権力との距離の取り方
◉さとうゆーすけさんの、こちら↓のnoteから派生して、ちょっと思うことを。ShinHoriさんやnowhereman134さんなどは、国家や国家権力を戦前の独裁国家やフランス革命当時の絶対王政、あるいは東アジア型専制君主国家(皇帝制度)のイメージで捉えているのでしょうね。そんなものは現代ではほとんど解体され、むしろ中華人民共和国や北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)やキューバなどの共産主義国に色濃く残ってるのに、こちらはあまり批判したがりませんね。
あるいは、朴槿恵前大統領時代には産経新聞ソウル支局長を出国禁止にして嫌がらせして裁判に掛けたり、文在寅大統領のシンパを実績無視して大法院の判事に抜擢しつつ検察庁にも圧力をかけ、国家の枠組みを超え日本の主権を侵害する判決を出させる、三権分立とはほど遠い人治国家の韓国とか。そういう、本当の意味での凶暴な国家権力批判はしない。そんな人達が考える権力について、ちょっと思うところを。
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■権力の源泉は大衆■
ベルリンの壁が崩壊し中国は天安門事件を起こしソビエトは解体しチャウシェスク夫妻は処刑され北朝鮮は拉致をようやく認めと、00年代以降の左派は急性アノミーに陥り、ある者は保守派に転向し、ある者は過去を恥じて沈黙し、でもそういう部分を知らない新参者や、恥知らずや、自分たちが破綻したと理解できない程度の知性(学歴だけはムダに高い)の人々が、幻想(妄想?)の中の国家権力批判を嬉々として続けています。
ぶっちゃけ、福島瑞穂センセーとかのレベルですが。なので、その批判はフワフワしていたり、矛盾だらけダブスタだらけだったり、上滑りするのは必然ですね。そもそも、権力の定義も明確ではないでしょうし。フレイザーの古典的名著『金枝篇』とかの、殺され王とか知らなそう。連合国の女王に擁立された卑彌呼が日蝕の短期間での連続という天変地異か、あるいは対立する狗奴国との戦争に敗北した責任を取らされて殺された可能性もあるように。
権力というのはボスザルといっしょで、ボスザルに内在するのではなく、実は群れの構成員がリーダーに貸与してるようなモノの集合体。なにやら、ジャイアンのような腕力が強い個体が、暴力でムリに弱い個体を従わせているというイメージなんでしょうけれど、そんなこともないんですよ。そういう側面もあるけれど、チンパンジーだって腕力だけではボスにはなれない。群れのメスたちの支持がないとボスと認められなかったり、2位3位連合に追い落とされたり。不適格と思われた王は、時に殺される。フレイザーの殺される王の事例は、その点を指摘した訳で。
■フランス革命の自画自賛■
薄っぺらい左派は、「絶対王政のブルボン朝が市民の団結によって打ち倒され、民主主義の素晴らしい世が到来した」という、フランスの自画自賛を額面どおりに……いや、額面以上に受け取っていますが。実際は、フランス革命からナポレオン戦争の混乱の中で、200万人の自国民同士の殺し合いが起きてるわけで。ルイ16世とマリー・アントワネットを断頭台に送ったフランス革命より、王を温存した立憲君主制の方が、はるかに少ない流血で変革に成功してます。
日本は市民革命を経験していない云々の、ステレオタイプの批判も、実態を観ていません。フランス革命だって、主導したのはマルキド・サドらのような貴族や知識人階級で、市民はコマンダーとして煽られ、むしろ暴走した面も。下級武士が主体となって成功した明治維新を、必要以上に貶める必要はありません。江戸城無血開城の方がよほど誇れます。ルイ17世へのおぞましい虐待、知ってますか? そもそも江戸時代は、ある時期から撫民政策に取り組む藩が多く、絶対王政とは比べるべくもなく。
先駆者としてのフランス革命には、一定の評価も敬意もあって然るべきですが、それが神格化に至ったら、ただの宗教です。実際、宗教を否定したフランス革命は、無神論的な理性神の祭典なんか開いちゃっています。呉智英夫子は、こんなのバモイドオキ神となんの違いがあるんだと、疑義を呈されていましたが。マルクスの共産主義思想も、宗教を否定しようとしたらむしろ、純化された宗教になってしまったように。急進過ぎるとかえって後退する逆説。バラモン左翼やツイフェミがそうでしょ?
