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自分の写真を「作品」と呼べますか?

今日は、Masaです。

相変わらず寒い日が続きますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?インフルエンザも流行っているので、撮影には行きたいですが、あまり無理をしないようにすこし控えめにしています。

さて、今回は、タイトルにある通り、自分で撮った写真を作品と呼べますか?という話です。もちろんプロの方や、すでにArt作品として発信されている方からみれば、「なにゆうてんねん」という事でしょうが、日本全国に何十万人(ほんと?)といるアマチュアを自称する写真家の皆さんはいかがですか?ここからは、あくまで、私個人の気持ちということでお願いします。
ご興味のない方は、写真だけでも見てってください。

私は、今まで「こんな写真撮りました」という感じで、Instagramやnoteで写真を発信していますが、「作品を発信します」と書いた(言った)ことはありません。なぜ、皆さんの前に披露するのに作品とは言わないのでしょうか?または言えないのでしょうか?いつも「撮った写真」「試し撮りした」「気になったので撮った」みたいな回答をして、堂々と作品と言ってきませんでした。

冬の小路
これからは、「私の作品」と堂々と言おうと思う

そもそも作品ってなんでしょうか?ウィキペディアには、「作品(さくひん)とは、人間によって作られたもの。特に、芸術としての意図を持って作られたもの」とあります。また、「芸術とは、表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動を表す。」とあります。

すなわち作品とは、「表現者(私)、鑑賞者(私の写真を見た人)が相互に作用し、何らかの感情なり意見を持つもの」と言えそうです。ということは、私の写真をみて、「きれい」「面白い」「へたくそ」「おもしろくない」など何か感じていただけるのなら、それはそれで作品と呼んでもおかしくないのではと思いました。(だいぶ拡大解釈かもしれませんが、わたしはポジティブ思考です)

力強く生きる
突然、作品というのは恥ずかしい

最近、大判カメラを使って写真を撮っていますが、今までと違い被写体と向き合う時間が圧倒的に長くなってます。どっからどう撮ればいいか?構図は?絞りは?シャッターは?めっちゃ考えます。これが、「芸術として意図して作っているんだ」という感覚を生むのかもしれません。

葉影
風がやむまで、だいぶ待ちました。

私は、写真歴50年弱にして、やっと腹落ちした感じです。被写体との向き合い方(私の場合は時間がカギ)で自分の写真を作品と思えるような気がします。もちろん、これは私の場合であって、スナップや、動物撮影など一瞬の勝負では当てはまらないでしょう。(だからかスナップはいつまでたっても苦手なのかも)

どうも私は35mmやデジカメを使うと、ついついパシャパシャと撮ってしまうようで、「芸術として意図して作っているんだ」という感覚が、得られなかったようです。もちろん、これは私の個人的な感覚です。だから、大判カメラの撮影作法を、ほかのカメラでも採用すれば同じような感覚を得られる可能性があります。。

今度、お出かけの際は、久しぶりにデジカメを持ち出してみようと思います。そして、あえて三脚を使うようにしてみようかと考えています。三脚を使うことで、今までと違い被写体に向き合う時間が増えます。そこで撮れた写真を堂々と作品と言えるか楽しみです。あえてすべてマニュアルで撮るなど、わざと手間のかかる撮り方をしてみようと思います。

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