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教育と学習と

◉こんなツイートが流れてきました。10代でデビューを決めた天才たちを、両手の数以上は間近で見ると、彼我の才能の差に打ちのめされるのですが。でも逆に言えば、才能がない人間ほど大学に行ったり社会人を経験したりして、才能の差を経験値や他の学問で埋める必要性を感じます。それは同時に、天才の方法論は、凡人には危険でもあるとも思います。イチローの振り子打法を真似すれば、成績が下る中学生高校生のほうが多いでしょうね。

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、

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■凡人のための教育■

永久保貴一先生が大学で脚本の講義を受けたとき、講義の冒頭で、脚本創りの奥義を教わったそうです。
「1日に14人以上と話しなさい」
物語を生み出すのは、テクニックや知識ではなく、人間と出会い、人間と語り、人間を知る。そのことを、何を実行すべきかで言い表した、まさに奥義だと思います。逆に言えば、この言葉にハッとしたり、理由は分からなくても心惹かれない人は、作話に向いていないです。

MANZEMI講座でも、技術や考え方、事例、知識は教えます。でも、物語作りの本質は、そこではないと思います。例えば経団連の社長は「大学には即戦力の人材を育てて欲しい」とか「文系学部は不要だ」と言います。でも、理系の最高峰の大学のひとつであるマサチューセッツ工科大学の教授は、真逆のことを言っています。大学で即戦力は育てない、文系の教養が大事である……と。

すぐには役に立たないけれど、発想の土台となる教養は、一見すると無駄に見えます。でも、その無用の用の存在が、才能の不足をカバーしてくれる面があります。野村克也監督が、自分は不器用で二流だと自覚したからこそ、データを集め傾向を分析し、対策を考える野球で、弱者が強者に負けない野球を模索したように。天才にはどうしても勝てなくても、凡人には凡人のやり方があるわけです。

ということで、再び富野由悠季監督の名言を、リンクしておきますね。

■学び方の3形態■

さて、冒頭の問題に戻って。何かを学ぶということと、誰かについて教わるということは、実はいろんなやり方があります。大きく 以下の3つに分けることが可能でしょう。
 ・個人で模索する自学自習
 ・学校で教師に学ぶ集団教育
 ・師匠について学ぶ徒弟制度

どれも重要です。どれが合うかは それぞれの才能や性格にもよりますので、一つの方法論を絶対化して押し付けるのは、自分は疑問です。

天才は自学自習で独覚するものです。かの宮本武蔵も、養父に手解きは受けても、自分自身で試行錯誤して、剣聖と呼ばれる高みに至りましたし。松本人志氏も、漫才 もコントも映画も自分で試行錯誤をして、方法論を見つけたと。いかりや長介さんも、音楽もコントも役者も、師匠について学んだわけではないと語っておられました。ただ、こういうタイプはやはり型にはまらない天才で、それまでのパラダイムを打ち壊す役割を担っています。

これに対して、集団教育は自分のレベルや他人の考えも判り、効率が良いです。ある意味で平均的なレベルよりは上の、量産型人材を育てるのに、適しています。徒弟制度は師匠の下で、ディープに学ぶ教育方法。師匠の方法論と合わないと厳しいですが、カスタマイズされた方法論を、長期的に学べます。それぞれに良い面もあれば悪い面もあります。完璧な方法論はないというのは、前提として考えるべきでしょう。

大学は集団教育の場ですが、一般教養で広く知識を得て、ゼミで徒弟制度的に指導教官に学び、卒論で他の人間が手を付けていない問題を自分で研究するという、前記の3つの方法論を学べます。なので、大学で学ぶことは、良き友に出会い・良き師に恵まれ・良き研究課題に出会えると、得るモノは大きいかと。大学でしか学べないこともあります。投稿者などを見ていると、この子は大学に行って無駄を楽しむ 経験をした方が、結果的に作家の幅が広がったのではないか……と思うことはよくあります。

■家庭教師と徒弟制度■

さらに言えば、欧州の貴族やお金持ちは、家庭教師を子女につけて勉強はさせました。『アルプスの少女ハイジ』のクララのように。ロッテンマイヤーさんはゼーゼマン家の執事的なポジションですが、教育係でもあります。本当のお金持ちは、小学校など行かなかったりします。これは中国でも、お金持ちが武術家を雇い、自宅に住み込みで、息子に護身のために武術を学ばせるのに似ています。八極拳の劉雲樵老師は、そういう方式だったようです。

家庭教師と徒弟制度はその意味で、表面的には似てるけれど、違う部分があります。 落語家だと、師匠から教わる演目数は意外に少なく、他の師匠に出稽古のように教わることが多いそうで。 立川談志師は、師匠の五代目柳家小さん師匠から、四つだけ教わったそうです。つまり、数百の持ちネタのほとんどは、他の落語家から学んだわけで。落語界はある意味で、特殊な集団教育の方法論を持っています。

だから、師匠からひとつの演目も、稽古をつけて貰っていない落語家もいます。笑福亭鶴瓶師匠や柳家三三師匠など。では、いったい何を師匠から学んでいるのでしょうか? 先頃亡くなった笑瓶師が鶴瓶師に弟子入りしたとき、鶴瓶師の師匠である六代目笑福亭松鶴は笑瓶師に、「こいつ(鶴瓶)の生き様を見習え」と語られたとか。これこそが、徒弟制度の本質でしょう。学ぶのは技術ではなく生き様。

■5種類の学びの方法論■

寿司屋で十年の修行は無駄だ、専門学校なら一年で教えてくれると言った御仁がいましたが。寿司屋の修行で学ぶのは技術だけでなく、師匠の生き様も含めて、なのでしょうね。 酔客のあしらい方や、常連客の作り方、経営戦略などなど。寿司の握り方の技術だけではない、総合的な何か。 完全にプロ仕様ですね。ホリエモンには、生き様を教えてくれる師匠がいなかったので、前科者になって刑務所で過ごす羽目に。でもまぁ、それは彼の経験値になってるのでしょうけれど。

大学や専門学校は集団教育が基本ですが、徒弟制度の方法論を集団教育に持ち込み、学生を混乱させる人がいます。少なくとも自分は、学びということに関して、以下の5種類に分けて特性を分けるべきと思います。
 ・自学自習
 ・集団教育
 ・ゼミ制度
 ・家庭教師
 ・徒弟制度

それぞれの教育方法に、得手・不得手があります。繰り返しますが、どれかひとつを絶対化するのはおかしいと思います。当講座のデビュー率が高い理由のひとつは、各方法論の適所振り分けです。

集団教育のメリットを生かして、受講生同士の横の繋がりを強め、集団教育での各種メソッドで地力を上げ、家庭教師的に個別の疑問に徹底的に答え、ゼミの卒論指導的にネームを個別に叩き合って、講座を離れても自学自習できる方法論を提示する。そういう意味では、徒弟制度的な部分は、じゃっかん薄めですけどね。他人に教えられるような生き様はありませんから。失敗例して反面教師にしてもらえれば。

どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ

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