■国家権力を越えるビッグテック■
現在はむしろ、マスコミのような第四の権力が幅を利かせています。行政・立法・司法の三権は相互に牽制して暴走を防ぐシステムですし、政治家は選挙で落選する存在。でも、民間企業のマスコミには、国民によるジャッジが、事実上存在しません。それはGAMFAやGAFAと呼ばれる、世界的な企業も同じです。強い影響力を世界に対して持ちながら、国民の審判は受けない、いいとこ取りの治外法権ですから。
安倍前総理とトランプ大統領とで政策が一致してたのは、各国の法制度の違いを悪用して、納税の義務から逃れて儲けまくる、このいいとこ取りのグローバル企業に対して、世界各国の政府がちゃんと連携して、キッチリ税金を払わせる投網を作ろうとしていたこと。国家権力なんて国外ではほぼ無力。でもグローバル企業は国外でも跋扈。その二人が、政権の座から一次降りることになったというのは、グローバル企業とそこから多大な広告費をもらってる旧メディアの、勝利なのか? 自分はそこは、ちょっと保留したいです。
国家権力とは、仙谷由人氏が言うように暴力装置。というか国民の暴力という強制力を振るう権利を、国民から委託された存在と見做されます。「大坂の大商人が怒れば大名も震えあがる」と評された江戸時代の大商人も、幕末の戦乱の中で鴻池のような大商人中の大商人が選択を誤って、政治に近づきすぎて明治維新以降は没落していますし。逆に岩崎弥太郎の三菱は、明治新政府に接近して政商として大成長したけれど、これまた二次大戦で大ダメージ。
■権力の最後の切り札は暴力による強制■
もちろん、鴻池グループも三菱グループも今でも大企業ですし、三菱は世界最大級のコングロマリットですらあります。でも、常に政治と一定の距離感を保った三井が、安定しているのを見なるべき。太平の世では権力は大人しくせざるを得ないが、暴力という絶対的な切り札を持っているのは向こうだと、三井は見抜いていたわけで。だから、大名貸しを禁じたわけです。いざとなったら暴力で踏み倒されるから。
もしどうしても大名からの借金の依頼を断り切れないときは、相手が申し込んだ借金額の倍ほどを、返済不要と渡して縁切りすべしと、実に実践的なアドバイスまで子孫に残しています。借りて返してまた借りてを繰り返していると、クレジットカードの限度額と同じで、ズルズルと貸し金の額が増えていきます。最後は踏み倒されて終わり。しかし思わぬ大金をただでくれた人間に、お代わりは言いづらい。韓国政府じゃないんだから。また、再度の借金を突っぱねる理由にもなる。慰安婦合意の10億円と同じで。こうして三井グループは長期安定した訳で。
その視点で見ると、グローバル企業はやりすぎな面が。GAMFAのうちFacebookとGoogleは、ちと政治に接近しすぎたのではないか? 5強には入っていませんが、Twitterもヤバそうだし。あんがいMicrosoftとAppleとAmazonは距離を置いてる印象です。ただ、元がリベラルな社風のAppleは、ポカをやりそう。Microsoftが現実路線で、常識的な距離感を保ったりして。
■好戦的な民主党政権とグローバル企業■
日本の左派は勘違いしていますが、グローバル企業は世界で商売がしたいので、他国の政治に積極的に口を出す民主党支持です。ブッシュ親子の共和党政権を例外として、対外戦争を起こすのは民主党政権時代なんですよね。名目は、独裁国家に正義の鉄槌を下すという形は取りますが、何のことはない、商売のため。今のイランのように、革命防衛隊が国軍とは別に独自の軍を持ち、タンカーを攻撃する国は商売上、邪魔ですから。
共和党は国内政治重視で、世界なんてどうでもいい。利己的っちゃあ利己的ですが、むしろお為ごかしなキレイゴトを言う人間より、信用できませんか? 共和党の基本はモンロー主義、つまり他国と距離とって孤立したい。アメリカ合衆国はそもそも、独自の法律と軍隊と警察組織を持った国が集まった、連邦国家です。アメリカだけで必要な資源も技術も供給でき、完結するプチ世界ですから。
ゆえに、バイデン政権で米中戦争の危機が去ったとか、バカ丸出しです。ハッタリを効かせつつ中国を追い込み、戦わずして・戦っても最小限で済ます可能性(ブッシュパパの湾岸戦争パターン)があったトランプ政権に対して、バイデン政権は第二のベトナム戦争を起こす可能性だってありますよ。そうでなければ、中国の言いなりか、ご無理ごもっともの妥協で状況悪化。バイデン政権にどの程度関わるかで、鴻池や三菱のように四年後にキツいことになる企業が出そうです。
どっとはらい
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