わんつか青森 #5〜青森市を観光②〜
青森県みたいな未開な地なんてわがんねよ!
て方は、こちらからどうぞ!
前半はこちら↓
浅虫から約30分車を走らせ、今回は青森市内「三内丸山遺跡の」観光です😊
三内丸山遺跡
2021年に世界遺産登録された、三内丸山遺跡。
実はMOHEMIも縄文時代の集落、ってことしか知りませんでした😩
でもイメージの縄文時代と、えらく違ってびっくりした遺跡。
三内丸山遺跡は江戸時代から認知されていたようですが、本格的に調査を始めたのは以外にも最近?の1992年。
県営野球場や都市計画のための事前調査で、あまりにもザクザク土器や遺跡が出てきたため都市計画道路まで中止したようです。ちなみに三内丸山遺跡は青森市内でも比較的、超市街地!なので、田舎とはいえこんな街のど真ん中でザクザク出てきたらびっくりしますよね・・😅
青森駅からはバスで30分程度、新青森駅からは15分と観光もしやすい立地。駐車場も世界遺産を見越して500台も停められます😏
入場料のお値段もなんと410円!安い!!
三内丸山遺跡は、縄文時代前期中頃から中期末葉と呼ばれる約5900-4200年前の遺跡だそうです。1000年以上も続く集落ってすごいですね。
これが当時の全体イメージ模型。
遺跡跡は大きな公園のようなものになっており、今も継続的に発掘調査が行われています。ボランティアのガイドも1時間に1回実施しており、コースも1時間さくっとから半日じっくりまで色々と組み立てることができます。
遺跡跡までは徒歩2〜3分。広い敷地に、建物がちらほら見えます。
この写真にあるような白いドーム。ここも展示施設です。
保存状態を良くするため、気温や湿度を保つための施設で重要な遺跡の跡も見ることができます。
(MOHEMI母はトイレ施設と勘違い😩していましたが、くれぐれも見落とさないでくださいね!)
1番大きな建物である、大型竪穴建物跡。長さ10M以上の建物を大型住居と呼んでいるそうですが、三内丸山遺跡ではいくつも遺跡跡が出土しているそうです。そのうち復元しているのは長さ32Mの超大型。
この建物の中には自由に入ることができます。
ごめんくだされ〜(o_ _)o
入ってみると、夏でもひんやりした空気。
(ってことは冬は激寒・・)
想像以上の屋根の高さに驚きます。
個人宅というよりは、集会所、共同作業場、共同居住などに使われていたのではないか?と考えられているそうです。
MOHEMIの山岳テントより、圧倒的に住みやすそう。。
このように柱も屋根もしっかりしているので、その場の雰囲気は昔の蔵の中にいるような重さとずっしり感があります。
大型掘立柱建物跡
三内丸山遺跡といえば、この建物の形を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。発掘初期から復元されている建物です。
柱の穴は深さ2M、大きさ2M、柱の間隔は4.2Mと巨大なうえ柱穴間隔はすべてぴったり。要は当時にすでに測量技術があったことが伺える証拠の遺跡なのです。
この建物、なぜこんな櫓みたいな形をしているかというと、正解がわからないから。
屋根があって豪勢な建物だったという説や、柱だけ立ってたなど、諸説があるため中間を取ってこの状態になったのだとか・・
近くの白いドームには、他で発掘された穴だけの状態の遺跡を見ることができます。
高床式倉庫跡
内部にはいることはできませんが、よくよく考えたら今も世界によってはこの住居に住んでいる地域があります。そう考えると、縄文時代にすでに今も使っている住居があることはすごいですよね。
竪穴式住居跡
実は竪穴式住居の屋根だけで、3種類ぐらいが見つかっています。
この写真は土葺きですが、それ以外に茅葺き、樹皮葺きがありどのタイプの屋根も見ることができます。
広場ではそれ以外に、子供の墓、大人の墓、ゴミ捨て場(土器の破片だらけ)などもみることができます。
建物の中では当時の発掘品や生活などが説明されている展示室があります。
その中でも無知なMOHEMIが驚いたのは・・
・お酒を作っていたこと
・耳飾りなどおしゃれな装身具が結構あること
・遠くは新潟の方まで貿易して翡翠をてにいれていたこと
・クリなどは栽培していたこと
など、以外ときちんと文化があったんだな〜って分かる展示があることです🤔
大人でもめちゃくちゃ勉強になりました☺️
館内には時の修復現場もあり、あの粉々な状態から修復できるスキルに驚く限り・・
三内丸山遺跡が衰退した理由は、わかっていないみたいですが環境の変化(気温など)と言われています。
土偶ソーシャルディスタンスw
また施設には郷土料理をはじめ、縄文時代の要素もはいった食べ物が食べれるレストランもあるので、ゆっくり一日すごすことができます☺️
青森市を観光③へ続く・・