野間〝tpkn〟易通尊師が引退
◉レイシストしばき隊を結成し、後にC.R.A.C.に看板だけ代えた野間易通氏が、カウンターを引退するとのこと。引退でも廃業でも転向でも、ご自由にどうぞとしか思いませんが。彼は、元々がネット荒らしtpknのハンドルネームで、さんざん差別発言を連発し、SFファンや漫画アニメファンなど、彼がオタク認定した相手を侮辱して回った御仁です。その一部は魚拓され残っています。こちらのnoteで紹介しましたが。
シンスゴだのアリタヨシフだのサンゴクジンだの、まぁ悪意に満ちた内容のオンパレード。そのことを、謝罪も手界も居直りもせず、カウンターだなんだと自称されても、自分には商売左翼にしか見えません。そのことを自分に指摘されても、とぼけたり無視したり強引な言い訳をする広義のしばき隊界隈には、誠実さなど感じません。今はお通夜状態でも、野間易通批判をほどなく始めるでしょう。
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■雑な野間論にツッコミ■
こういう野間易通尊師の、過去の悪行を知った上で、このポエムを読むと、笑ってしまいます。何をかっこつけてんだ、二枚舌の商売左翼が、と。彼は元々は外語大卒でバンドのギタリスト。ソレで挫折して雑誌の編集者をやっていて、カウンターカルチャー気取りですが、思想的な部分は付け焼き刃で、言ってる内容は矛盾がすぐ露呈するレベルですけどね。同じく付け焼き刃の自分が保証します。
これはNHKに自分の名前を朝鮮語読みで読めと要求し、受け入れられなかったことで請求額1円の裁判をNHKに対して起こしたチォエ・チャンホア(崔昌華)さんの支援集会でのひとこま。
野間易通尊師が何に感動しようが衝撃を受けようが、知りませんが。一方で2016年には本名を名乗ったらとアドバイスした社長が訴えられて敗訴、賠償命令ですから。それこそ見解の統一なんて、在日コリアンの間にさえないんですよね。それは総連内でも民団内でも。
■発音できぬ言語を強要される■
薄っぺらいことを野間尊師は言ってます。話し言葉と書き言葉は、自ずと機能が違う。書き言葉は、例えばチグリスユーフラテス文明での楔形文字が、記号として生まれたように。インカ帝国で使われた、紐に結び目を付けて数を記述方法のキープ(Quipu・khipu)もこれに近いです。あるいは漢字が、言語が異なる多民族国家の殷(殷商)王朝で、官僚の統治のための道具として生まれたように。
加えて田中は、言語の本質は表記ではなく音にある、ということを明快に示した。それこそが、チォエさんの要求の正当性を担保する根本的な言語の性質なのだ、ということである(=漢字で書こうがカナで書こうがローマ字で書こうが言葉の意味はかわらない。文字のない言語を考えればわかる)。
アフリカのダホメ王国の無文字文化とか、野間易通尊師は知らんだろうし。ソレ言い出したら、日本人の多くはLとRの発音は聞き分けづらいし発音も苦手。半島の人はジャジジュジェジョとザジズゼゾの発音に苦労するし、濁音や長音の区別も苦手な人は苦手。母音や子音でも、朝鮮語は日本語より豊富で、これが歌手としての在日コリアンの深みのある謡いの、一因という人もいる。
完璧な発音が日本人にできない以上、それはピジン英語のような似て非なるモノになる。韓国で未だにネタにされる、日本人のキムチの発音が違うと切れる女優の動画ではないですが。であるなら、日本人は日本人の最大公約数が理解できる言葉を使うのが自然であり、全斗煥大統領訪日以降に始まった、朝鮮語読みの表記に、自分は違和感を持つ者です。
■話し言葉と書き言葉と■
さんざん、福島を〝フクシマ〟とカタカナ表記して、そこにある種の言霊、ハッキリ言えば呪いをかけてた連中が言うことですかね? 首都圏反原連とか、野間尊師のベースじゃん、と。野間尊師は、韓国のマスコミが天皇陛下を〝日王〟と表記することも、認める立場でしょうけれど。当事者を置き去りにして、自分たちの政治的主張の具にしてるだけでは? それがZainichi表記の揉め事。
横断幕における「Zainichi」という表記をめぐる「カウンター」の人たちの意見は、そうした過去の知の積み重ねを全く無視した暴論だったと思う。そして何よりも問題だったのは、その暴論を「当事者がやめろと言っているのだからやめろ」という言葉で正当化しようとした人が少なからずいたこと、そしてそれを咎める人がほぼいなかったこと、さらにはそれを言われた側にも「当事者」がいたことである。
これは、絶対にNGです。なぜなら暴力を招くから。
自分は、障害者を障碍者と書けと言われても、それは現状では認められませんし、先頃の松山ケンイチ氏の嫁という表現についてツイフェミが噛みついた件にも、苦笑する立場です。が、これはその表記の是非ではなく、単純に活動のイニシアティブの奪い合いにしか見えないのですが。この主導権争いというか、大学院生リンチ事件でも飛び出した言葉ですね。なんのことはない、お馴染みの内部抗争。
コレに関しては、上瀧〝正義は暴走しても正義って元弁護士が言ってた〟浩子弁護士のこの指摘、ある意味で筋が通っていますが。でもこれって、田山たかし尊師も指摘しているように、これってさんざん広義のしばき隊界隈に批判的だった人間が、指摘してきたこと。というか、崔昌華氏の事例からも、普通に矛盾していませんかね?
