と5番について見てみると、4番は4楽章形式で完成をみたのに対し、5番は4楽章形式で書き始められたものの、最終的に3番とよく似た3楽章形式にまとめられたという経緯があります。終楽章が特にそうで、冒頭の細かい走句から雄大な歩みのモチーフが生み出されるという展開は酷似しているといえるでしょう。違うのはこの歩みのモチーフが3番では速めの2拍子なのに対し5番では2番と同じく遅めの3拍子になっていて、ほとんどの全集録音において2番と5番の歩みのテンポがほぼ同じに設定されている点です。そのせいかこの5番は2番以後の曲の中で最も人気がある曲でもあるのですが、この曲が作曲家の生誕50周年の記念式典のために書かれたということを考え合わせると、このフィナーレは人気作である2番に意識的に似せて書かれたオマージュという意味合いがあると考えていいように思うのです。だから僕も5番のそんな特徴から、シベリウスにとっての2番というのはお祝いの機会に引用したくなるような成功作という、長い間その程度の認識でいたのでした。
そんなめでたい機会を想定して書かれた5番に対し、その前に書かれた交響曲4番は喉にできた腫瘍が悪性ではとの不安の最中に書かれた曲という逸話も有名な陰鬱な曲でしたから2番との関連など思いもよらなかったのですが、そんな4番の全曲の結びに2番の曲頭の回想を見いだせたとき、それが彼にとってどれほど大きな支えだったかが初めてわかったように感じたのです。
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