[短編] 罪
いろいろな出会いと様々の幸運と仲間たちに支えられてきた。
勇者は気がつくと、ついに魔王の居城にやってきてしまっていた。城は山のように巨大で闇のように真っ黒。背後には夕方でもないのに血のように赤い空が広がっている。
「いよいよ、決戦の時ね」と魔法使いが神妙な顔で言った。彼女は仲間に加わる前、村人たちにおかしな呪いをかけて遊んでいたが、魔法の腕だけは一流だったため連れてきたのだ。
「ああ、これでようやく終わるんだな」
元は盗賊だった奴が今では正義のヒーロー気取りだ。要するに犯罪者だが、目利きが効くのと、ピッキングや罠についての知識と技術が豊富だったので仲間にした。
「みんな、準備はできてるな?」
村を出る時からくっついてきている大男が言った。彼は職にも付かず親のスネをかじっていたので、半ば実家を追い出される形で旅の道連れになったのだ。それが何故か今では一番強くなっていた。両手で持った大斧で大抵の敵は一撃で死ぬ。
勇者はしかし、どうにも附に落ちなかった。また、果たして魔王を倒したあと、自分たちが一体どうなってしまうのか甚だ不安だった。
今でこそ魔王がいるから国民は皆、我々勇者一行を応援してくれる。彼らの過去の罪も見てみぬふりをしてくれている。
この分だと魔王を倒したあとには最初こそ賞賛を受けて褒美も貰えるかもしれない。だけど、魔王のいなくなったあとの世界に勇者がいらなくなったとき、自分たちはただの市民に戻るわけだ。
そう考えると彼らにしてみても今が一番充実していて、一番安定した生活を送ることができているのではないだろうか。もちろん死の恐怖はある。しかし、そんなものは普通に生きてても同じことだ。病気で死ぬかも知れないし、馬車に轢かれて命を落とすかも知れない。あるいは空から石が落ちてきてポックリ逝っちゃうかもしれない。
冒険者だった父親の跡を継いで勇者の剣を振ってみただけなのに、どうにも周囲に流されてここまできてしまった気がする。
「おい、どうしたんだ。浮かない顔して」
元盗賊の奴がいい人ぶって話しかけてきた。
「なあ、お前って前は盗賊やってただろ?」
「ああ、だけど今は改心したんだ。魔王をやっつけるためならなんでもするぜ」
「うん、それは良いんだけどさ。魔王を倒した後には罪を償うよね?」
「おいおい、魔王を倒した後の話は魔王を倒してからにしてくれよ」
こいつの得意技の一つは確か、トンズラだった。きっと褒美をもらえるだけもらったらさっさと逃げるつもりだろう。
「なあ、魔法使い。君も、この戦いが終わったらちゃんと呪いをかけた人たちの呪いを解いてくれるよね?」
「まー、それはその時の気分次第ね。あの人たち、あたしをバカにしたんだから当然の報いよ」
勇者はため息をついた。
「やめだ。魔王を倒すのはやめよう。ロクなことがない。君たちは確かに強いし、ここまで大いに役に立ったけど、人格が伴ってない」
「おいおい、いきなりここにきて何を言い出すんだ。とにかく魔王をやってしまおうぜ。あいつのせいで俺たちはとんだ災難を被ってきたんだ」
大男は太い声で喚くと、自慢げに斧を振り回した。
「いや、君たちがちゃんと罪を償うって約束をしないなら俺はここから先にはいかない」
仲間たちは驚いて互いの顔を見た。勇者はこれまでも何度か彼らに言い含めてきたことをあらためて言って聞かせた。
たとえ魔王を倒そうが、どんな善行を積んでも犯した罪は消えないから、可能な限り罪を償い、人々に奉仕するべきで、大男に関しては親に迷惑をかけてきたのだから孝行をするように、と。
「何の話してんのよ。今は魔王を倒すって話でしょ。まあ、あんたが怖気付いたってんならあたしたちだけで行ってくるよ」
だが、悲しいかな彼らには一向に勇者の想いが届かない。
「そうだな、名残惜しいが俺たちだけでさっさとやってしまおうぜ」
同じ言葉を話しているのにまるで違う生き物と会話しているような気がしてくる。
「仕方あるまい。でも、俺は何も悪いことはしてないような…」
三人はそう言って魔王の城の門扉を勝手に解錠して中へ入っていってしまった。
しばらくして、三人は魔王の首を引っ提げて帰ってきた。
「ほらよ」
元盗賊から首を投げ渡されて思わず受け取った。魔王の苦悶の表情が顔面に張り付いたままになっている。そっと目蓋をとじてあげると、少しはマシになった。魔王と言っても元は人だったのだ。それが何の因果なのか魔道に踏み入れてしまった。
黙祷を捧げたのち、塩を入れた樽に生首をしまって肩に担いだが、これまでの旅路が虚しくなるほど軽やかな荷物だった。
帰りの旅路、勇者は本当にこの連中を国の英雄にしてしまって良いのか悩みに悩んだ。
ある晩、旅の宿に泊まった時に魔法使いが宿の主人の態度が気に食わないとカエルに変えてしまい、盗賊は金庫の鍵を開けて中身を盗み取り、大男は足が臭くてイビキがうるさすぎるのでとうとう勇者の堪忍袋の緒が切れた。
目を怒らせ、無言で魔法使いの胸に剣を突き刺し、盗賊の首をはねた。
大男には明確な罪があるわけではなかったので手をかけず寝させたままにし、勇者は魔王の首をもって出奔した。
それから少しして国王のもとに大男が手ぶらで帰ったが、戦果報告の内容が今一つ要領を得ず、信憑性のないことばかりだった。
誰もがあの聖人君子とでもいうべき清廉な青年が仲間たちを殺めて逃げたとは思えなかった。
大男は手柄を独り占めするために勇者たちを殺したのではないかと嫌疑をかけられて牢屋に入れられてしまった。
ただ、確かにいつのまにか魔王は居なくなっていて、人々は魔物の恐怖に怯えずに暮らせるようになっていた。
だからと言って、世界が平和になったかというとそれはまた別だ。
相変わらず泥棒はいるし、変てこりんな魔法を使う怪しげな連中は蔓延っているし、殺人や強盗、詐欺も絶えない。
もちろん王政府はさまざまな法律を用意し、兵士たちは市民のために警邏してくれている。
それでも足りないのだ。
一部の人間たちは自らの欲望を自分たちで制御できない。
勇者はある時、自分の手で暴漢を殺めた。目の前で襲われていた女性を助けるため、やむなくしたことだ。
女性は怯えていたが、感謝してわずかな路銀を差し出して立ち去った。悪人は自分から流した血溜まりの中で動かない。
なんというすがすがしさなのだろう。
言葉で何を言っても動じない者には剣を突き立てるしかないのだ。これが答えだったのだ。
やがて、各地で何者かに惨殺された人々の死体が転がるようになった。
間も無くして、王国には魔王が復活したという噂が流れ始める。
勇者の行方は依然として不明のままだ。
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