どんな教育を目指すのか
一部の不登校の支援や、オルタナティブ教育界隈にある1つの幻想として、「個性や才能を育てる教育」というアプローチがあると思います。確かに、ジョブズも中退だし、エジソンも学校に行ってなかったらしいですが、99.9999%の子どもはそういう天才ではないということが現実です。
東大の先端研がやっていた「ROKET」というプロジェクト、これは異能・異才を発掘するような取り組みで残りの0.00001%の子たちへ向けた取り組みです。成果発表を見に行ったことがありますが確かにそこを利用している子は天才的な子が多かったと思います。そこに通わせたい保護者が毎年たくさんいて抽選の中で”選ばれた子たち”が通っていたという話を聞きました。
同様に不登校の子たちも多く通うN・S高も突出した才能を持つ子がいてそういう子が注目されやすいでしょう。
しかし、そのような教育というのはごくごく限られた中に生じているものであって、現実はもっと素朴です。
東大のROKETは現在はその反省から、現在はLEARNというプロジェクトになっています。
LEARNのHPから
”この「志」や「突き抜けた才能」を持つ子どもを発掘し、自己責任で前に進めという教育は、その一方で、「自分は他の子に比べて突き抜けてないからダメだ」と思う子どもを生み出し、彼らを苦しめるようになってきたのも事実です。突き抜けている事だけが素晴らしいことではありませんが、ユニークさを強調したが故に、普通であることがダメであるかのように捉える子どもが出てきてしまいました。また、ROCKETに選ばれることを目標にする子どもも出てきました。つまり、メリトクラシー(業績・能力主義)を批判しながらROCKETがメリトクラシーの罠にはまったわけです。”
”突き抜けとは違う道があってもいいと思います。平凡でもいいのです。今は志がなくてもいいのです。”
僕自身も、この部分には深く共感しています。もともと先端研ほど大規模なプロジェクトもできないし、権威性もなかったし、ある意味そこまで徹底的にできない僕という話もあり、街場の子どもたちとアジト的に居場所を作るというのがテーマではありました。
素朴さを愛するというか、個性や自分らしさを大切にするということは重要なのですが、それは突出した才能である必要はないと考えています。自分らしくある・いるということが重要であってその素朴な才能を大事に育てていくことにこそ意味があると思っています。その才能を持って仕事も見つけて、あっと驚くような成果を上げる必要はないと思っています。素朴に自分の好きなものと向き合う・好きなだけ没頭することができればそれだけでも人生はひらけてくると思います。
実際に、ロボット・プログラミング教育界隈でも色々な競技会やコンテストに全国や世界大会に出場するというクラスタもいます。そういう子たちは割と有名大学にAOで入ったり、エクストーリムだと孫正義育英財団とかで取り上げられたりするわけです。ただ、そんな子どもは僕の知っている子にはいませんです。ただ、ロボットやプログラミングが好きで続けてきたことで特色入試とか総合選抜とかで結果を残した子は確かにいます。そういうことがやりたくで頑張って中受をした子もいます。エリートというとちょっと違うかもしれないですが、等身大で自分のやりたいことに向き合えるそういう向き合い方をしていきたいと思っています。
なるべく学校っぽさを配するように個別指導や個別の課題に取り組む教育にをやっていきたいと思っています。最たるものは細田真鯛の活動でやってい「研究コース」というコースです。
・何をやってもいい
・1日中研究室を使ってもいい
・学び方、研究巣の進め方を指導する
というのを基本ルールに活動をしていました。もともとテーマが決まったクラスでは物足りないという数名の子たちのために初めて、最終的には20名くらいの子たちがそこで自由に学んでいました。自分のやりたいこととか疑問とか興味関心に没頭する子どもたちには大人の僕も学ぶことが多かったです。自分のやりたいことを掘り下げてそれに取り組むという教育の環境作りを大事にしたいと思う今日この頃です。
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