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子どもをイジメっ子・イジメられっ子にしてしまう教育

◉ちょっと前の記事ですが、興味深い内容なので、紹介と備忘録を兼ねて。イジメ自体は、昭和生まれの自分の世代にもありましたし、過去を美化する気はサラサラありません。思えば学級崩壊も、既にありました(ただし、特定の教師の授業でしたが)。そしてこの記事の内容も、充分に心当たりがあります。

【子どもを「いじめっ子」にしてしまう親の教育が明らかに】ナゾロジー

「つい冗談で」、子どもをからかっていませんか?

アメリカ、カナダ、スウェーデンの共同研究では、親の嘲笑・敵対・拒絶的な教育によって子どもの感情コントロールが機能不全に陥り、いじめの加害者になるリスクが急増することが判明しています。

しかも、そうした子どもたちは、加害者だけでなく被害者になるリスクも同様に高まるとのこと。

研究は、2019年5月24日付けで『Journal of Youth and Adolescence』に掲載されたものです。

https://nazology.kusuguru.co.jp/archives/86422

ヘッダーはnoteのフォトギャラリーより、メイプル楓さんのイラストです。


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■冷笑的・敵対的な態度■

詳しくは、上記リンク先の全文を、ぜひお読みいただくとして。子供だからって、からかわれてもすぐに忘れるだろう……というのは、親の側の浅はかな考えで。子どもって、むしろ記憶力のいい子は、ずっと覚えていますからね。幼稚園の頃に親につかれた嘘やからかいを、覚えてる子はけっこう多いですしね。もちろん、からかい自体は冷笑とか敵対的とかとは程遠いからかいもあるでしょうけれど。でも、けっきょくは小さな子供を、その無知や経験値の少なさゆえにからかうのは、結果的にバカにされたと印象だけが残りがちではないかと、そんな事を考えさせる内容でした。

その結果、いじめの加害者や、同級生との不和を起こす生徒のほとんどが、子どもを頻繁に「からかう」など、冷笑的・敵対的な態度で接する親をもつことが分かりました。

つまり、からかい上手の高木さんの家の子は、いじめっ子になってしまうと? もちろん、そんな話ではないのですが。そもそもあの作品は、高木さんのラブが背後にありますからね。例えば、認知症の老人も、内容は理解できないけれど、バカにされたり叱られた印象だけは、残ると聞いた記憶が。自分の中のひとりは、親の介護の準備のための勉強をしていたのですが、そこらへんは指導の方に言われたようで、「ご飯を食べてない」という人に「さっき食べたでしょ」はダメで。「いっけない、すぐに用意しますね」とか、肯定的に受け止めてあげるのが大事だとか。子どもも一緒なんでしょうね。

■親を無意識に模倣する子■

自分の小中学校時代を思い出しても、親がすぐに折檻をするタイプは、クラスメートに対しても、暴力的でしたね。やはりそこは、コミュニケーションの雛形を、親から学ぶわけですから。そういえば、ある作家さんも、他人を叱るときに、自分が言われて一番嫌だった母親の叱り方を、無意識に真似ていて愕然としたと、語っておられました。浜田省吾さんの名アルバム『FATHER'S SON』でも、父親を否定しながらも、その血脈に思いを致す作品が多数、収められていました。肯定するにしろ否定するにしろ、親の影響というのはそれほど深く、心の中に残るんだなと、こういう研究と併せてみると、思い当たる部分が。

特筆すべきは、このような子どもたちがいじめの「被害者」にもなってしまうことです。
調査結果によると、嘲笑的な親をもつ子どもの多くは、誰かをいじめていると同時にいじめられている状況にありました。

これも重いですね。親の態度を真似て、他人にも攻撃的になってしまう。負の連鎖、なのでしょうけれども。実際、DVとかを見て育った子どもは、自分も繰り返す傾向があると、指摘されています。ここらへんは、細野不二彦先生の『ギャラリーフェイク』でも、取り上げられていましたね。もっとも、江戸時代の日本を見ますと、子どもへの折檻は当たり前で、今日的な目で見ると、あまりの凄惨さにギョッとすることも多いです。そういう意味では、社会は少しずつ変わっているのでしょう。そもそも、子どもという概念自体が、近代が生んだという指摘もありますからね。

■笑わせると笑われるの差■

そういえば、近所のデパートやファミレスで、あれ買ってこれ買ってと駄々をこねる子どもがいますが。そういう子に対して「また今度ね」という親はとても多いんですが……。個人的にはあれも、親はそううやって気をそらせば、すぐに忘れるだろうと思いがちですが。子どもは覚えていて、今度と言ったのに嘘を付いた、みたいになってしまうんですよね。ダメなものはダメ、というのは大事ですが。かといって、子どもに「うちは貧乏だから我慢しろ」は、それはそれで卑屈になってしまうんですよね。教育って、本当に難しいですね。まぁ、独身の自分が言っても、あまり説得力はないのですが。でも、いちおうは教育者の端くれでもありますから。

「つい冗談で」「笑わせようと思って」――。

人をからかうことは常に相手を傷つける危険性をはらんでいます。

笑いというのは、ある意味で残酷な部分があります。他人を貶める笑い云々と言う人が、自分の嫌いな政治家にはボロクソに言うダブルスタンダードを見るに、円満な人格っってのは、なかなか難しく。写真家の篠山紀信氏が、子供の頃に行儀見習いとして、八代目桂文楽のところに生かされていたとか。コミュニケーションの基本だから、と語っておられた記憶がありますが。落語を聞くだけでなく、子どもに知ったかぶりのご隠居や与太郎を演じさせることで、笑いというものを客観的に知ることができるのかなと、そんなことを思ったりします。


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