骨法の考察
◉4年ほど前の、我乱堂さんとのやり取りが、リポストされて流れてきました。骨法と言うと、故堀辺正史師範の喧嘩藝骨法(後に日本武道伝骨法)が有名ですが、元々は書道などの用語としても、点画の力のかかり方を表現するときに使われたようで。武術としても、隠し武器術や経穴(ツボ)を攻撃する技術の意味で使う流派もあります。そして平安時代末に生まれたとされる義鑑流、そこから分派した玉虎流骨指術や、さらに分派の虎倒流骨法術など、古流としていちおう骨法術や骨指術を名乗る武術はあったんですよね。昭和の時代に生まれたインチキ武術というイメージで語る人もいますが。骨法について興味を持った方のために、個人的な備忘録も兼ねて、noteにまとめて加筆修正して置きますね。
ヘッダーはWikipediaのフォトギャラリーより、レスリング世界王者のジョージ・ハッケンシュミットの写真……を大東流合気柔術の事実上の創始者・武田惣角の写真に差し替えました。骨法のルーツ的にも、コチラのほうがヨサゲですので。
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■剛柔流空手との関係■
自分自身は、骨法は1年ぐらい在籍していただけなので、それ以前の話は、竜崎遼児先生のアシスタントであった、中川カ〜ル先生(https://note.com/n777karl)や船木誠勝氏などが語る情報ぐらいですが。武術の常で来歴を古く見せかけたりするのは、どこも同じですが。マジメな話をすると、堀辺正史師範の家伝の武術という触れ込みの骨法という言葉が、世に出た時系列はこんな感じです。峰岸とおる先生が1951年生まれで、新空手三国志は22〜24歳の頃、漫画天国で連載と証言されています。先生の記憶違いもあるかもしれないので、連載時期と微妙に重なっていた可能性もあります。
もう一点、吉丸氏は剛柔流空手も学んでおり、また堀辺師範が著書で公開した子供時代の稽古中の写真の構えも、引手を脇の下に当てる剛柔流っぽいです(船越義珍の松濤館系は骨盤の上の脇腹に置く)。また堀辺師範は、全日本空手道剛柔会の山口剛玄初代会長とも面識あるようです。昔はあんまり気にしなかったのですが、どうもこの剛柔流の人脈、石原莞爾の東亜連盟とか、そっちの人脈ともつながるんですよね。大山倍達極真空手総裁が、師の曺寧柱と参加していますし、拓殖大学繋がりで牛島熊辰と木村政彦の、師弟も参加。木村政彦は東條英機暗殺用に空手や他の格闘技も学び、素手での殺人術を学んだなんて説もあります。
■極意道場と佐川道場■
吉丸氏は、鳥居隆篤氏とも佐川道場離門後に交流があり、骨法の指導員であった廣戸氏も、極意道場に所属した時期があったようで。廣戸氏は、骨法時代についてはほとんど語らないのですが、鳥居氏の弟子として武術専門誌に登場したことがあります。骨法の秘技〝徹し〟と、柔法徹化拳の奥義〝徹し〟が、同じ名称の秘密は、ここら辺にありそうですが。なお、骨法ではマスコミに登場し始めた初期は、徹しではなく神威(カムイ)と呼称していましたね。雑誌で見かけた記憶があります。
佐川道場の木村達雄筑波大学教授の著書『透明な力』に、佐川道場での乱取りで相手の腕を折った堀辺という記述があり、堀辺師範が佐川道場で学んだこと、中伝三元まで学んだのは事実のようです。独立の数年前から大東流を佐川道場で学び、それなりの実力を示したため、当時師範代であった吉丸氏が佐川道場から独立した、契機になったのでしょうか? ここらへんは推測の域は出ませんが(別の説も聞きましたが、プライベートな内容なので割愛)。
福昌堂の『武術(うーしゅう)』や『フルコンタクト空手』の編集長であった山田英司元武術編集長は、香港で学んだ詠春拳に大東流の関節技をくっつけて骨法をでっち上げたと、誌面で批判されていましたね。最初は鷹爪の術、次に換骨拳、そして骨法と変遷したと。あれは自分が大学生の頃でしたかね。ちなみに、山田編集長は松田隆智氏と一時は仲が悪く、大槻ケンヂさんとの対談では神秘系の中国武術に批判的でしたし、松田隆智氏が原作を担当した『拳児』では、ムエタイに傾倒する悪役の田英海のモデルとして、登場されていました。
