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コンビニから雑誌がなくなる?

◉出版取次大手トーハンの、出版流通事業が4期連続の経常赤字が見込まれ、出版各社に書籍や雑誌の運搬費の値上げを相談という話題が。出版社が作った本は、取次 会社によって全国の書店に流通されていますから。さらにコンビニエンスストア大手が、店内から雑誌を置いてある棚の完全撤去を検討しているという情報も。雑誌や書籍は 売り場面積を取る割には、利益率が必ずしも高くないでしょうし、これも時代の必然でしょうかね。

【コンビニ大手、今期中に雑誌棚の完全撤廃検討…週刊誌1000円時代へ突入「文庫は1600円、新書は1200円」いったい誰が買うのか】MINKABU

 出版社が苦境に立たされている。元経済誌プレジデント編集長で『週刊誌がなくなる日』の著者である小倉健一氏が、各社の内情を語る――。

「出版流通は、もはや既存構造では事業が成立しない」
「出版流通はもはや既存構造では事業が成立しない。市場の縮小に、トラック運転手の労働時間規制を強化する『2024年問題』が重なり、本を運ぶ費用を賄えない」(日経新聞5月24日)――こう話すのは、出版取次大手トーハンの近藤敏貴社長だ。トーハンは、2023年3月期の出版流通事業が4期連続で経常赤字になることが見込まれていて、出版各社に書籍や雑誌の運搬費の値上げを相談するという。

https://mag.minkabu.jp/politics-economy/18436/

ヘッダーはMANZEMIのタイトルロゴより、平田弘史先生の揮毫です。

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■江戸時代の感覚のマスコミ■

たぶん、雑誌も書籍も値上がりするでしょう。でも、それは必然ではないでしょうか。日本のマスコミは戦後のハイパーインフレの経験から、値上がり=絶対悪として、批判してきましたし。物価が上がるのは政治が悪いという論調で、戦後 70 数年 やってきましたから。でも、それはハイパーインフレという極端な状況が問題なのであって。年2%ほどのインフレは 経済が順調に発展している証拠というのが、現在の知見。

江戸時代、荻原重秀による貨幣改鋳によって悪性のインフレが起きて庶民は苦しみ、生類憐れみの令など悪政を敷いた徳川綱吉が亡くなって、立派な儒学者の新井白石 らによって正徳の治が実現しました───なんてファンタジーを、マスコミの多くは未だに信じている部分があります。実際には荻原時代のインフレ率はさほどでもなく、むしろ新井白石の時代にはデフレが起きていたことが、現在の研究では指摘されています。

■デフレの記憶なき60年■

インフレの時代は、主観的には生活が苦しいような気がするのですが。実際にはそんなこともなく。逆にデフレの時代は、当初は物価が下がって何やら良いことのように思ってしまうのですが。長期的にはお金が回らなくなって、真綿で首を絞められるように、じわじわと苦しくなってしまう。日本は戦後、1949年にドッジ・ラインによる超均衡財政が実施されて、一時的なデフレーション(安定恐慌)が起きましたが。

逆に言えば、1926-1931年の6年間のデフレを最後に、バブル崩壊以降の平成不況まで、長期 デフレを経験してこなかったのです。そう、デフレの怖さを知っていた当時の子育て世代はもうとっくに、鬼籍に入ったり80歳以上になってしまっていたわけです。明治時代や大正時代生まれの祖父母が、鬼籍に入り始めたのが平成の初期でしたが。明治45年の1912年生でも、平成元年の1989年には76〜77歳で。大正15年の1926年生まれでも、平成元年の時にはもう63歳か64歳ですから、当然っちゃあ当然ですね。

この世代ですら、1926-1931年の6年間のデフレは最後の明治生まれでも14歳から20歳で、大正生まれに至っては幼児期。経済的な実感は薄いでしょ。明治の日清戦争(1894年)や日露戦争(1904年)の世代から、大東亜戦争(1941年)に間が空いたため、明治の元勲たちの治験も失われ、軍部が暴走したのに似ています。本当のギリギリのところで日露戦争をしのいだ世代と、神州不滅を信じ込んだ世代の差とも言えますが。

■時代の変化と物価と■

1970年の、漫画の新書版の価格は240円か250円でした。その頃、岩波新書の価格はだいたい150円。意外 かもしれませんが 昔は漫画の方が値段が高かったのです。ところが それから50年ちょっとで、漫画の新書版は480円ぐらいが主流に。ようやく2倍の値段アップです。ところが 岩波新書は 750円ぐらいが一般的になり、内容やページ数の多いモノは1200円ぐらいも普通にあります。

1970年の大卒初任給は3万9900円ほど。厚生労働省の令和3年賃金構造基本統計調査結果によれば、大卒初任給は22万5400円、院卒は25万3500円とのこと。平成不況での賃金上昇停滞を経てもなお、5倍以上に上がっていますから。岩波新書が5倍の価格になるのは、ある意味で必然なわけです。漫画の場合は、本来ならば新書版 単行本が1200円ぐらいになっていても不思議はないわけです。それが2倍で留まっているのは、その頃よりも市場が大きく拡大したのが理由。

