木をつくることに生涯を捧げた宮城蔵王の太田清蔵、逝去。祖父の記録と記憶。
2023年3月20日、私の祖父、太田清蔵は94歳にて逝去しました。
生前、全国山林種苗協同組合連合会の会長まで務めた偉大な人でした。
誇るべき祖父のことを忘れぬうちに文章に残したく綴ります。
また、生前祖父がお世話になった方にも本記事が届けばいいなと思い綴ります。
東北の宮城県蔵王町、そこに位置する遠刈田温泉という小さな田舎町にて祖父は若い頃に種苗業を営む太田苗園を創業。植林用の苗木を中心に生産する事業を営む。
聞き慣れない人も多いと思うので簡単に種苗業を解説。
種苗業とは、林業家が伐採した山や森の跡に次の20-30年かけて育てるための杉の木、ヒノキ等の35-45cm程度の苗木を植えるのですが、その苗木を種や挿し木から2-3年育てたものを販売する仕事です。宮城県内でも生産者が十数社しかいないニッチな領域ではあるのですが、日本の自然を守るためには必要不可欠な超重要な領域です。(今回は林業や種苗業を取り巻く課題については一旦割愛)
祖父である太田清蔵は、全国山林種苗組合連合会の活動や、地域の森林組合の活動などを通じて、過去には農林水産祭天皇杯、黄綬褒章、旭日小綬章などを国から表彰いただきました。
特に農林水産に関わる者として、天皇杯を授賞いただいたことは祖父にとっても人生最高の誉れであり、祖父の家の居間には常に天皇杯の表彰状が飾られていました。孫である私は幼少期にはその表彰状の凄さをよくわかっていませんでしたが、大人になってから改めて物凄い社会貢献をしてきた人なのだと感じざるを得ません。
そんな祖父が創業した太田苗園ですが、1976年には祖父の長男であり、私の父親である太田清隆が継承し、今はコンテナ苗生産方式での苗木育成や、植林用の針葉樹のみではなく、広葉樹の苗木生産にも注力しています。
㈲グリーンプランナー太田苗園の公式サイト
そんな業界では偉大な祖父は各組合などの会長職などは数年前に引退したものの、それでも毎日畑へいき、花粉が少ない杉の品種研究、間伐の効率的な手法の研究、いろんな生産者の方の畑へいき、勝手アドバイスをする等、90歳を過ぎても仕事熱心に生涯を捧げた人でした。
80歳を過ぎてからデジカメの使い方を覚えて、プリンタから写真印刷して研究したりしていた祖父。ただ、パソコンの使い方だけは生涯触れなかったようで、Excelなどは触ったことが無かった様子。それでも方眼用紙に自身で表を手書きで作成し、毎週毎月計測している研究対象の苗木の成長を手書きの折れ線グラフにして、嬉しそうに私に説明してくれたことを鮮明に憶えています。90歳近くても、こんなにも仕事大好きで、世のため社会のために真剣に向き合っている祖父は、起業家の鑑でした。
そんな偉大な祖父と、孫である僕のエピソードをひとつだけ。
僕がまだ小学校6年生の頃だ。
当時学校の勉強が良くできた自分は、力試しのつもりで担任の先生のプッシュで行く気も無い仙台市内の難関私立中学を記念受験しました。奇跡的に合格したのだが、自分自身も行く気はほとんど無く、地元の公立中学校に進学予定だった。
しかし、祖父がそこで立ち上がったのだ。
僕を仙台の中学校に行かせよう、と。
地元の蔵王町には電車が通っていないため、隣町の駅まで車で片道30分の送り迎えが毎日必要です。それを祖父が中心になって高校卒業するまで毎日6年間続けてくれました。いま冷静に考えても感謝の二文字しかありません。しかも、朝は早すぎて眠いから大抵は車の中では眠っていて、会話もろくにすることもありませんでした。祖父からすると得るものはほぼ何もない送り迎えだったと思います。無償の愛とは、こういうことなんだなと今この文章を綴りながら感じています。あの時、祖父が僕を仙台の学校にいかせようと声をあげてくれなかったら、今の僕は間違いなく存在していませんでした。
その祖父の無償の愛を、僕は祖父自身にはどれだけ還せたのか?
それは無念にもほとんどできていません。
僕は人生はバトンリレーのようなものだと考えています。
前の走者から受け取ったバトンを、次の走者へ繋いでいく使命があると思うんです。祖父母や両親からもらった膨大な恩を、質量的に本人たちに還し切ることは到底不可能です。だからこそ、自分の子供や、社会に対してそれらを還元していく意識と視座が大切だと考えます。
僕には祖父から託されたバトンが沢山まだあることに今回あらためて気づけました。僕はこのバトンを次の世代に繋いでゆく役回りをしっかり果たしていきます。
祖父はそんな風に僕だけではなく、多くの業界関係者の皆さまに無償の愛を降り注いだ人生だったのではないでしょうか。
木をつくる仕事と業界のために、
人生のそのすべてを捧げた祖父、太田清蔵。
私はあなたの孫であることを誇りに思うと同時に、
世のため人のために生きた意志を引き継ぎ、
私も自分自身ができることを果たしていきたいと気持ち新たに生きていきます。
じーちゃん、本当にありがとう、本当にお疲れ様でした!
どうか安らかにお眠りください。
感謝と敬意を込めて。
孫の太田英基
<メモ>
祖父が創業し、親父が営む種苗業の未来をどうしていくかをそろそろ真剣に考えねばならない頃合いだなと感じています。宮城蔵王で木をつくる仕事に興味がある人がいたら、ぜひ一度お話してみませんか?CTO人材を募集中です。(※CTO=Chief Tree Officer)