父
今からちょうど一年前、父は新千歳空港の国際便ロビーから飛び立った。
定年退職後、ようやく自宅の一軒家に腰を落ち着けたと思った半年後のことだった。
既に実家を出て一人暮らしをしていた僕は、母からのメールで事態を知った。
『お父さんは9月からカンボジアに行ってお仕事をすることになりました』
えっ、カンボジア? どうしてまたいきなりそんなことに。
次の休み、亡き祖父から譲り受けた車を走らせて実家に戻った。
夕方、家のリビングでいつものようにテーブルに新聞紙を広げてホットプレートの上でジンギスカンをやった。瓶ビールを酌み交わしながら父は語る。
「じいちゃんがな、亡くなる一年くらい前に俺に言ってたんだよ。お前は、海外で仕事しないのかって。その時は、なんでそんなこと言うんだろうと思いながら、特に考えてないって言ったんだ。そんとき、じいちゃんが寂しそうな顔したんだよな」
すでに六十近い父親はすでに第一線を退き、これからはようやく家で余生を過ごすのだと思っていたのだが、そんな未練があったとは初耳だった。
「じゃあ、これからカンボジアの言葉を勉強するの?」
そうだよ、と父はことも無げに言う。カンボジアではクメール語という言葉を話すらしい。英語すらまともに話せないのに、いったいどうするつもりなのか。
酒に酔って赤ら顔の父を見ていて応援したいという気持ちと、どこか呆れたような心地とでないまぜになってうまく言葉が出てこなかった。
父は昔から食事をしながら、あるいは食後の晩酌をしながら僕に思い出話を語るのが好きだった。その日もやっぱり、日付を越えるまで父は昔話に花を咲かせていた。それらは子供の頃から何度も聞かされて来た家族の間だけで伝わるエピソードばかりだ。不思議とこの時ばかりはしばらく会えなくなるのだと思うととても大切な物語に聞こえた。
出国の日、僕は朝早く起きて父を空港まで車で送った。来年、一時帰国した時にはまた焼肉でもやろうと約束して。
だが、その約束は叶わなかった。折しも、世界的に流行したあの新型ウィルスによる影響で帰国できなかったのだ。
その代わり、僕らはインターネットというこの優れた技術で海を超えて再会した。
電話会議アプリを通じてパソコンのモニタの中に収まった父を見るのは初めてのことだった。
「おう、やすひろ。元気か」ずいぶんと日に焼けて黒くなっているが、少し白髪が増えたようだ。
「元気だよ。父さん、痩せたんじゃない?」
聞けば、毎朝ウォーキングをし、仕事終わりに余裕があれば首都プノンペンにあるジムに通っているらしい。ジムには本格的なサウナもあるというから驚きだ。
「さて、これはなんでしょう」
そう言って父は戯けた調子でテレビのレポーターのように掌に載せた缶を見せて来た。見たことのない緑色のパッケージには『Crown』の文字が見える。
「ビール? カンボジアの?」
うん、日本の方が美味しいけどねと父は苦笑いした。
「カンボジアでは、乾杯のことを"チョルモーイ"って言うんだよ」
それじゃあ、と僕はビールの入ったグラスを掲げた。
『チョルモーイ!』
酌み交わすことはできないけれど、僕らは言葉を交わすことができた。カンボジアの風土や、仕事柄知り合った地元の賑やかな人々のこと、とある集落で起こった離婚騒動などなど。
来年こそは、日本のビールで乾杯できるだろうか。
この先どうなるかなんて誰にもわからないし、暗いニュースも多い。それでも僕は未来が来るのを楽しみにしている。