■骨法と中国武術の闇■
ただ堀辺師範の著書でのエピソードや、中華民国国術会顧問という肩書き、台湾での武術交流会などを見るに、台湾武術界との繋がりが昔からあったのでは……と推測します。詠春拳自体、南派拳法の名門・白鶴拳との技術的な類似性が言われますしね。また、詠春拳の型(套路)での構えは、脇の下に引き手を置く剛柔流空手にも近いです。実際、剛柔流は福建鶴拳の流れという研究もあります。元泡沫弟子としては、骨法の掌握技術が詠春拳のチーサオの技術と近いと実感したのも、事実です。
そういえば、スーパータイガージムのインストラクターで、渡米してダン・イノサント系のJKD(ジークンドー)を学んだ中村頼永師範は、堀辺某がJKDのビデオを大量購入しているという噂を聞いたと、格闘技系の雑誌のインタビューで証言されていましたね。ただ、シューティングや骨法、あるいはシュートボクシング、UWFなどに共通のレガースは、1984年のスーパータイガージムの設立以降に開発され、堀辺師範は佐山氏とも交流があり、その縁で骨法にもレガースを取り入れたとの、格闘技誌の記事を見た記憶があります。
さらに言えば吉丸氏は、佐藤金兵衛師範との交流から、山本角義系の大東流合気柔術も学び、さらに中国武術も修行と研究を広げるのですが。もともと、松田隆智氏とも交流があり、しかし何らかのトラブルがあり長らく絶縁状態にあったこと、どうもそれが佐川道場絡みであったことを、伺わせますし。詳しくは書きませんが、骨法の打撃理論はもろ、松田氏が紹介した中国武術の纏糸勁・十字勁・沈墜勁です。骨法の徹しも、中国武術の発勁(浸透勁)の、寸勁に近いです。ブルース・リーのワンインチパンチも寸勁。
■武術武道界の繋がり■
さて、これらについての我乱堂さんの、リプライを転載します。前述したように堀辺師範の名前が、木村教授の著書『透明な力』に突然出てきて、ギョッとした記憶があります。フルネームを書かず「堀辺」とのみ記述した部分に、木村教授の堀辺師範を否定したいが否定しづらい何かが、滲んでいました。認知プロファイリングではないですけどね。なお、堀辺正史師範は、「せいし」と名乗っておられましたが、風忍先生の自伝漫画では子供の頃は「まさし」くんと呼ばれていたので、こっちが本来の読み方で、木村教授が配慮したのか、その名を呼びたくなかったのか。そこは 分かりません。
また吉丸氏が、堀辺師範に負けて弟子入りという説は、本人が否定されていますが、そう思わせる何かが佐川道場であったのを、推測させます。ちなみに、松田氏は剛柔流空手を学び、大山道場にも在籍し、三段を授与されています。ありゃりゃ、また骨法と剛柔流がクロスしましたね。骨法の徹しが、八極拳系の発勁に類似するのは、ひょっとしてそっちの技術かも……と思ったりします。
■いろいろな証言拾遺■
堀辺師範に関しては、佐川道場での大東流合気柔術以前に武田流中村派合気道を学んでいたという証言も見かけた記憶が(出典不明)。あるいはプロ空手の団体(大塚剛氏の全日本プロ空手協会か?)に所属していたという船木誠勝氏の証言など、未確認の証言もあります。元は辞典のセールスマンだったとも、水戸の旅館の息子だとも、様々な証言はあるのですが、真相は不明です。ここら辺も、関係者がみな亡くなったら、いろんな事実が暴露されるのかもしれないですが…。
ただ、剛柔流についての言及はなく、佐川道場についてもいろいろと語っていないことが多いのですが、水戸の剣道家であった高野茂義師範については、著書でも隠していないですね。昭和の剣聖と呼ばれた高野佐三郎の養子で、高名な剣道家ですから。師事したのは間違いないでしょう。骨法の技術体系自体は、詠春拳などのパクリかもしれませんが、いちおう剣道も有段者の自分には、小野派一刀流系剣道の術理が、加えられているようにも 感じました。詠春拳自体が、武器術が理論のベースなので、親和性があったのかもしれません。
