スタインバーグの眼力(MUSE2021年9月号)
先ごろDGから復刻された米コマンドレーベル原盤のスタインバーグ/ピッツバーグ響によるベートーヴェン交響曲全集から、「田園」と7盤ががナクソス・ミュージック・ライブラリに収録されましたので、今回はこの話題から始めたいと思います。
60年代に収録されたこの全集は、SP時代から録音歴を持つこの指揮者にとって70年前後ボストン響とDGに入れたホルスト「惑星」やR・シュトラウス「ツァラトストラはかく語りき」およびヒンデミット「画家マチス」などと並んでその盤歴の最後を飾る遺産ですが、レーベルの活動停止に伴い全曲のCD化が遅れていたものでした。CD時代初期にいくつかの曲がコマンドや旧ウエストミンスターレーベルなどを傘下に収めた米MCAレーベルから出たことがありましたが、著作権が切れパブリック・ドメインとなった際にイタリアのマイナーレーベルがLPから復刻したいわゆる板起こし盤を出したことがあったもののプレーヤーが安物だったのか回転ムラが耳につく残念な出来だったので、音揺れがないだけでも今回のDGによる復刻盤はありがたい存在です(なぜか「英雄」だけかなりのハイ上がりな音ですが、これはトーンコントロールでなんとか補正が可能です)
芸風は当時の日本においてトスカニーニの亜流扱いされることも多かった速めのテンポで直裁的に運ぶスタイルですが、例えば彼にとってボストン響の前任者にも当たるラインスドルフが一見同じような流儀ながらも随所に独自の解釈や芸の細かさを見せていたのと比べると、スタインバーグはひたすら実直一本槍の趣で愛想のなさが目立ちます。かつて演奏家が示す濃厚な個性こそが尊ばれた日本において、スタインバーグのこうした特質は無個性すなわち平凡の典型とさえ見なされたものでした。
にもかかわらず、結果として現れる演奏にいつも平凡の一言で片づけられないものが感じ取れるのがスタインバーグの不思議なところで、このベートーヴェンにしても、あからさまに演奏家の個性と呼べそうなものは認められないにもかかわらず、あたかも曲がそれ自体の力で屹立するかのような手応えがどの曲にも感じられ、聴き終わった時に最終的な印象として残るのが曲そのものの強靱さであるという、単なる凡演では得られるはずのないものなのです。
そんな彼の演奏がどういうものであったのかの手がかりになるかもしれないのが最晩年に収録されたホルストの「惑星」です。海外盤のライナーノートによると、スタインバーグはこの収録の時までこの曲を演奏したことがなかったそうですが、そのせいかこの録音は一般的なこの曲の演奏スタイルから大きくかけ離れたものになっているのです。
「惑星」の録音史において落とすことのできないのが、この曲の7曲全曲を初演しSP以来5回もの録音を遺したイギリスの大指揮者ボールトの名ですが、彼の5つの録音はそれがそのままこの曲の演奏スタイルが形を成してゆく歩みの記録となっています。テンポは後になるにつれ一貫して遅くなり、ゆとりと風格を増してゆきます。オルガンも含む巨大編成のオーケストラを破綻なくまとめつつ、安定した土台に支えられた雄大な音楽が聴く者を圧倒する、そんな音楽になっています。多くの指揮者がこのスタイルをこぞって取り入れたのは、テンポにゆとりがあるため演奏の難易度が下げられたことも一因だと思うのですが、その代償としてボールトのような風格を出すに至らなかった多くの演奏では、流れの緊張感を保てず間延びした印象を与えることになる場合がほとんどで、それゆえ僕は、このやり方は必ずしもこの曲にふさわしいものではないのかもと思うに至っていたのでした。
そんな時に廉価版LPで再発されたスタインバーグの「惑星」は、それまで耳にしてきたボールトとその亜流たちとは正反対の演奏でした。なによりその凄まじいテンポの速さ! セッション録音にもかかわらず、腕利きのボストン響の金管陣でさえ裏返りそうな危うさで収録されているところを聴くだけで、安定感などまるで眼中にないのは明らかです。ここで彼が重視しているのはそんなものでは全くなく、剥き出しとも抜き身ともいうべき緊迫感に他なりません。だから叙情的な金星でも同時期に録音されたバーンスタイン盤のような濃厚さには傾斜せず、曲が語る以上の雄弁さは意識して避けている趣さえあります。そのことが特に活きているのが人生の終焉と帰天のイメージを漂わせる土星に続く2曲、すなわち天王星と海王星です。僕はこのスタインバーグ盤を聴いて初めて、土星までの5曲が人間のいる世界というか宇宙であるのに対し、最後の2曲は人間がいなくなった後に残される宇宙の姿、すなわち空間と時間なのだとあの時感じたのでした。外付けの情緒を排した天王星における各楽器の浮沈が描く広大な遠近感と、歌詞のない女声合唱が後半に登場するにもかかわらず情感の波立ちなど皆無でひたすら一定の速さで時が流れてゆく海王星。まだ冥王星が発見されていなかった作曲当時のホルストが未知なる外宇宙に抱いたであろう幻想を、聴かせ上手から最も遠いスタインバーグが誰よりも鮮やかに描き出しているのは不思議としかいいようがないものでした。
そんなスタインバーグ盤に出会った数年後、ホルスト自身がこの曲を録音したSP盤が日本で初めて復刻されたのですが、それはスタインバーグよりさらに速いテンポで演奏されたものだったのです。破綻だらけで名演奏とは呼べずとも、作曲者がこの曲をどう捉えていたかは歴然としていました。スタインバーグの曲の素性を見抜く眼力の凄さを思い知らされた瞬間でした。
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