情報の過剰摂取について考える。
例えば漫画でもバラエティでもいいのだが、「また●●かぁ」と思うことはないだろうか。●●の部分は何でもよい。
「また刑事モノドラマかぁ」
「またスタンド型超能力バトルかぁ」
「また解散ドッキリかぁ」
「また異世界転生モノかぁ」
「またあるあるかぁ」
何でそう感じるかと言うと飽きているからだ。よく見れば違う箇所はあると思うのだが、外枠が一緒であることでもう同じに見えてきてしまう。
ちなみにこれは自分で考えるものに対しても一緒である。最近公募コピーをろくに考えていないが、以下のような感じになるからだ。
「また『●●って●●だ』構文になってるな」
「また最後に出てくるどんでん返しのパターンが同じだな」
「また深い意味もなく語呂だけで対句を考えてるなー」
「また単語の中に単語を発見したパターン考えてるな」
思えば実際に広告の仕事をやっていた時もこんなループによくハマっていたような気がする。こうなるとなかなか抜け出せないのでモンハンばかりやっている。仕事でなくてよかった。とはいえもうMRも70超えたしなあ…。
それにしてもTwitterで公募が始まると(まあ大小考えなければ常に色々やってはいるのだが)その応募量の多さには驚く。あと、人によっては「あの人これも応募してすぐこれも応募してこれも応募してんの?興味ないジャンルとかはないのか?すごいなあ」と思ったりもする。やっぱりエネルギーであろうか。
かと思うと特定のジャンルだけガーっと応募する人もいたりするし。こういうのを見てるとTwitterのデータがマーケティングに役立つのもわかるというものだ。
しかし正直人には時間制限というものがある。例えばどんなお題でも30分考えたらゲゲゲの鬼太郎の毛バリみたいにビシュビシュ出て来るよ、ってんならともかく。宣伝会議賞だってちゃんと考えようと思ったら企業のホームページを見てリンクをたどって競合を調べて、と果てしなく時間がかかるはずだ。それでも応募数の増加は留まることを知らないしいくつもの移り行く街並みを眺めてるのはミスチルであり話がズレた。そういえば昔ホークスの助っ人外国人でズレータってのがいたな。ますますズレるけども。
正直自分は途中で過剰摂取できなくなってしまうタイプである。消化が遅いのだろうか。まあ最初に書いたように飽きもきてしまう。わかりやすく引っかかるポイントが見つかれば別だが、たいてい浅くいろいろ見ていくうちに「なんか基本的には●●と一緒だな」とか浅いところで固まってしまって薄いクレープをさらに薄く伸ばしたようなコピーばっかり出して重ねてミルクレープ状態になったりする。
これらの情報をガンガン摂取しても過剰摂取にならない人というのはどうしているのだろうか。
仮説A「情報をざっと眺めただけで勘所がわかる」
仮説B「情報をいくら入れても混乱しないキャパシティがある」
仮説C「情報収集を含めてもこれに打ち込めるだけの時間をつぎ込んでいる」
…あれ、これどの仮説だとしても自分には無理じゃん?
あべし。