最高のゲームを決めるのは、グラフィックでもシナリオでもなくタイミング。
「友人が昔から通っていてオススメだという地元のお店に行ってみたけど、別に普通だった」という経験はないだろうか。
それは別に友人の味覚が鈍いわけではなく、友人にあるものがあなたになかっただけだ。それは何かというと、「思い入れ」である。
子どものころ、家族でワイワイと食事を楽しんだ思い出。長年通って親しくなった店主との関係。そういったものが味わいに反映されているのだ。
これは映画や本などいろんなものに当てはまることではあるが、もちろんゲームも同様。めちゃくちゃ好きなゲームが酷評されているのを見て「何であの面白さがわからないのか」と思ったことはないだろうか。
自分は子供のころファイナルファンタジー3に大ハマりしていた。だから以下のようなnoteも書いた。
とはいえ、今改めて振り返ると「そうはいってもあのラストダンジョンはひどかったな」とか冷静に思える部分がある。それにもし今何も知らずに初めてプレイしたら「なんだこの粗い作りは」と文句をつけるだろう。
それはやはり現在の基準に照らし合わせてしまうからだ。先入観や予備知識のない子供時代に、初めてのジョブチェンジや両手同時攻撃を味わったからこそ心に強く残っていることを自覚しよう。すべてはタイミングなのだ。その時代に、その年齢で出会ったことが重要。
だから「このゲームは今やっても面白いはずだ」と自分の子供たちにやらせたところで、だいたい思うようにはいかない。スーパーマリオをやらせてみたらあっという間にゲームオーバーになり、「難しい」とすぐプレイをやめてしまった。一瞬「何でやり直さないのか」とも思ったが、そもそも今のアクションゲームはイージーモードやらチュートリアルやらが当たり前。それを先に経験している状態で昔のゲームをやっても「不親切」と感じるのは自然といえよう。
だからこそ、同時期に同じゲームにハマった人との話は盛り上がる。
何故か若いのにレトロゲームが好きという人もいるしそれはそれでいいのだが、当時の空気込みで話をするとなるとまた別なんだよなぁ。
こういうところが「おっさんは昔の話が長い」と言われるゆえんだ。
長くなるのって、楽しいからなんです。
ちなみにレトロゲームでいうと自分は兄貴がパソコンでプレイしていたものも含めて経験があるので、年代よりさらに上のゲームにも親しんでいる。ただこのあたりのゲームはマイナーすぎて同年代で話が通じることはほぼない。
ボンドソフトの「タイムトンネル」、エニックスの「暗黒城」、ソフトハウス名は忘れた「妖怪探偵ちまちま」、今はなきハドソンの「サラダの国のトマト姫」(パソコン版)……、どれもだいたいポカンとされるタイトルだ。しかもパソコンなのでゲームセンターCXに取り上げられることもない。
上記は「ちまちま」以外すべてアドベンチャーゲームだが当時はマウスカーソルといったものはなく、すべて「コマンド入力」していた。目の前にある家に入るだけでも「ドア アケル」みたいな文章をカナ入力していたのである。正解のワードがクソ狭いこともあったりして、「タタク」ではダメだが「ナグル」ならOKということもあった。それをひたすら探して、煮詰まって、雑誌の攻略記事を見てようやく進めて、また詰まる…そんな遊び方をしていた。これまた今に照らし合わせればクソゲーだろう。しかし当時は間違いなく楽しかった。
もう一度やりたい!とも思う。ただこういうのをほんとにもう一度やると、処理速度の遅さとか不親切さにイライラしてしまうだろうな。やるならゲームセンターCX的なノリでワイワイやってみたいものだ。