古流武術や中国武術は、実際に戦って実力を示す人は少数で、師匠の権威と正統性を言い募る人が多い世界ですから、特に神秘系は。うちにもたまに、変な人が来ますが。澤井先生や島田先生の至誠太氣拳や、王樹金老師など、誰とでも立ち会って実力を見せる実践派は、一握りです。松田隆智氏も、パワー空手誌上で大山総裁から名指しこそ避けてはいましたが、批判されてましたね。いちおう、極真空手三段ですから、けして弱くはないと思いますが。
■口喧嘩が多い武術界■
日本でも中国でも台湾でも、古流武術や伝統武術でも、強い人はいます。ただ山田編集長が、中国拳法で強い人は、李英老師や蘇東成老師など、体格が良かったり組手をガンガンやり、基礎体力も鍛えてる、なんのことはない極真空手が強い理由と同じだと、大槻ケンヂさんとの対談で語っていたように。それが武芸の現実かと。なので、口先だけの神秘系武術家は、総合格闘技の舞台に立つと、ボッコボコにされて化けの皮が剥がれるのですが。
そうすると、神秘系はまた「自分たちの技術は人を殺せる技術なので、ルールのあるスポーツの試合では使えない」とか言い訳しますが。例えばムエタイは、最強の技術である肘打ちを、ルールで禁じられることがあります。何しろ、ある選手がタイ人に肘で切られた顔面の治療に外科に言ったら、対応した医師がナイフの傷口と見誤る威力。それでもムエタイ側はそのルールで勝つわけで。
さらに、最大の得意技である首相での膝蹴りを、K-1ルールでは禁じられましたが。ブアカーオ・ポー・プラムック選手とか、華麗な蹴りを駆使して優勝。さらに、キック自体を禁じられたボクシング(国際式)でも、世界王者や東洋太平洋王者を何人も輩出しています。立ち技最強の尊称は、伊達ではないということです。ルールに縛られても、強さを見せつける格闘技と、言い訳三昧の神秘系武術、どちらに説得力がありますか? 大東流合気柔術でも、総合格闘技の試合で結果を残す団体もありますからね。
太氣拳も、弟子同士でガンガン組手をするので、割と殺伐としていて、弟子同士の仲は悪かったと、直弟子の大学の先輩の弁。その先輩も、ウェイトトレーニングでガンガン鍛えていましたし、入門初日にいきなり組手をやらされ、さらに練習中に頬骨を陥没骨折したこともあったとか。そりゃあ、顔面なしの極真空手との交流戦で、基礎体力に勝るフィジカルエリートの極真勢と、いい勝負したのも解ります。画面打撃ありは、恐怖心が段違いですからね。慣れは大きいです。
■整体関係の話も少し■
もともと、堀辺師範は整体の方が有名で、この繋がりから新日本プロレスの方にも食い込み、初代タイガーマスクの佐山サトル氏とも面識があった模様(猪木がレオン・スピンクス戦で浴びせ蹴りを使ったのが1986年です)。ただ、この整体のルーツが不明です。八光流の皇法医学がルーツだとしたら、ひょっとしたら鳥居氏とも八光流で繋がりが? ここらへんは、後世の研究者に任せます。個人的には骨法整体、とても良く効きました。
嘉納治五郎も、失われつつある古流柔術を学ぶため、骨接ぎ師を尋ね歩き、技術を学んだとか。それが、柔道整復師の制度を作る流れにも繋がっていて、武術の裏芸としての整復師は、昔から普通にあったようで。そういえばウチの田舎も、整体とお灸の技術を持つ古流武道家は、いましたね。昭和の武蔵と呼ばれた中倉清師範も、西暦2000年に亡くなられましたが、90歳の長寿。木村政彦先生より、7歳上。自分が小学生の頃は60代後半だったので、大きな大会にはたまに顔を出されていましたね。鹿児島も、いろいろ古流武術が伝わっていますからね。
真偽はわかりませんが、こんなサイトも教えて頂きました。丁寧に比較検証し、両者の交流を検証していますね。
自分はあくまでも泡沫弟子ですが、骨法を学んで某フルコン空手の有段者との試合でも掌打でKOもでき、総合格闘技の選手ともスパーできるぐらいには打撃は学べました。剣道をやってたので、骨法の術理は剣道的で、しっくりきましたし。メチャクチャ強いわけではないが、プヲタや格ヲタが馬鹿にするほど弱くもないよ、と。口先だけの神秘系武術よりは強いです。ただ、堀辺師範の言には虚偽も多く。ただ、作家としては現実の史実を巧みに取り込む技術の面で、今でも師匠だと思っています。
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