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木戸修さん逝去

◉いぶし銀が代名詞だった木戸修さんですが、昨日死去が発表されました。亡くなったのは11日で、家族で密葬だったようです。享年73歳は、現在の平均寿命を観上げれば、早すぎますが。数年前から、癌で闘病されていたようで。あまりマスコミに出たがらない方でしたから、最後も静かに。どうにも、アントニオ猪木さんの訃報以降、木戸さんも追いかけていったかという感じですね。日本プロレスでデビューしたレスラーも、もうホント数少なくなりました。寂しいですね。

【【訃報】元新日本プロレス・木戸修さんが逝去】新日本プロレス

新日本プロレスで活躍した木戸修さんが令和5年12月11日(月)午後10時頃、息を引き取り、永眠致しました。

新日本プロレスでは、ご遺族の意向に沿い、葬儀後に皆様へのご報告を予定しておりましたが、SNS等で情報が広まっておりましたため、予定から前倒す形でのお知らせとなりました。

通夜並びに葬儀につきましては、ご遺族のご意向により、近親者のみにて執り行う予定です。

https://sp.njpw.jp/465316

ヘッダーは新日本プロレスの記事より、プロレスラーとしては渋い男前でしたね。

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木戸さんは、インタビュー嫌いでしたが。かのカール・ゴッチが我が息子と読んでいたほど、実はゴッチ流のテクニックを身に着けていたレスラーでした。ゴッチさんの関節技と言うと、藤原喜明さんですが、ゴッチさん自身は正統後継者として木戸さんを認めていたようで。消して大柄でもなく、筋骨隆々というタイプでもなかったですが、テクニシャンで実力者。なので、UWFに移籍したときは驚いたのですが、その実力者ぶりを示し、格闘技ロード公式リーグ戦では優勝。

実兄の木戸時夫さんもプロレスラーでしたが、怪我で引退。その闘病生活を見て、プロレスラーに。とにかく練習の虫で、コンディションを整えるという、ゴッチさんのスタイルも踏襲し、いつでも変わらないプロレスを見せていましたね。でも、地味地味と言われる割には、IWGPタッグのベルトもまき、割とタイトルにも恵まれているんですよね。テクニシャンなので、関節技の切れと説得力は高く、オリジナルのキドクラッチで勝利を掴むことも多く、印象に残る試合も多く。

インタビュー嫌いでしたし、プロレス記者には技術が分かる人もいなかったので、ゴッチさんが「私の領域に一番近付いた男」と評した技術は、あまり語られることがなかったですね。やはり、高度な関節技とか、きちんと理解した人間が書かないと、訳が解りませんし。解説する方も億劫ですし。なんですかね、アントニオ猪木さんの技術もそうですが、後世に残してほしいですね。人類の身体文化として、やはりそれは貴重な財産ですし。公称180センチの木戸さんが、生き残れた技術ですし。

ご本人は堅実に人生を歩まれ、引退後に備えて現役時代からアパート経営もされていましたし。娘さんはプロゴルファーの木戸愛さん。もともと、木戸さんは新日本プロレスでもゴルフの上手い選手だったようで。家族も円満で、ある意味で波瀾万丈が当たり前のプロレスラーにあって、真面目に勤め上げたかなと。昭和の名レスラーもどんどん去り、いよいよ令和の世だなと。昭和も遠くなりにけり。木戸修さんのご冥福をお祈りします。合掌

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