■解同朝田理論の恣意的な運用■
当事者が差別だと感じたら差別。この部落解放同盟が一般人から恐れられる理由の一因となった朝田理論の問題点は、それを恣意的に運用できてしまう点。そして、それをさんざんやってきたのは、野間尊師たちだったのでは? そもそも、底辺右派から韓国人が日本人に成りすますことを〝Zapanese〟と揶揄することを思えば、Zainichi表記は、気にする人は気にするでしょうに。母国のハングルオンリーのように、漢字は捨てられないのが在日の立場。
差別語であれなんであれ、言葉に関する議論では「当事者」はことの是非を決定する主体ではない。言葉に限らず、何が差別に当たるかも、当事者だけが決定主体ではない。「当事者が言っているから」「被害者が言っているから」は、それらを考慮するにあたって参考にする程度にとどめておかねばならない。それは多数者側にいる人は、なおさら矜持としてもっておかなければならないものだ。言い換えれば、責任をマイノリティに負わせるなということでもある。
俺たちも背負ってやるぜ、ということでしょうかね。でも、それって田中克彦氏の、漢字を使うな云々の言説=在日コリアンの名前の朝鮮語発音定着のための主体的な取り組みが必要って論とは、違うんじゃないのかな? 要は、野間尊師らが望む方向に変われという話で、解同朝田理論の、自分たちを絶対善として相手に変化や譲歩を求める論とは違うと、どこで保証するのか? 正義は暴走しても正義だもォ〜んの神原元弁護士の理論の破綻でもあります。
それは必ず将来、バックラッシュを正当化するための格好のネタになる。そのとき若い人たちに向かって謝罪するハメになるのはいやである。部落解放同盟の朝田理論がどれぐらいバックラッシュのネタになったか、過去から学んでほしいと思う。
なお私は、ネトウヨや一部のリベラル、あるいは共産党が言うほど、朝田理論が間違っているとは思わない。それは基本的には差別が構造的なものであることを述べた理論で、たとえばよく揶揄される「商売の不利益も差別のせいにした」という話も、構造的な差別状況の中では普通にありうることだし、現実の事例もいくらでも見つかる。
言葉を飾って誤魔化してますが、これは要するに、そのときどきの都合で当事者と当事者に寄り添う部外者の立場を使い分けるって、都合の良いことを言ってるように見えますね。解同朝田理論の恣意性を批判しておきながら、同時にその使用のための保留は付けておく。tpkn名義で好き勝手やってきた過去に口を拭って、スルリとカウンターに収まった御仁らしい、ツラの皮の分厚さですね。
■背乗りする部外者たち■
けっきょく、ダラダラ長文になっていますが、同じことを繰り返してるだけですね。痛みについては共感や自分の体験に引きつけて考えられても、理解できるかなんて、んなもん主観だからわかるわけがない。自分の名前を朝鮮語読みで読めという崔昌華氏のような人もいれば、日本語読みでいいよという人、通名で通す人、そこにはグラデーションがあって、全部理解できたら分裂症かウソつきか。
しかし一点だけ絶対に間違いだと言えるポイントがあって、それは「ある言動が差別にあたるかどうかは、その痛みを知っている被差別者にしかわからない」というテーゼだ。
これは本当は「差別の痛みは差別された者にしかわからない」とすべきであって、それならば同意はできる。しかし何が差別にあたるか、あるいはどんな言葉が差別の言葉か、それらは「差別された者にしかわからない」わけではないし、痛みを知らなくても「わかる」ものだ。もしそうでないなら、差別する側のマジョリティがそれを是正することは不可能となる。
解放同盟の糾弾闘争には正当なものも不当なものもあったと思うが、このテーゼに基づいた糾弾は100%不当なものだったと言うことができる。部落の当事者だけではなく、当事者以外がそれらに乗っかって個人を激しく「糾弾」した例も少なからずあっただろう。
いや、乗っかったのって、まさに野間易通尊師でしょ? で、カウンターに立ち上がった在日コリアンを、意見対立から次々と弾き出し、エル金氏やリンダ女王様は自噴たちの主義主張に都合が良いので、大学院生リンチ事件でも擁護し、多くの在日カウンターを広義のしばき隊界隈から去らせ、でも辛淑玉ジラ女史の福島ヘイト発言は珍妙な意見で擁護し、反論されたら即逃亡のブロックしたくせに。
それに対する自分の感想がコチラ。
野間易通尊師がかみついてきたのですが。凍結されて見れないのが残念ですが。辛淑玉ジラ女史のデマがデマだと、穴だらけの擁護論をリンクしてきたのですが。先手を打って、読んだ上で書いてるよと。キクマコ先生ら、メルトスルーの表現のミスを謝罪されてるのに執拗に叩いてるので、辛淑玉ジラ女史は「現場での言い間違い」なるミスがあったというなら謝罪したのかと、自分が詰めた訳で。
これで、オマエとは話しにならん系の捨て台詞を残し、逃亡。
けっきょく、野間尊師のtpkn時代の数々の差別発言を指摘され、こういう自爆をした孔悠鬼氏と同じ。類は友を呼ぶ。
どうせ、辞める辞める詐欺というか、これで辞めないでくれという要請を引き出し、すっかり落ちぶれた広義のしばき隊界隈の中での存在感と、イニシアティブを取り戻すための、駆け引きでしょう。あるいは八百長、あるいは動くゴールポスト。どうも、早くもそういう流れになりそうですが。自分は彼は商売目的の職業左翼で、引退と言うより廃業。tpkn時代に戻るための布石かもしれんと、指摘しておきます。このリンクも参考にどうぞ。
どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ
売文業者に投げ銭をしてみたい方は、ぜひどうぞ( ´ ▽ ` )ノ