番外の異色作『マンフレッド交響曲』(MUSE2023年3月号)

 フィナーレの構成を一見新たな局面に進んだように見せつつも実は第1楽章冒頭に引き戻されただけだったという非常に悲観的なものにした『4番』に対し『マンフレッド』交響曲のフィナーレではなんといってもチャイコフスキーの交響曲の中で唯一この曲のこの楽章にだけオルガンが登場するのが最大の特徴です。ただしこの件については注意すべき点が1つあって、このフィナーレにおけるオルガンはチャイコフスキーの手になる改訂版により追加されたもので、初版にはオルガンはなかったのです。今ではこの曲、ほとんどの録音が改訂版により演奏されていて、初版による録音はこの曲に思い入れが深かったと伝えられているスヴェトラーノフが何種類も遺した録音のうちの一部だけなのですが、幸いNMLにはその音源が収録されています。初版の終楽章は第1楽章のコーダをほぼそのままフィナーレの結びとして回帰させており、マンフレッドの死で結ばれるバイロンの原作を思えばむしろそのほうが忠実なのですが、それだと前作の4番とそっくりの終わりかたになってしまうのでチャイコフスキーも良くないと思ったのかもしれませんし、周囲から救いを入れたほうがいいのではとの意見もあったのかもしれません。ともあれ改訂版のオルガンの効果は確かに絶大で、チャイコフスキーのオーケストレーションの巧さに改めて唸らされます。ただマンフレッドの主題は4番のファンファーレと同じく旋律的すぎてほとんど展開されないので、詩劇である原作ならば言葉の力でその内心をいくらでも深掘りできますが器楽交響曲の体裁だと救済へのきっかけめいたものが希薄に感じられるのも確かで、僕としては改訂版の終わり方に正直なところ教会や神を連想させずにおかぬオルガン頼りのような甘さを感じてしまうのです(そして続く5番にも、全曲を閉じる説得力の問題は持ち越されたのではないかとも)
 ベートーヴェンの5番の書法を意識しつつも、訴えたい内容が正反対であるがゆえに自ずと書き方にも違いが出た4番に比べ、『マンフレッド』交響曲は彼が残した7つの交響曲の中で最も徹底した標題交響曲でもあったがゆえに、マンフレッドという己の真情を託したキャラクターを外部から見つめる「視点の位置」の置き方の点で、初期作品も含めた6つの番号付き交響曲のどれにもない独自性を持っています。チャイコフスキーが内容的には前期3曲よりも明らかに後期3曲との類似性を濃厚に持ち合わせているにもかかわらず、この曲だけついに番号を与えなかったのはチャイコフスキー自身がこの「己を仮託したキャラクターを外部から見る」という視点の置き方に最終的に違和感を持ったからかもしれないと僕は思ってしまうのです。チャイコフスキーという人は書いている間は今書いている曲こそ自分の最も優れたものと(あるいは自己暗示のために?)いい続けるくせに、書き上げると一転して自己批判に陥るというパターンが多かったようですが(完成直後に本人が死んでしまった『悲愴』は作者よりむしろ曲にとって幸運だったといえるのかも?)『マンフレッド』もそのパターンで書き上げてからは「悪くないのは冒頭楽章だけだ」といっていたそうですから。逆にいえば冒頭楽章の終わりかたにはそれだけ自信も思い入れもあったとも思えますし、そう考えれば初稿の終楽章の終わりかたには4番と同工異曲になってしまうという難点はあるにせよ、少なくとも本人にとってはより納得いくものだったのではという気もするのです。
 この『マンフレッド』交響曲の作曲と改訂の歩みを見たとき、チャイコフスキーの交響曲作曲へのこだわり方はベートーヴェンとはまるで異なると感じます。ベートーヴェンは一つの定型ともいうべきスタイルの交響曲をなんども書く一方で、それを足場としつつそこから大胆に踏み出した異色作にも挑戦するという姿を見せたわけですが、その足取りは非常に計画的なもので迷いなど全く窺えません。対してチャイコフスキーの場合、本当に訴えたいものは一つしかないのに、そうでないものも書こうとするばかりに常に迷ったり自信喪失に陥ったりを繰り返していたみたいに傍目には見えてしまうのです。

 そんな彼が、なぜこの『マンフレッド』に続く交響曲となった5番を彼にとって満足いくものだったかが疑わしくなるような、フィナーレが明るく力強く結ばれるようなものとして書くことになったのか。やはりベートーヴェンを始めとする多くの先人たちの偉業を無視できなかったのかもしれませんが、おかげで作曲の道行きは非常に苦しいものになりました。これまでと逆に自分が今書いている曲を肯定的に捉えることができず、この曲は不自然だとか不誠実とまで周囲に漏らしつつ書くという想像するだけで胃が痛くなりそうな難産を味わうことになったのです。
 ベートーヴェンは9曲しか交響曲を書かなかったものの、先人ハイドンやモーツァルトたちが数多くの曲を書けた最大の原因であるパターンに従った作曲を完全に否定していたわけではありません。1番から2番、4番、7番と続く9曲の背骨にも例うべき定型の存在は、聴衆の支持を受けた形式の錬磨とみなしうるものでもあって、いかにもプロフェッショナルと呼ぶべき姿勢です。それに比べるとチャイコフスキーはもっと潔癖というか、自分に無理を強いてまで先人たちに負けない立派な曲も書かねばと思い詰めたあげく自分を追い込んだようにしか見えないものが『マンフレッド』から5番へと書き進めたその経緯には感じられます。『田園』に相当する『マンフレッド』より『運命』を模した5番の方が劇性では劣るというねじれ方が彼ならではです。

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