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「本物と思ったら偽物」。その時「感動」はどこへ行く?

よく、マンガなんかで敵役に騙されていたことが発覚した時、「お前、あれは全部ウソだったのか!」「バカどもが…最初から全部ウソだよ!」みたいに言い争うシーンが出てくる。信用して秘密を教えたのに、とかなんだかんだと責め立てたりするわけだが、まあ要するにそれまでの「信頼」とか「愛情」とかは全部なかったのだというショックがある。

上記のように最初からだまそうとした、というのはちょっと違うかもしれないが、「信じてたのに」となってしまわないだろうか、という例がある。いわゆる「パクリ作品に感動してしまったとき」である。

漫画でも映画でもゲームでもよいが、特に最近は訴訟などで有名になっているのでゲームを例にとろう。

昔ヒットしたゲームAがあるとして、それのシステムやストーリーをパクったゲームBをプレイしたとしよう。ゲームAを先にプレイしている人は「これパクリじゃん」と気づくだろうが、ゲームAを知らずにゲームBからプレイした人は、当然そこには気づかない。「ゲームBってめちゃくちゃ面白い!ストーリーに感動した!」という感想を抱くかもしれない。しかもそのあとでゲームAをプレイしたら「なんだこれBのパクリじゃん」とすら思うかもしれない。BこそがAのパクリであり、その感動したストーリーももともとAで描かれていた話なんだよ、と知ったとして、じゃあ「Bへの感動って偽物だったのか」と問われるとどうだろうか。感情が動いたこと自体は本物としか言えない。ただ、何かに裏切られたような複雑な思いになるのではないか。

盗作が良くないというのは、権利的な問題はもちろんだが、こういった倫理的な問題もはらんでいると感じる。仮にずーーっとそれしか知らずに過ごしていた場合、後になって「昔やったゲームBに感動したなあ」と話したときに「ああ、あのゲームAのパクリのやつ?」と言われたとしたら。時間が経っている分ショックも大きいのではなかろうか。

以前、AIで作った作品に感動した場合の気まずさを「料理に感動してシェフを呼んでくれと言ったらインスタントだった時」に例えたが、これにだいぶ近いような気がする。

でもって、ここまで書いてきてこの構造何かに似ているな…と思ったら、「芸能人格付けチェック」だった。500円の料理と1万円の料理を比べて500円のほうがおいしい、といったら番組では「バカ舌」扱いをされる。しかし、その人がおいしいと感じたこと自体は事実であり、「おいしくないだろ」とは言えない。実際100円だろうが10円だろうがおいしいものはあるのだし。

まあ、あれはバラエティなのでいいのだが、現実だとなかなかショックなので、ぜひパクリ作品は自粛していただきたい。

「パルワールド」で任天堂から訴訟を受けているソフト会社があるが、この会社の別作品「Never Grave」が、別のインディーゲーム「ホロウナイト」に似ているという動画があった。

ホロウナイトのほうだけプレイしたことはあるが、見てみた限りかなり雰囲気がそっくりでびっくりした。ゲームの出来は結構よさそうに見えるのに、なんでデザインは変えてやろうと思わないのだろう。完全に印象で損をするとわかりそうなものなのに、もったいないなあ。そのほうが売れるとか、デザインコストが安いとかあるんだろうか。

実際デザイン系のパクリは立証が難しいし、これも別に訴えられるほどではないのだとは思う。が、印象としては非常に似ている。だからこのゲームが面白かったとしても、「面白いよ!」「ああ、あのパクリゲー?」みたいな感じで言われてしまうという点について考えてほしいものだ。せっかく感じた感動が、価値のないもののようになってしまうのは非常にわびしい。

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かわさき(土竜)
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