普通にモテるまでのノウハウ(殴り書き)-性格
(考え方・思考など)
これは自分自身も年々変わってきていることではあるのだが、こればかりは人の生き方に深くかかわってくる問題なので当然正解は一つではない。
自分は…どんな人生にしたいか、どういった人間関係にしたいのか、どのような生活をしたいのか。
こういった自分の考える理想から逆算して答えを導き出すことが有用であると思う。
幸せに生きたい、穏やかに生きたい、平穏に生きたい…それぞれ人には抱える理想があるのだから、そのぼんやりとした幸せ・穏やか・平穏というのはどういったことなのかを深堀していかないと漠然としたものになってしまう可能性がある。
明確な答えが出るのであれば、それに越したことはない。
しかしそうも簡単に答えなど出ることがあるだろうか。
明確に明示できるのなら多くの人はキラキラ生きていけるのかもしれない。
その実、皆必死に生きて、もがいているし、悩み、苦しんで、様々な想像もできない苦悩を抱えながら、多くの人に打ち明けるわけでもなく生きている。
どうすればよいか?との心の叫びは常に人生に付きまとうものであろう。
なれど考えてもわからない、それは仕方のないこと。
ならば考え続けることは止めてはいけないのかもしれない。
考えること、思考を動かし続けることが生きるということではないかと感じる。
だいぶ本筋と離れたように感じるかもしれないが、考え続けることが一つの答えであり取捨選択における判断の基準となるのではないだろうか。
取捨と例えたが、行為に対する許す許さないや必要か・いらないかなどの言いかえも可能である。
許す許さないの考法などは、人生をどれだけの規模感でとらえているかによっても左右されると思うし、人生に必要か・必要じゃないかに関しても、最悪を想定した時の世界観によっても大きく変わってくると思う。
語り始めれば尽きないが、ご自身の価値観を読み込んでいくことが未来の人生を良い方向に築き上げていくことにつながると信じている。
好きな人・嫌いな人と、生きていれば様々な人に巡り合うものだがどのように付き合っていくかが人生のストレスを決めていく大きな要因となることも知っておこう。
幼児と接しているとおもうことがある。
誰もがみなこういう幼少期を経て、様々な経験をして大人になって、いろんな人格を形成する。
損得の二つで割り切れない感情を覚え、情緒を感じ、まれに何かの拍子に拗らせていく。
人生何が起こるか分からないということを肝に据え、これまでを振り返った時に後悔しない選択を集中して・考えて・決断していくことが人生ではなかろうか。
自分も人生半ばにいる身として断じることはできないことは承知の上でいうならば、人生において失敗というものは、おそらくない。
その場その時に、最善の決断をくだせる自分になるための考法なのだ。常に選択と決断であり、その決断の基準こそが価値観であるのだと思う。
考法は、玉鋼が高燃焼の中から熱し打ち出され、丹念に研ぎ澄まされ、よく切れる刀に成り代わるように、自らの価値観を研ぎ澄ましていく行為と等しい。
そして決断時には一刀をもって両断とし、人生を切り開く己の矜持となっていくものであろう。
人生は常にせめぎあいである。
止めることのできない時の流れに身を置き、永遠に流れ寄せる時は自らに当たり、過去となって後ろに流れていく。ボーっとしてても腹は減るし年もとる。
体内の代謝も落ち、若き日のように動けなくなる。
「始める時が一番若いとき」とはよく言ったもので、「思い立ったが吉日」もそう。
今を措いて若いときなど無いのだ。
何をするにも熟考は必要だろうが、決断を先延ばしにしたらその分自身の人生が流れているということを自覚することも必要だろう。
ならば悩みのスパイラルに陥るくらいなら決断点を作っていったん始めた方が良いのではないかと思う。
上手くいくいかないは、どうせやってみないとわからないのだから。
聞いた話ではあるが、出会い系においても人それぞれの考え方があった。
面白かったのでここに書き残しておこうと思う。
一般的にはメールでやり取りして、どんな人となりか探り探り関係を築いていくものだと思う。
しかし中には、「ちゃっちゃと会ってダメならバイバイしたほうが効率が良い」と実行する人もいるようだ。
(そもそも色んなリスクがあるから探り合いして安全を確認しているのだろうが、ではメールで百万通やり取りしても分からないことは多い。実際に会う中でリスクを排除して会う方法もあるわけで。)
どちらが良いと言いたいわけではなく、自分のスタイルや目的などに合わせたやり方を作り上げていくことに意味があると気付かされた出来事であった。
常識を疑え、ということではないが別に常識的なやり方じゃなくてもいいじゃないか。
もちろん人対人だからマナーが大事だし、常識的な範囲での付き合い方が大前提である。
この大前提が無ければ、どんなに面白い話で盛り上げても最後は台無しとなるだろう。
難しい話ではあるが、似たようなやり方で行くときはテクニックがある方が有利ではある。
同じ土俵・同じルールで戦うならテクニックは強い。
しかし同じ土俵に立たず、同じルールで戦わないなら…テクニックは通用しない。
何が言いたいかと言うと詰まるところ、どの土俵で戦うかどのルールで戦うかは自分で選べるということ。
自分で選ぶということは、既存のレールに乗って戦ってきた人にしてみたら結構しんどいことである。
しかし挑戦する価値はある。
やってみたら意外と痛快かもしれない、一つの選択肢なのだ
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