公募における「失敗」とは。
某有名プロデューサーが
「失敗は怖くない。失敗は知られてないから失敗なのだから」
ということを語った、という記事を見て妙に納得した。
もちろん、失敗のすべてが知られないわけではない。
社運を賭けたプロジェクトの責任者になったけど失敗しました、とかであれば社内では悪い意味で有名人になってしまうだろう。
この場合はクリエイティブなものの失敗を指す。例えば自分が歌手を目指しているとして、歌を出すも全く売れないとなったらこれは失敗である。ただ、「売れてない=知られていない」わけだから、「あいつ歌出して失敗したんだぜ」とは言われない。
コピーでも川柳でも小説でもなんでもいいのだが、応募して落選したとしても、それは普通誰にも知られない。わざわざ「くっそー、落選したぜ!」と宣伝でもしない限りは。そう考えると自分はボツ作品の葬儀とかいってネタにしているのでわざわざ宣伝してるな。
ま、もちろん打率の高い人というのはいるので「あ、この人このコンテストでも入賞!」みたいなのはよくある。ただ、これも注目されるのは受賞の事実であって、その人が他にどれだけ応募してるとかどれだけ時間を使っているのかはわからないのだ。もしかすると自分が適当に考えた10本くらい応募して落選してるときに、その人はちゃんと考えた100本を応募しての受賞なのかもしれない。
今回の宣伝会議賞でも、フル応募者は3800本も書いている。もしここから100本以上通過した人が出たとしたらどうだろう。「3700本ムダにしてるじゃん」と言われるだろうか。そんなことはなく単にコピーモンスター(コピモン)として畏怖されるであろう。誰も「失敗」には注目しないのだ。そう考えると公募に失敗などなく、知られたくなければ言わなければいいだけということになる。
どうでもいいがこの「コピモン」という言葉、単なる思いつきのつぶやきではあったが、50本以上通過させる化け物みたいな人が毎年実在するので定着してしまった。定着したからには「コピモンの生みの親」として毎年デカイ顔をしていく所存です。
閑話休題。
たまに「フル応募者が恐ろしい」とか「数の暴力にビビる」みたいなことも言われるかもしれないが、まぁそれも一つの自虐ネタみたいなものだ。
自分は今回415本の応募となり、380本以上は応募しているので1つのネタにつき10種類くらい「てにをは」を変えていればフル応募も達成できた。全く意味がないのでやらなかったが。
ということで結論的にもう一度言うならば「公募に失敗などない。ただ落選はネタにはできる」となる。
応募期間が終わったのでさっそくどんなものを応募したか見せあったりしている人もいるようだが、自分はこれはちょっと苦手である。発表前に公開したら誰かに使われてしまうかもしれないじゃないか!みたいな心配をしているわけでは一切ないのだが、単にアドバイスとか受けて明らかにそっちのほうがよかったら「うああああそう書いときゃよかったァァァァ」となるからである。
かといってもし応募締め切り前に誰かに見てもらったとしても、いざそれで何らかの結果が出たらアドバイスくれた人に何かお中元でも送らないといけない気分になるし、それは相手も困るだろうし、となるのでやんない。もしそれで受賞とかになったらそれこそ賞金渡さないといけない感じになるもんね。
まぁ昔は打ち合わせでこっちが提案した内容をさも自分が考えつきましたというようにしてクライアントに持っていく人とかもいたけども。
と言いながらこれも「全部自分が考えました」と言いたいがだけの単なるエゴなのかも…。