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ジンジャエールを覗き込んだらわしゅわしゅわが顔にかかった少しだけ特別な気分になった

文章を書くということ。絵を描くということ。自分の部屋。歪んだ歩き方。他人との会話。

なにかと向き合う時今まで目を逸らし続けていた自分自身のようなものが垣間見えては嫌になって逃げてしまう。
私の人生はそれの繰り返しだと思う。

そのなにかは他人だけじゃなく至る所に潜んでる。
いや、目を逸らしてるから潜んでると感じるだけでそいつらは悪くないのだけど。

目をつぶって歩きたい、なにも見たくない。そうやって逃げてばかりの等身大の自分も見たくない。私自身を見つめると今までの生きてきた人生の排泄物にしか見えない。それが悲しい。期待してないフリして実は私は私を期待してる。そんな所も嫌いだ。

飲み干した缶ビールの置く位置、脱ぎ捨てた下着。作りっぱなしで放っておかれた調理器具。残り3口程で食べ切れるであろう昨日のカップ麺。壊れてしまったハンガー。消える気のなさそうな左手の火傷のあと

その全てに私という癖のようなものが良くも悪くも滲み出ている。お願いだからこれを見せつけるのは反吐が出るからやめてくれ。

私の周りにあるこの隠せない癖のようなもの。

良くも悪くも。

これをいつか愛してやりたいと思う。
綺麗は汚い、汚いは綺麗。そうなのであればこの汚い私は綺麗なのかもしれないし綺麗だからここまで汚く醜いのかもしれない。むしゃくしゃしていつもなら絶対買わないような物を買ってみたりして。また虚しくなってる。そんな毎日。

好きでも嫌いでもないジンジャエールをいつも飲んでしまう。情けない。


ちょっと今日は考えすぎだ。1人狭い空間に長時間居るといつもこうだ。でも人には会いたくたい。

散歩にでも出かけることにする。

これも逃げだ。

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