内田樹氏の陰謀論と左派
◉合気道家の学者というユニークもあり、昔は街場の〇〇論シリーズとか、読んでたんですが。平松邦夫大阪市長のもとで市長特別顧問を務めて、ここで橋下徹氏に批判されてから、なにかバランス感覚がおかしくなった印象です。X(旧Twitter)を見ていても、どんどん左傾化して党派性が強くなり、言ってる内容もエビデンスのない思いつきみたいなものが多くなり。ついに反原発をこじらせて、陰謀論を口にするまでになったようです。
引用元ツイートも、転載しておきます。
ヘッダーはポストのスクリーンショットです。
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■反原発針小棒大教■
原子力発電所周辺は、平時からドローンの飛行が禁止されています。当たり前ですね、テロの標的にされたら、よほど強力な爆弾を使用しない限り、鉄筋とコンクリートの塊の炉心部は問題なくても、職員に死者が出ます。また今回の地震で、志賀原発のある志賀町は、緊急用務空域を縮小しました。東日本大震災で、福島第一原子力発電所も女川原子力発電所も、地震の揺れによって炉心部は直接的なダメージは受けていません。福島第一原発の事故は、津波による外部電源の喪失が原因です。
どうにも、左派マスコミの志賀原発を目の敵にした報道で、バイアスがかかっているのか……。一部マスコミが、津波が~(志賀原発は高所にあるので問題なし)電源が~(5本中2本の外部電源が切れましたが無問題、全部切れても1週間分の自家発電用の燃料あり)油漏れが~(それで具体的にどんな問題が起きるんですか?)と、騒いでいますが。また北陸電力と石川県は、放射線量を計測するモニタリングポストを設置しています。こちらは東北電力の環境放射線データの、リアルタイム表示です。
こちらは石川県の環境放射線データの、リアルタイム表示です。
どちらにも、目立った空間放射線量の変動は、確認できません。
■エコーチェンバー逃避■
こういう陰謀論は、エコーチェンバーの中でしか通用しない、切り取りや針小棒大ですね。また、内田氏に対するX(旧Twitter)上での批判で、正鵠があったので以下に転載しておきます。確かに、こういう陰謀論に内部から・シンパからの批判は、ほとんどないですね。健全な内部批判ができない組織は、腐ります。党首公選制を提案しただけで除名される、民主集中制という名の独裁組織かと、疑ってしまいますが。自浄作用がないと言われても、仕方がないです。
内田氏も町山智浩氏も水道橋博士も、昔はいろいろ学びがあることを書いていました。ところがある時期から、どんどんおかしくなっていった印象です。民主党政権と、東日本大震災の前後。左派で諌める人間が出ると、ネトウヨ認定してくるコマンダーがワラワラ現れ、エコーチェンバーにドップリに。内田氏も、文化論を言ってる内は、良かったんですよ。武道、映画、演芸……そこには拝聴すべき内容があったので。それが、政治論を言い出したら、どんどん偏ったモノになってしまいました。
興味がある人は、こちらのnoteもどうぞ。平田オリザ氏の珍論に、エビデンスもなく同意する内田氏を、批判しています。
こっちのnoteでは、マルクス経済学(マル経)にシンパシーを寄せる内田氏を、批判しています。
■マル経と非武装中立論■
左派は昭和の昔から、経済と軍事は昔からトンチンカンでした。経済は、共産党シンパはマル経の間違いを認められず。軍事は、憲法九条の矛盾を社会党支持者は認められず。非武装中立論のようなお花畑平和論で、思考停止。そのままズルズル、来てしまった。ところが、アベノミクスで雇用や就職が改善され、ウクライナ侵攻でプーチン大統領がウクライナに非武装化と中立化を求め、非武装中立論がどの国にとって都合の良い論だったか、可視化。なぜそうなったのか?
孔子は、国家にとって大事なことを弟子の子貢に問われて、国家には、食と兵と信が大事であると、論語顔淵編で述べています。これを現代風に言うなら、こんな感じでしょう。でもやむを得ない場合は、まず兵を切り捨て、次に食を切り捨てる、信頼がなければ国が成立し得ないから、と孔子は語っています。
・食(食料生産・エネルギー・流通・経済)
・兵(軍事・外交・国力)
・信(信頼・信念・民度・教育・文化)
でもそれは、理想論なんですよね。孔子自身が、政治改革に失敗して母国から国外逃亡し、何十年も諸外国を放浪した、挫折した革命家でもあります。その思想の核となる部分の表明としては、ありなんですけども。現実には軍事は必要で、非武装中立は現実には難しい。また、国民が飢え死にしては、信もクソないです。渇すれども盗泉の水は飲まずは、大衆には無理です。ところがその理想論だけを追い求めて、経済と軍事という現実論を置き去りにしたのが日本の左翼なんですね。
マルクスの共産主義思想が、ユダヤ・キリスト教の千年王国思想を焼き直した、疑似科学の宗教だということを、中高学生ぐらいなら理解できる平易な言葉で、解説しています。
■総合職と専門職と■
儒教の問題点は、ゼネラリスト(総合職=士大夫)を理想とした結果、スペシャリスト(専門職=職人)を軽視した文化が生まれてしまいました。李氏朝鮮の陶工で名前を残した人間はいないが、日本に渡った陶工は名前を残し、中には神社に祀られていると、韓国人が嘆く部分です。でも、ゼネラリストなんてそんなにいなくて、スティーブ・ジョブズやイーロン・マスクのような、独断専行のカリスマ経営者みたいなもんです。結果的に、本人はゼネラリストのつもりの、すべてに中途半端な無能の人を量産するハメになります。
これを教育論で言えば、良い大学に行くには5教科さえやってりゃいいという部分があります。中高一貫教育の私立とか関係ない教科には力を入れず、受験科目に特化した受験テクニックを教えます。さらに私立文系なら3教科で良いし、大学によっては2教科で慶応や立教レベルに入れたりします。でも、文系に数学や理科は不要でしょうか? んなことないのは、能登半島地震でのトンチンカンな救援論で露呈しました。また現実には、音楽・美術・体育・工芸・家庭科などのほうが、よほど人生を豊かにし、重要だったりします。
教育界では儒教とは逆に、専門以外は素人以下の、いびつなスペシャリストを量産しちゃった面があります。2022年から起きてる、左派の混乱と崩壊の根底にあるのは、この無能なゼネラリストといびつなスペシャリストの問題だと、自分は思っています。この両者に共通するのが、松山せいじ先生が言うところの「何者にもなれなかった人」です。評論家とか、編集者とか、多いですね。あるいは、かつて何者かであった人も、大量にいますが。仕事が減ったライターや芸能人とか。
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