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『あしあと ちばてつや追想短編集』発売

◉「手塚治虫とちばてつやは別格だ」とは、原作者の梶原一騎先生の言葉。自分の原作の、句読点の位置さえ改編を許さなかった劇画王が、『あしたのジョー』に関しては、原作の改編を容認した、数少ない一人。梶原一騎先生をしても、ちばてつや先生は特別な存在。そんなちば先生の短編集が2021年4月30日、23年ぶりに発売されました。一気に拝読させていただきました。傑作です。

ちばてつや、23年振りの最新短編集!!
巨匠・ちばてつやの23年振りとなる短編集! 
戦後の満州引き揚げを描いた「家路 1945-2003」、漫画家デビュー時に謎の体調不良にさいなまれた日々を描く「赤い虫」、トキワ荘グループとの交流のきっかけとなった”事件”を描く「トモガキ」、そして最新発表作となる、名作『のたり松太郎』誕生前夜を描いた「グレてつ」といった、2000年以降に描かれた氏の貴重な自伝的読み切り作品を、掲載当時のカラーを含め完全収録!

おもしろいです。もう、短編の書き方のお手本というか。レジェンド中のレジェンド、面白くないはずはなんですけどね。自分ごとき泡沫原作者が、評するのも不遜な話、あくまでも感想をば。

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■大陸帰りの死生観■

いやまぁ、1939年生まれで1956年デビューのちば先生以上の実績のある漫画家自体が、1929年生まれで52年デビューのわたなべまさこ先生や1934年生まれで51年デビューの藤子不二雄Ⓐ先生、1936年生まれで1956年デビューのさいとう・たかを先生ぐらいしか、思い浮かびません。なにしろ、みつはしちかこ先生でさえ1941年生まれですから、年下なんですよね。梶原一騎先生でさえ、1936年生まれながらデビューは1961年ですから。

しかし、ちば先生は人生で何度も、亡くなっても不思議でない経験をされ、でもギリギリ回避されて、多くの傑作を残されたのだと、つくづく思います。その不思議な運と縁に感謝します。ちば先生自身が、大陸帰りの漫画家は明るくて少しおバカと語っておられましたが。幼くして、人の生死を身近に見てきたがゆえの、達観もあるのでしょう。

自分の小学校時代の恩師も、満州引き上げ組。日本への帰国途中で弟妹を亡くされ、骨壺代わりの缶に遺骨を入れ、母親と命からがら逃げてこられたとか。板東英二さんも、親に置き去りにされかけて、あわや残留孤児になりかけたとか。今回、改めて明るく健全なちば漫画にも、古今亭志ん生の『黄金餅』のような、ドロリとした部分を感じました。それは不快とかではなく、ある種の人間的厚みに繋がるのですが。

■本当は怖いちば作品■

ちば作品には、例えば『おれは鉄兵』でさえ、洞窟に閉じ込められた友人が、鉄兵と父親に喰われるのではないかと疑うシーンがあって、本当に怖いんですよ。本書でも『家路』に、その死が近くにある感覚が濃厚ですが。これがひとつ、明確な形になっているのが、『餓鬼』という作品でしょう。飢えや寒さ、そして普通の人が普通でなくなる怖さ。コレもまた、ちばてつや先生のもうひとつの側面でしょう。

そういえば恩師も、ライフルの弾丸が遠くを飛んでるときの音と、近くをかすめるときの音を昔、ふと授業中に語ってくださいましたが。自分には解らない、死がすぐそこにある感覚。そういえば、古今亭志ん生と三遊亭圓生も満州からなんとか帰国できて、そこから芸風がガラッと変わって、人気者になったそうです。やはり、死線を越えて得たモノが、あったのでしょう。

名将・三原脩監督も、頭脳野球を駆使しながら、運やツキという不思議な部分を大切にされたとか。死線を超えた達観のような、生き残ったことを肯定するような明るさが、ちば作品にはあるような。本書にも、満ち溢れています。ただ明るいだけでなく、ただ暗いのでもなく。

■ちば作品の繊細さ■

大学や専門学校で漫画を教え始めた頃、あるベテラン漫画家さんに「ちば先生の本を読めば、漫画は学べるでしょ?」と言われたことがあります。また、鳥嶋和彦白泉社会長は新人編集者時代、ちば先生の漫画は読みやすくてキレイなのに、なぜジャンプの漫画家にはそうでない人がいるのか……と深く考えたとか。それが、編集長としても多くのヒット作を見出した、原点なんでしょう。田中圭一先生の指摘が正鵠です。

でもまぁ、普通の人はちば作品を読んだだけでは、漫画は描けません。人間が視覚から得る情報は1秒間に10000個もあり、この内4000個を処理するという研究報告もあるそうです。一流の作家や名編集者とはたぶん、6000個や8000個を無意識に処理してるのでしょう。普通の人にはそれは難しい──せいぜい数個しか処理できないであろう──ので、当講座では処理を言語化して教えています。

下記リンクにもあるように、女性は情報への感度が優れており、繊細です。ちば先生が最初は少女漫画家として評価されたのは、女性読者の鑑賞に堪えうる繊細さをお持ちだったからでしょう。シンプルな線でさえ、多くの情報が込められており、独学でプロになる人は、その情報を読み取れるのでしょうね。なにしろ漫画家は、全国に3000人から6000人しかいない、才能の世界ですから。

■買いたくなるおまじない■

令和の世に、このような素晴らし作品集が読めることに、深く感謝します。間違いなく自分も、これから何回も何十回も読み返すでしょう。残念ながら、若い人にはちば作品をリアルタイムで知らない人も多いでしょう。自分ですら、1973年に連載が終わった『あしたのジョー』は、リアルタイムでは読んでいませんから。でも、下記リンクを読めば、解るでしょう。

今回、改めて石川サブロウ師や村上もとか先生への、ちば先生の影響の大きさを感じましたね。絵柄が似ている石川先生はともかく、村上先生はと思うでしょうけれど、『トモガキ』の手術シーンとか、『JIN-仁-』を感じませんか? お二人が、ちば先生にはじめてお会いしたときのことを少年のような笑顔で語っておられていたのも、当然ですね。

どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ

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喜多野土竜
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