でも1995年をピークに、出版社の売上がどんどん落ちてくると、出版社の社員の高給を維持するために、不安定な立場の作家から搾取している構造が、顕在化してしまいました。はっきり言えば、出版社と取次会社と書店との、三位一体で独占していた本や雑誌の流通が、もう時代にそぐわなくなってきつつあるということです。全国の本屋は平成にバタバタと潰れ、その分を爆発的に増えた コンビニエンスストアが補ってきたのですが。

■流通革命の時代■

しかし流通というのは、大量流通・大量消費に流れていくものです。それに対して 書籍や雑誌というのは、総体としての量は多くても、個々の需要は小さいわけで。何百種類もある岩波新書の中で、多くの人は購入するのは 数冊ですよね? カップラーメンの売れ筋と比較すれば、本というのは種類が多すぎるのです。書店という流通形式自体が、もう限界。というか、地方の書店なんて小さなもので、折れ線の本しか置いていません。

書店の危機とか出版社の危機とか口走る人は、都会の恵まれた書店の状況しか想定していないのが、見え見えですから。うちの田舎で一番大きかった書店の売り場面積なんて、池袋のジュンク堂の1階ぐらいの広さしかないですから。本の多様性もクソもないんです。見知らぬ本との出会いなんて、大型書店での話であって。その意味では映画館と一緒で、地方の書店は今後どんどん減って、人口1万人あたり1店舗ぐらいになるでしょう。

そこを補うのが、電子書籍による流通でしょう。幸い、Amazon がプリント・オン・デマンド(POD)のサービスを開始して、ニッチなジャンルの紙の本も、1冊から手に入れることができるようになりましたし。出版社は 取次 会社という流通を握ることによって、本の販売を独占してきましたが。それが崩れるということ。ここの可能性を理解できず、感情的に反発する出版人が多いですが。別に紙の本が滅びるわけではありませんから。

■映画に学ぶ出版の行方■

例えば 俳優という職業。昔は、舞台演劇に限定されていたわけです。都会の常打ちの劇場や、あるいは地方に巡業をして稼ぐしかなかった。ところが映画の出現によって、舞台俳優と映画俳優という区分が生まれたわけです。舞台俳優は映画俳優を、当初はバカにしていましたが。映画が娯楽の王者にのし上がると、かつては娯楽の王者であった舞台演劇は、衰退せざるを得ませんでした。もちろん今でも、舞台役者は一定の存在感と尊敬を持たれてはいます。

ところが戦後、テレビの出現によって、役者の活躍の場が広がります。こうなると映画俳優とテレビドラマ俳優とで、再び区分けが起きます。映画俳優の方が格上という扱いで、これは今でもかろうじて残っていますね。高倉健さんや吉永小百合さんは、テレビドラマに出演しないことで、ステータスを保っていた面がありますし。ところが今では、ネット配信オンリーの作品も増えています。この場合も、劇場公開しない作品にアカデミー賞をやるなという声が、当初ありましたね。

俳優という職業の本質は変わらないのに、その流通の方法の変化によって、新しい商売のスタイルが生まれる。そうすると その新しいスタイルに対して、旧来からあるスタイルは反発し、当初はバカにするということの繰り返し。そう、昨日のnoteでも言及した、アニメを馬鹿にしていた 脚本家と同じです。歴史に学ぶということは、そういうことです。いつの時代も新しい文化に反発し、訳も分からず見下し精神的勝利で安心立命する守旧派というのは存在する、ということです。

■本の流通に正解はない■

本の流通も同じです。清少納言には紫式部の時代には、どんなに優れた作品でも手書きで筆写し、仲間内で回し読みするぐらいで、商売として成立しなかったのですから。日本の出版の歴史は戦国時代、宣教師たちが持ち込んだものでした。京都・嵯峨の角倉素庵が、本阿弥光悦ら文化人の協力を得て出版した本が本朝の出版事始めで、この嵯峨本は少部数の豪華本の扱いだったようです。

江戸時代にはかなり出版文化が成熟しますが、本屋という商売の成立はもっと後で。行商スタイルで家々を回って本をレンタルするという、貸本が主流でした。このスタイルは昭和の戦後まであったのですが。みなもと太郎先生が学生の頃には廃業。明治以降は西欧の活版印刷の技術が導入され、大量印刷・大量流通の出版事業が可能になり、関西の貸本屋から東京の大手出版社に主役が移り変わります。

そもそも、職業作家というのが成立したのが曲亭馬琴からで、250年ぐらいしか歴史がありません。出版社と取次会社と書店という本の流通のあり方が、正解だとか伝統だとか、とても言えないのはわかるでしょう。本の流通のあり方はまだまだ変化の途上であり、不確定。でも、一度は滅びかけた貸本文化が、レンタルショップで復活したように。何が正解かなんて分かりません。自分は、作家が出版社に流通という生命線を握られた状況よりも、電子書籍の方に可能性を感じている。それだけの話ですよ。

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